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#2-2 北海道名寄市あったかICT物語【シーズン2(導入編)】
エピソード2「想いをカタチへ②」
執筆・インタビューを担当するのは・・・
こんにちは!
「名寄市医療介護連携ICT導入・運用アドバイザー(令和2&3年度)」の大曽根 衛(地域包括ケア研究所)です。
今回は、エピソード1の続きとして、守屋潔さん(名寄市健康福祉部参与 地域包括ケア ICT システム担当)の想いの背景に触れていこうと思います。
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★壮大な構想の続編という想い
ー大曽根
守屋さん、エピソード1で触れきれなかった部分について、お聞きしたいと思います。
改めて名寄のプロジェクトに関わる守屋さんにとっての意味について教えていただいてもよろしいですか?
ー守屋
エピソード1でも話しましたが、2008年に旭川医科大学に来ることになって、医療とITを繋げるさまざまな研究やシステム運用に関わってました。旭川医科大学としても重要な拠点である名寄市立総合病院の佐古和廣院長から、「道北北部の救急が大変で新たなネットワークを作りたい」と依頼があって、少しお手伝いさせていただいたんです。
それがポラリスネットワークです。
佐古先生の構想だったポラリスネットワークの立ち上げというのに関わったことで名寄とのご縁が生まれたんですね。
ー大曽根
元々、佐古先生のご構想だったんですね。
ー守屋
そうなんです。
で佐古先生の構想を、実際に表舞台で引っ張った現場のリーダーが酒井博司先生で、当時救急のリーダーだったんです。
ポラリスネットワーク1.0は救急における医療連携システムとしてスタートしたんです。
だから今回の名寄における医療介護連携のICTはポラリスネットワーク1.0の基盤の2階部分に構築された、ポラリスネット2.0というものになるわけですね。
ー大曽根
なるほどですね。
ー守屋
医療連携の仕組みがあったから、次のステップということで地域包括ケアシステムに発展したんですね。
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こんな感じのイメージですね。
広域の医療連携と地域包括ケアシステムと。
青いリングっていうのは稚内から士別までの大きな輪で、その中の名寄市内の緑のリング。
で、同じように士別、下川っていう風にこの緑のリングが広がっていったらいいなあっていう。
ー大曽根
ポラリスネットワーク1.0の続きを完成させるために名寄に来られた意味合いがあるのですね。
★母親が遺してくれた看取り体験
ー守屋
それから名寄に来る前もうひとつ自分の中で大きなできごとがありました。
大曽根さんもよくご存じだと思うんですけど、2019年、私の母がある日突然、末期がんで余命3カ月っていう告知を受けたんです。
母は大学病院に入院していたのですが、みんなに迷惑かけたくないということでそのまま緩和ケア病棟に手続きしていて、一人病院で最期をという意思を持っていたんです。
でもそれを説得して退院させて、最期横浜の実家で看取ろうということにして、大曽根さんに紹介してもらった訪問診療専門のクリニックの先生に診てもらうことになりました。
で、実はたまたま母の知り合いにケアマネジャーがいたんですよ。
—大曽根
あ、そうだったんですか。
ー守屋
母が近くの福祉施設でボランティアをやってたんですよね。
そこのケアマネさんだったんで、母をお願いしたんですよ。
そして、その方にケアプランを作ってもらったんです。24時間サポート体制を作ってもらって、最期の2週間は自分も横浜の自宅に戻って一緒に母と時を過ごしたんですが、本当にとても充実した日々だったと思っています。
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もちろん人が死ぬわけですからこういう言い方はおかしいんですけど、やっぱり人間最期は必ず死ぬわけで、でも死っていうのが右肩下がりでゼロになるということじゃないと思うんですよね。
人はいろいろな体験を経て豊かな人生を積み上げて、最期の頂点が死であるべきだと思うんです。
死ぬ時というのが一番大事で、人生のフィナーレっていうかね。
そこを病院のベッドでじゃなく、住み慣れた自宅で親しい人、家族と過ごしながら、最期を一緒に過ごせたと。
あるとき、母から「私の最後の頼みがある」って言われたんです。
ー大曽根
はい、それは?
ー守屋
実はねやっぱり親子でもあんまり知らないんですよね。
母の人生って知ってるようで全然知らなかった。
「あそうそう。押し入れにわたしの宝物があるからちょっと持ってきてくれ」って言われたんですよ。
そしたら箱があって、宝石でも入ってるかと思って中を開けたら仏教のお経だとか仏具だったんですよ。
これが自分の宝ものだというんです。
仏教の信仰を持っているのはもちろん知っていたんだけど、そんなにも深い信仰を持っていたとは初めて知ったんですね。
母の一番の誇りというか、自分の人生における一番の勲章と思っているのが四国のお遍路さんで、八十八か所全部巡ったんですよ。
これが人生におけるすごく大事な事だったんです。
そこに、白装束を着て廻った時の衣装が入ってたんですよ。
ー大曽根
はい。
ー守屋
これを「死んだとき、棺に入れるときに私に着せてくれ」と。「草鞋を履いて杖を持った状態であの世に旅立ちたい」と。
棺の中にはこれこれこういうものを入れてくれと、仏教に関する作法だと思うのですが、事細かく指示を受けて、それは息子として出来る最後の事としてきちっとその通りやって送りだしたんです。
私自身もある種の満足感、達成感というか、母にとっても自分の人生の最期を願う形で迎えれてすごく良かったと思って。
大学病院にいたときは命を救う最先端医療に関わる仕事をしていたんだけど、在宅医療は心を救うという、ある意味でこれこそが最先端な医療だなと実感したんですよね。
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ー大曽根
そうだったのですね。
ー守屋
母が急変して意識を失う前の日だったと思うんですけど、ヘルパーさんや医師など朝4人の方が来られたんですよね。
そして午後は看護師さんなど3人いらして、合計7人来たんです。
母は1人1人と握手をして「ありがとう。ありがとう」ってね。「あなた方は私の七福神」だって言ったんですよ。
ー大曽根
お母さま、すてきな事言いますね。
ー守屋
言われた方も嬉しいですよね。
一生のうちでこれほどたくさん「ありがとう」っていう言葉を聞いたことないくらい「ありがとう」が飛び交っていて、そういう体験を患者の家族として立ち会えて、「あぁこういう世界をつくりたいな」って強く思ったんですよね。
—大曽根
亡くなられる時には、名寄の話が出る前だったんですか?
ー守屋
ちょうど名寄の話があったんです。
春から名寄っていうところに移って在宅に関連する仕事をやろうかなって思ってるんだって言ったんです。
そしたら母が何て言ったかというと「よく見とけ」と。
ー大曽根
え、強いですね、お母さまは。
ー守屋
やっぱり信仰を持った人っていうのはそういう強さがあるのかと思いましたね。死んだら終わりじゃなくって、魂は永遠でお釈迦様のみもとで生きるっていう希望を持ってましたからね。
ー大曽根
本当に良い終(しま)い方をできたんですね、みんな家族でね。
ー守屋
ええ。
それを患者の家族の立場で体験できたので、こういう機会を名寄でつくれたらどんなにいいだろう、と思ったんですね。
母の介護の経験で、朝ヘルパーさんが来て、私からお願い事をしたんです。その後違う職種の方が来た時に「あ、聞いてますよ。●●ですよね。」っていう風に言ってくれたんですよね。
あの時にすごく頼もしかったんですよね。
多職種の人たちが、それぞれ違った事業所の人たちが来てるんだけど、あたかも利用者さんを中心にワンチームとして、同じチームとして連携してくれているんだなぁって。
タブレットを持っていて、LINEみたいなもので情報共有していて、初歩的なICTなんですけども。
でも、その効果は抜群で、患者の家族の立場として非常に心強いと思いましたね。
ワンチームで支えてくれているんだなぁっていうね。これが名寄に来る前の私の体験ですね。
ー大曽根
いやすごいなぁ。
色々と奥深いというか、繋がりがすごい。
この2年間守屋さんとご一緒させていただきながら端々に感じることが、そのルーツにつながっているんですね。
すてきな背景を聞かせていただき、ありがとうございました!
そんなストーリーがどんどん名寄で増えていくといいですね!
ー守屋
はい、ありがとうございました。
![](https://assets.st-note.com/img/1654150266321-8byKqaXpZg.jpg?width=1200)
シーズン2エピソード2は守屋さんの想いの背景を探ってみました。
※内容はインタビュー実施時点(2022年4月5日)のものになります。
続いて、エピソード3は名寄社協指定居宅介護支援事業所ケアマネジャー井上正義さんの視点からICT導入前後の様子について触れていきます。
★★名寄市あったかICT物語の構成★★
【シーズン1(導入前夜編)】
【シーズン2(導入編)】
· エピソード6:「医師としての紆余曲折の全てが今につながる」
【シーズン3(運用編)】
· エピソード4「前編:薬剤師だから創り出せる、在宅でのあたたかい連携のカタチ」
· エピソード5「中編:薬剤師だから創り出せる、在宅でのあたたかい連携のカタチ」
· エピソード6「後編:薬剤師だから創り出せる、在宅でのあたたかい連携のカタチ」
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