《連載小説》おじいちゃんはパンクロッカー 第十回:ビデオの中の母
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病院からの用件がなかったので、露都は普段通りに九時半まで残業した。いつもだったらイヤイヤながらオフィスに残るのだが、今日は率先して時間いっぱいまで残業した。もしなんかの間違いで定時通りに帰ることがあればサトルと一緒に夕食を食べなきゃいけないし、そして無言の気まずい時間を過ごさなきゃいけない。絵里はそんな自分を呆れ顔で見るだろう。ああ!俺は帰宅拒否症の旦那かよ!露都はそんなことを考えながら玄関のドアを開けた。絵里は出て来なかった。どうやら寝ているようだった。
家の中に入って台所の明かりをつけるとテーブルに紙が置いてあった。絵里のメモ書きだった。『お仕事お疲れ様。夕食の作り置きが冷蔵庫にあるから食べて。毎日食べないと死んじゃうから絶対に食べるんだよ』。露都はメモ書きを読んで絵里に対して申し訳なく思った。彼はその冷蔵庫の中の作り置きをレンジに入れて食べたが、食べている最中にサトルの事を考えた。やっぱり絵里のためにも明日仲直りしておこう。だけどあのゴミはどうすりゃいいんだ。返すわけにはいかないし、返さなかったら返さなかったでサトルは怒るだろうし。
露都はふと垂蔵の父親が自分と同じ官僚だったのを思い出した。垂蔵は多分その父親に反発してあんなクズみたいな事をやり出したのだろう。その父親は顔さえ知らず、今生きているのか死んでいるのかさえわからない。事務次官を勤めたほどの人だからググったら消息は簡単に掴めるだろうが、それは怖くてとても出来なかった。大体戸籍上では自分と垂蔵の父親は完全に他人なのだ。にもかかわらず自分はその事務次官まで勤めた人と血が繋がっている事に誇りを持っている。一方サトルはあのクズの垂蔵に妙なシンパシーを抱いている。あの子はまだ子供だし反抗期なんてまだ全然先だが、このまま成長したらどうなるのだろう。垂蔵が彼の父親に反発してクズの道を転がっていったし、自分はその垂蔵に反発して真っ当な道を歩んで行った。男は父親に反発して祖父にシンパシーを抱くとはよく言われているけど、もしかしたら自分たちはそのまんまかもしれないと思った。露都は空の食器の前で深いため息をついた。彼はテーブルの上の食器を持って立ち上がり流し台へと向かった。
今日は寝室で寝ようと思ったが、その隣の部屋で寝ているだろうサトルを思い出してやはり昨日と同じく書斎で寝る事にした。寝る前に絵里に声を掛けたかったが、サトルが起きているかもしれないと考えてやめる事にした。部屋は昨日のまんまだった。バッグから出しっぱなしにしていた垂蔵のゴミのような代物が床に無造作に投げられていた。確かテープはまだデッキの中だ。昨日テレビのコンセントごと抜いちまったし。彼はとりあえずテープを抜き出そうとデッキのコンセントを入れたが、その時ふとビデオの続きを観たい誘惑に駆られてしまった。たしか垂蔵が母さんを殴り出したところでコンセント抜いたんだっけ?あの後どうなったんだろう。母さんは無事だったのだろうか。露都は誘惑に勝てず舌打ちしながらテレビのコンセントも入れた。
今度は誰も入って来れないよう注意を配る必要があった。鍵かけなきゃまたサトルに覗かれる。それから音も小さくしなきゃ。その上でベッドホンだ。露都はこう周りに聞こえないよう視聴の準備をしている自分をまるで今からエロ動画でも観るみたいだと自嘲した。彼自身は今までそんなものは見た事は一度もなかったのだが。
準備を全て終えた露都は早速デッキの再生ボタンを押した。するとビデオは昨日と同じようにノイズをたててから昨日の続きを映し出した。昨日と同じようにやかましい騒音が流れる中、垂蔵は母や周りの客を殴っていた。他の連中はたまらず逃げ出すが、母だけは垂蔵に反抗して殴り返す。垂蔵はその母に恐れをなしたらしく、彼女を避けて周りの客の方に飛び込んでいった。
しばらくして垂蔵はステージに戻りマイクを手にまたわけのわからない絶叫をし始めた。全く酷いゴミだ。アンタこんなろくでもない事よく何十年も出来たよな。こんなバカなドクロのTシャツなんか着て。と思った時、露都は突然自分もライブに連れて行かれるたびにこんなのを無理矢理着させられていた事を思い出した。あれはまだ俺が幼稚園の頃だ。母さんとコイツが泣いてイヤがる俺に力づくで着せたんだ。彼は袋に同じようなTシャツがあった事を思い出して、袋からキッズ用のTシャツを何枚か出した。
このサトルにプレゼントされたビニールに入ったTシャツは確かに未開封の新品だろうが、よく見るとビニールは古く、すえたようなきつい匂いがしていた。まさかこのTシャツ俺のために買ったやつか?俺がイヤがって受け取らなかったからずっと持ってたってのか?驚いたな。こんなものとっくに捨ててると思ったよ。俺はアンタからもらった奴は全部捨てたしな。そうかだから俺のお古をサトルに渡したってわけか!チッそんな事されても俺のアンタへの判決は絶対に揺るがねえよ!
その時突然昨日のように母の絶叫が耳に響いた。露都はベッドホンに手を当てながら再びテレビを見た。昨日と同じように母が映っていた。母は鼻血を垂れ流ながら周りの男をぶん殴って大口を開けて絶叫していた。ああ!なんてこった!こりゃひでぇよ!酷すぎるよ母さん。アンタいいとこのお嬢さんじゃないか。確かに垂蔵だって実はいいとこのお坊ちゃんだけど。でもアンタは違うだろ?まともな大学出てんだから商社にでも就職すりゃもっとまともな未来がアンタを待っていたんだ!少なくとも五十前で若死にするよりマシな未来が待っていたんだ!なのに、なのになんでアンタこんな奴のゴミみたいな代物見てそんなキラキラした表情してんだよ!そんな顔俺の前で一度もしなかったじゃないか!母の絶叫とバンドの騒音と垂蔵の喚き声がガンガン響く。おかしいなテレビの音声はちゃんと小さくしてるのに、なんでこんなにうるさく響くんだ?いつの間に手に雫が垂れてる。おい、もしかして俺は泣いているのか?
その時ベッドホンの外からドアを回す音が聞こえてきた。露都はまたサトルかと思って慌ててベッドホンを外して耳を澄ました。ドアはガチゃガチャと二回ほど回りそれから子供の足音が微かに聞こえた。やはりサトルだった。
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