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vol.4 どうすれば?を超える “ あなたを想っているよ ” のメッセージ~いくつになっても育て合い「おとなの子育て理論」~

こんにちは!あゆみです。

大人の子ども心を癒し合うための「おとなの子育て理論」も、いよいよ中盤に差し掛かってきました。はじめましてのかたへ向けて、内容をご説明しますね😊


第一回:いくつになっても育て合い
第二回:ハグハグよしよしの安心感
第三回:癒されたい人を見つける眼差し


あれこれ語ってはいるものの、結局のところ私がお伝えしたいのは次のとおりです。


安心感や信頼感あふれる「やさしい世界」をつくるためには、どんな年齢や立場のひとにも心の癒しが必要だという「やさしい視点で物事をみること」、そして「親切で具体的な解決策を探ろうとすること」が大切だと思っています。


本シリーズでは、特に「大人の子どもごころ」に焦点を当てて、やさしいコミュニケーションのヒントになるものを執筆できたらうれしく思っています。気になるかたは、ぜひご覧ください。

※「助け合い」というテーマになりますので、どうしても軽々しく語れない事情があります。今回はそこまで重たい内容ではないと思いますが、どうかご無理はなさらないでくださいね。食べられるものを、食べられる範囲で・・・情報をお受け取りいただけると幸いです。


▼まずはじめにお読みください。






前回までの振り返り



どうして「大人の子ども心を癒しあう」という発想になったのかというと、なんらかの事情で子ども心をこじらせ、「困ったぞ・・・」と、頭を抱えねばならない現実を目の当たりにしたからです。

大まかに捉えると、子どもらしい素直なきもちや衝動を「出せなくて困っているかた」と「出しすぎて困っているかた」がいるのではないか?そして、両者の本質はほぼ同じではないか?と、思っていて、子ども心の痛みの表れ方はひとつではないというお話をしました。

このように様々なケースを想定したうえで、自分や他者に理解の目を向け、ひとりでも多くの人の「心の安全基地」を生みだそうとすることが、安心して生きられる人を増やすことになるはずだと思っています。


今回は、もう少し具体的に、「サポートの手を伸ばし合うこと」について深めていきますね。

「誰に、どんなふうに助けを求めたらいいのかわからない」私自身も、長い間このように思っていました。また「どうやって助けたらいいのかわからない」と、心を痛めている人のお話も聞いたことがあります。

今もなお、このように思われているかたへ、少しでもヒントとなるものをお届けできるとうれしく思っています。



「あなたを想っているよ」のパワー



「頭では理解できても、心が動かない」
「心は動いても、身体が動かない」



ひとまずは、後者の「心は動いてきたけど、まだ身体は動かない」を目指して、お話をすすめてきました。なにごとも準備体操が必要ですし、一足飛びにはいかないものですから、少しずつ確実に、安心感を育んでいきたいと思っています。

こころと頭を柔軟にほぐして「新しい可能性」に心を開きやすくなったなら・・・いよいよ、次のステップを目指します。


「心が動いたから、身体も一緒についてきたよ」


今回はこの目標にそって、私なりの想いや考えをシェアしていきますね。


◇◇◇◇◇


ところで、「心が動いて身体も動く」って、どんな状態なのでしょう。以前、やさしさを育む4つのちからでもお伝えしたのですが、頭でわかっていても「わかりたくない!」と思ってしまうのが人間だと思うのです。腑に落ちるという過程を踏むからこそ、自然なかたちで行動につながると考えています。


ひとりでも多くの人の安全基地をつくることで、大人の子ども心が癒される。すると各々に心の余裕が生まれ、いろんなかたちの「困ったぞ・・・」に気づきやすくなる。この理解のまなざしが、サポートの手を伸ばしやすくさせ、それがさらなる「安全基地」を生み出すことになり、生きとし生けるものが笑って過ごせる「やさしい世界」がつくられる。

おとなの子育て理論編 まとめ


このように、理論編の概要は一息で言えてしまうことなのですが、できるだけ丁寧に3話にわたって考えをお伝えしたのは、「なるほどね・・・」を作りたかったからなのです。もちろん、感じ方は人それぞれなので無理に納得させたいわけではないのですが。

まさに、この「まどろっこしいやりとり」こそが「ハートで語りかける」ということで、私やあなたのハートに「想い」を届きやすくさせると考えています。

想いのパワーは、スキルや理屈を凌駕することがあると思っているのですが、つまり、自分や誰かを癒すものとは「頭で考えるもの」を超えた先にあるということなのですね。


しかしながら、現代を生きる私たちは「頭で考えるクセ」が染み付いているように感じます。なぜなら、あちこちに情報が溢れていて、自分から見に行かなくても「向こうから、否応なしに見せられる」という環境に身を置いているからです。

今回は、あくまでも「大人の子ども心を癒す」ためのお話なので、脱線しないように気をつけたいのですが・・・ひとことで言うならば「ハートでしか解決策を見出せないものでさえ、理屈を求めてしまうことがある」と、分かっておく必要があるということです。


まっすぐに、あなたや私を想う気持ちがあるからこそ「どうやって・・・」というハウツーに意識が向きやすくなり、かえって、癒しの本質である「こころ」にアプローチしづらくなるという、もどかしく歯がゆい愛のループにはまり込んでしまうのですね。


どんなふうに助けを求めたらいいのかわからない」

どうやって助けたらいいのかわからない」


誰かに助けてもらいたい時や、誰かを助けたいと思った時は「どうしたら・どうやって」を、そっと横に置いてみるといいのではないでしょうか。


どんなふうに、どうやって助け合ったらいいのかわからないけれど、とにかく、私はあなたを想っているよ


まずは、純粋なきもちを見せ合うことから。真摯な姿勢という名の「想いのパワー」によって、少しずつ信頼関係が築かれていくのかもしれないですね。



ほしいかたちで届けられない愛情



ハウツーを横に置いたほうがいい理由のひとつとして、「助けるとはこういうことだ」とか「こうなったら愛されている」というカタチにこだわることで、「中身」が見えにくくなってしまうことがあるからです。

中身というのは、先ほどからお話している「あなたを想っているよ」のハートの部分を指しているのですが、これを表現する入り口はいくつもあるということなのですね。

ある人は「プレゼントを贈ることが愛情だ」と思っているかもしれないし、またある人は「やさしい言葉かけこそが愛情だ」と、思っているかもしれません。むしろ、「そっとしておくことが愛情だ」と主張するかたもいそうです。つまり、本質(あなたを想っているよ)は同じでも、性質(表現方法)が異なることがあるということです。(詳しくは、タロット記事などでお話できればと思います)


要するに、助け合うためにまず必要なのは「あなたを想っているよのキモチ」で、これを受け取り合うには「カタチよりも根っこの部分を見ようとする柔軟さ」を持つといいのでは?と思っています。


このように、すれ違いの溝を丁寧にうめていく視点を持ち、働きかけを行うことで、「助け合えた」と実感できる「分かり合うこと」につながるはずです。


さて、ここまでは基本の「き」を語ってきたのですが、綺麗ごと抜きにして想いだけでは解決が難しいことがあると思います。頭ごなしの理想論を語るだけではなく、現実的な解決方法を探りたいのですが、ここで登場するのが、ひとつ前の記事にチラッと登場したカウンセラーさんや心理士さんなどの「専門知識をもつ人たち」ではないでしょうか。


ここから先のお話の「言いたいこと」の結論から申し上げますと、わたしは「専門知識のちからが必要なこと」と「専門知識ではどうにもならないこと」の両方があると思っていて、だからこそ、「専門家とそうでない人」の両方に助けを求められる雰囲気や環境をつくりたいと考えています。


どういうことなのか、ご説明します。



助け合いは「ハートとスキル」の二人三脚



まず、誤解のないように先にお伝えさせてください。


私は「専門的な知見のある」カウンセラーさんや心理士さん、お医者さんの存在は、絶対に必要だと思っています。なぜなら「知っていることがある」というのは、誰かを苦しみの沼から引っ張りだせる方法を持っているから。そのために、たくさん勉強して、現場で経験をつんでいる専門家がいてくれるのです。心強い存在ですから、積極的に頼ってもらいたいです。


実際に、私自身が頼りになる心理士さんとのカウンセリングで体感したことですが、「迷いの森の地図」を持っている人とお話しするのは、大変心強いなぁと思いました。もくもくと孤軍奮闘している時よりも、スムーズに楽になれているように感じます。

はじめは「合わないかも・・・?」と不安になったり、そもそも、人様に頼る勇気が必要でしたが、やってみてよかったです。(カウンセリングの体験談や、迷いの森に迷い込んでぐるぐる歩きながらお宝たくさんゲットしたお話は、ちゃんと別件で記事にしたいです)



同時に・・・正直なところ、こんなことも思っています。

“ 専門家に頼れるのは「決まった日時・ルールが設けられている場所」であって、本当に苦しい時や肝心な時に、そばに居てくれないこともある ”

これも実際に、私がひとりで悶えている時に身に沁みて感じたことです。「いない」んです・・・。また、先生は私を助けてくれる頼もしい存在ですが、この先もずうっと、私とともに人生を歩むわけではありません。だからこそ、身近な人たちと癒し合うことの必要性を強く感じました。


※上記はあくまでも「個人の体験談」に過ぎず、ひとことで「カウンセリング」と言ってもいろんなかたちがあり、しんどいよと思った時に、無料で電話やチャットでお話を聴いてもらえる場所があります。だから、くるしい時はコンタクトを取ってくださいね。たとえ一か所ですぐにつながらなくても、そういった場所は複数ありますから、諦めずに探されてみてほしいのです。こういう時こそ「情報・ネットワーク」のちからを借りたいです。(その他、あらゆる相談窓口が存在していますので確認されてみてくださいね)



こんなふうに、私は専門家が「ある時とない時」の両方を経験してみて思うのですが、やっぱり、「専門家」と「身近な人」の両方があってほしいんです。欲張ってもいいじゃないですか。だって、大切ないのちだから。助けてもらえる可能性や手段は、たくさんあったほうがいいはずです。たとえ今はそう思えなくても、「あるんだ」って思いたいです。


こういった事情で、専門家だけではなく、身近な人同士で「自分たちの居場所」をつくるために、今からここからできそうなことを発信したいと思いました。これが「おとなの子育て理論」になったのですね。


今まさに、孤軍奮闘されているかたがいましたら、可能な限りでサポートの手に気づき、勇気が必要なことかもしれないけれど、自らも手を伸ばしてほしいなと思っています。そのために「手を伸ばしてもいいんだ」と、思える雰囲気や環境をつくりたいです。微力かもしれないけれど、その一助となりたいです。



◇◇◇◇◇


今回は、一人ひとりの子ども心を助け合うためには、できることなら「ハートとスキルの両輪があってほしい」というお話でした。まだまだ言い足りないことはあるのですが、「おとなの子育て理論」の本筋から逸れてしまいそうなので、別の機会にお話したいと思っています。



次回からはいよいよ、具体的に「子どもごころを見守り、育てるには?」という、おとなの子育て理論のメインディッシュを語りたいと思います。いくつもの観点があるので、複数回に分けてアイデアを共有しますね。

とは言え、ここまでの前置き部分も大切なエッセンスが含まれているので、肝の部分はたくさんあるということにしておきます。よろしければ、過去の記事も覗いてみてくださいね。


ありがとうございました😊
引き続き、ご覧くださるとうれしいです。



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