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コッホとゴッホ

 医者・細菌学者のロベルト・コッホ博士と画家のヴァン・ゴッホがまるで別人だというのはものをわかる人間には常識的な事である。だからコッホに、またゴッホにお互いを知っているかと聞かれても知らないと言われるのがオチだろう。だが学者というなんでも究明しなければならない困った連中がいて、彼らはまずその当たり前を疑うのである。たしかに医者・細菌学者のコッホ博士と画家のゴッホは国籍も職業もまるで違い恐らく会った事はないだろう。会ったとしたら何かしら本人の日記や周りの証言が残されているはずだが、そのようなものは残っていないので会ってはいないだろうと判断するしかないのだ。

 だが本当に互いを知らなかったのか。学者というのはこういう場合知っていたものと仮定して研究を進める。知らなかったと仮定して研究を進めるのは悪魔の証明であるからである。

 そうして研究を進めていく中で学者はコッホ博士の弟子が博士の晩年を記録した日記を見つけたのだった。この日記はコッホ博士の晩年を知る貴重な資料であったが、画家のゴッホの他国における影響と、そしてコッホがゴッホを知っていたという貴重な証言を含んだ大発見でもあった。

 その資料によると晩年のコッホ博士はひどい風邪に悩まされて度々寝込んでいたらしい。だが博士は風邪をひいてもなお己を見失わず、己が業績を永遠に語り継がせんと薬を持ってきた弟子を前に「コッホコッホ」と自らの名を連呼していたそうだ。しかし病状が進み、むせるようになるといつその名を知ったのかわからないが、あの画家の名を、若くして自ら命を絶った悲劇の画家の名を「ゴッホゴッホ」と連呼したのである。

 弟子の日記によるとその画家ゴッホの名を叫んだ時の声は自らの名を叫んだ時の声より遥かに大きかったという。こう叫んだときゴッホ博士はゴッホを自分より遥かに偉大な人物と思ったのだろうか。医者は目の前の人しか救えないが芸術は遠く離れた世界に住む人間を救い導く力を持っている。学者は日記のページをめくるごとに激しくなってゆくゴッホゴッホの叫び声に、コッホ博士のゴッホに対する尊敬と羨望を読み取った。日記の最後など全てゴッホゴッホで覆い尽くされている。まさかあの世のゴッホも死後自分がこれほど異国の医者に愛されるとは思わなかっただろう。結局ゴッホ博士の風邪はドラッグストアで三割引で売っていたバファリンで治ったのだが、コッホ博士はそれ以降も風邪を引くたびに症状が軽いうちは自らの名を連呼し、症状が重くなるとゴッホの名を連呼したという。

 もう一つ、これはまだ伝聞の段階で、まだ確証が取れていないが、画家のゴッホがコッホを知っていたという話も出ている。若かりしゴッホは激しい風邪にかかり、芸術家の私が風邪ごときに負けてたまるかとずっと「ゴッホゴッホ」と自らの名を連呼していたそうだ。だが、医者から処方されたドイツ製の薬のおかげで風邪が治りかけると、感謝のためか「コッホコッホ」とコッホ博士の名を連呼したという。ゴッホが呼んだのがコッホ博士であるとの確証は取れておらず、今はただコッホという言葉を連呼したということしか証明出来ていないが、もしゴッホがコッホ博士を知っていたとしたら一体彼はどこでそれを知ったのか。そしなにゆえに風邪で苦しんでいるときにわざわざコッホ博士の名を呼んだのか。学者たちはゴッホの不幸な生涯を思って深く考えるのであった。

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