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《長編小説》小幡さんの初恋 第二十一回:宴の後

 歓迎会はこうして終わり、参加者たちは大広間の戸から次々と去っていった。参加者の大半はそのまま自宅に帰るためにあるものは徒歩で、またあるものはバスやタクシーなどの乗り物を使って帰宅の途についた。しかしまだ飲み足りない猛者もいて、彼らは同僚と二次会だと言って居酒屋に行こうとしていた。

 新藤や岡庭も二次会に行くようだった。二人は社長と鈴木の元へ別れの挨拶をしてきたが、その際岡庭が鈴木に向かって「一緒に二次会行きましょうよ。俺鈴木さんとまだまだ話してえっすよ。バブル時代のキャバクラの話とかまだまだ聞きたいことがあるんすよ」と誘ってきた。しかし社長からお前は鈴木さんのストーカーかと嗜められたので彼は諦めて社長と鈴木とそれと寝ている小幡さんに挨拶をしてそのまま出て行った。

 社員たちはそうして次々と会場から出て行ったが、とある社員たちが社長の親戚の女子大生たちを連れて一緒に帰ろうとしていた。それを見た社長は真っ青な顔してすぐさま飛んで行って「バカ野郎!お前ら俺の姪っ子になんて事しやがるんだ!さっさとその手を離せ!大体お前もホイホイついて行くな!」と社員たちと姪っ子を無理矢理引き離して怒鳴りつけたが、しかしそれに不服な姪っ子が社長に口答えしたのでとうとう二人の間で口喧嘩が始まってしまった。社長は姪っ子に向かってお前は俺をなんだと思ってるんだと叱り、姪っ子は返す刀でお前はただのデブだろ!と罵った。その騒ぎに社員たちは集まって口喧嘩している二人を一斉に囃し立てた。社長は彼らに向かって叫んだ。「バカ野郎!これは見せもんじゃねえんだ!」

 外で社長と姪っ子が口喧嘩している中、一人で身の回りの片付けをしていた鈴木の元に丸山くんがやって来て「今日は貴重なお話ありがとうございました」と挨拶をした。鈴木は「今日は質問受けられなくてすまなかったね」と謝ると丸山くんは顔を綻ばせて「いえ、僕は鈴木さんの凄いエピソード沢山聞かせてもらっただけで有難いです。やっぱり鈴木さんって凄い人だったんですね。尊敬します!」と答えた。鈴木は丸山くんにお疲れ様と言って見送ろうとしたが、しかし丸山くんはその場を去らず、床に寝ている小幡さんを心配そうに見た。

「小幡さん大丈夫でしょうか?」

「いや、小幡さんは少し飲みすぎただけだ。丸山くんが心配することはないよ。もう遅いしお母さんも心配しているだろ?早く帰ってあげなさい」

「わかりました。あの、社長に挨拶したいんですけど……無理ですよね」

 外では社長と姪っ子がまだ罵り合っていた。

「バカバカバカバカ!」

「デブデブデブデブ!」

「……そのようだな」

「じゃあ鈴木さんまた来週よろしくお願いします。では!」

「ああ、こちらこそまた来週ね。来週から外回りデビューなんだからしっかり休むんだぞ!」

 丸山くんは鈴木に深くお辞儀をして帰って行った。鈴木はそのまま寝ている小幡さんを眺めていたが、先ほど小幡さんの話を思い出して一人呟いた。

「おとうさんか……」

 そして鈴木は明後日に会う息子の事を考えてため息をついた。もしかしたらアイツも彼女と同じように父である自分を想っているのだろうか。しかし彼は実際の息子の姿を思い浮かべてすぐに結論を下した。いや、多分それはない。その時ふと人の気配がしたので振り向いだが、そこには申し訳なさそうな顔で居酒屋の店員が立っていた。

「あの〜、お代を頂戴したいんですが……」

 鈴木は「ああ……」と恐縮してレシートを受け取って見た。結構な金額であった。彼は驚いて何度もレシートを見返して確認した。

「あの、今日中に払わなきゃいけないの?」

「ああ、そうですね……」

「しかし、肝心の担当者がみんな……」

 鈴木の隣の小幡さんは大いびきをかいて爆睡中であり、社長の方はまだ姪っ子と喧嘩していた。

「ガァー、ガァー」

「デブデブデブデブ!」

「バカバカバカバカ!」

「あの、申し訳ないけどレシートは受け取っておくから支払いは月曜日にしてもらえないか。担当者がこれじゃ今日は無理だ」

 店員はこの惨状を見て頷くしかなかった。

 鈴木は車で帰る居酒屋の店員たちを見送り、それから寝ている小幡さん以外誰も居なくなった大広間で歓迎会が残した爪痕を眺めた。店が持ってきた酒瓶は全て回収されたものの、こちらが自前で用意したグラスはそのまま放っておかれ、畳みにそのまま転がっていた。食いかけのツマミなども畳に落ちていたので鈴木は片付けでもしようかと立ちあがろうとしたのだが、その時いつの間にかそばに来ていた社長が自分を呼んだのでハッと振り向いて返事をした。

「鈴木さん今日は参加してくれてどうもありがとうございました。ハハハ、とんだお恥ずかしい所を見せてしまいまして」

「いえいえこちらこそとんだ醜態を晒して申し訳ありません」

 と、鈴木は先程延々と一人語りした事を詫びると店員からもらったレシートを社長に渡して支払いは月曜日にしてもらった事を伝えた。

「ああ!そんなことまでしてもらったんですか?いやぁ、誠に申し訳ない。しかしずいぶんお金がかかったなぁ。こういう事は小幡さんに全部任せっきりだからね。彼女にやってもらわないとなんとも……」

 その時また小幡さんが大きないびきをかきはじめた。いかにも幸せそうな表情で寝ていた。鈴木は寝ている小幡さんを見ながら社長に聞いた。

「あの、小幡さんはいつもこんなに呑むんですか?」

「いや、彼女は普段ほとんど呑まないんですよ。こういう飲み会の席でも一杯二杯ぐらいで。いつもはもう仕事の延長みたいな感じでまぁ冷静に仕切るわけですよ。だから今日俺はびっくりしたんですよ。あんなに酔っている小幡さん見たのは初めてですからね」

 それから社長は鈴木に向かってしみじみとした表情で言った。

「鈴木さん。俺、今回の歓迎会一番楽しみにしてたの小幡さんだと思ってるんですよ。彼女歓迎会やるって決めたときまずこう言ったんです。じゃあ鈴木さんも呼ばなくちゃってね」

「そうですか」

「丸山とか岡庭には悪いけど小幡さんは今回はあなたと呑むのを一番楽しみにしてたんじゃないかな」

 鈴木はたしかに小幡さんが自分に対して何度も歓迎会に参加者するかどうか確認してきた事を思い出した。そして彼は小幡さんが歓迎会の間中ずっとはしゃいでいた事を思い浮かべた。

「あなたも知ってるかもしれないけど、小幡さんのお父さんは、まぁ、この人は俺の担任だった人でもあるんだけど、彼女が小学校の頃に亡くなっているんですよ。そのお父さんといたときの彼女の態度と今のあなたへの態度がそっくりなんですよ。俺思うんですよね。彼女はあなたを父親のように思っているんじゃないかってね」

 この事に関して鈴木はなんとなく勘づいていた。歓迎会の間に小幡さんは何度か自分を見つめてきたが、その顔は明らかに父親を見る表情だったからである。

「実際あなたが来てから彼女すごく変わったんです。っていうか小学校時代のあの子に戻った感じかな。久しぶりに戻ってきたあの子を見て俺もおふくろもその変貌ぶりにビックリしたもんです。身長もそうなんですが。あっ、この子小学校の頃は全然小さかったんですよ!この子自身家に来る度にみんなが自分をチビだって馬鹿にするっていってたくらいだし。だからおふくろはよく小幡さんをあんなに小さかったのにってこの子を揶揄うんですよ。そして何より変わったのは性格ですよ。あんなに明るかった子がなんか暗い感じになっちゃって。彼女来るなり求人雑誌片手にいきなり俺たちに頼んできたんです。思い詰めた表情でここで働かせてくださいとね。その時事情は深く聞かなかったけどおおよその事は察したんです。あの子はお父さんが亡くなってからいろいろあったようですからね」

 鈴木はこれを聞いて小幡さんが一緒に帰った時や一緒に公園で昼食を食べた時に見せた暗い表情を思い出した。

「それが原因だと思うけど性格も妙にギスギスしたような感じになってね。でも小幡さんはあのバカの弟と違ってコミュ症じゃないから人との対応には全く問題なかったし、普通の会話もちゃんと出来たんですよ。ただ妙に人を寄せ付けない所があったんですね。しかも仕事を異様にこなせる子だから周りにはそれが無言のプレッシャーになっちゃったみたいで経理にはなかなか人が定着しなかっんですよ。まぁ、楢崎さんだけはずっといたんですが、あの人パートだけど親父の代からいる古株だし、心臓に毛が生えているような人だから」

 確かにそういう所が小幡さんにはあった。自分もずっと小幡さんにどう接していいものか迷っていたものだ。

「あっと、いまさらこんな事話すのはなんですが、二年前あなたが面接に来られた時俺と弟はあなたを採用しないって意見だったんですよ。だけど小幡さんが猛烈にあなたを採用したいって言い出したんです。俺たちがあんな人採用してもどうせすぐ辞める。というか我々は揶揄われているだけだなんてそう言って反対したんですよ。今思えばとんでもない誤解で本当に申し訳ないですが……」

「いや、大丈夫です。確かに履歴書だけでは人間は判断できませんから」

「だけど小幡さんはそれでもあなたを採用したいっていうんですよ。あの人は絶対にそんな人じゃない!絶対にやめない、いや私がやめさせませんってぐらいの勢いでね。結局彼女の言っていることは正しかったし、我々も彼女の人を見る目に改めて感心したんですけどね。だけど今思うと違うんだな。彼女が求めていたのは……」

 社長はここまで言うと一旦話をきり、そして寝ている小幡さんを見ながら言った。

「なあ、鈴木さんこの子のためにうちにずっといてくれないか。多分この子から契約の更新のことは聞いてると思うけど、俺が言いたいのはその先なんです」

 鈴木は社長のこの突然の言葉に動揺して社長と小幡さんを交互に見た。しかしすぐに社長が笑いながら謝ってきた。

「いや申し訳ない!まだ酔いが抜けてないんですよ!今言ったこと全部忘れてください!」

 鈴木ははぁと相槌を打った。

 その時廊下から足音が聞こえてきたので社長と鈴木は話をやめた。間もなくして戸が開き社長の奥さんが現れた。彼女は大広間に入るなりいきなり社長に食ってかかった。

「アンタねぇ、こんなに汚したら片付けなんて出来ないじゃない!」

「バカやろ!さっきおふくろが言ってだじゃねえか!こんなもの昔に比べたら大したことねえって!」

「私はお母さんに言ってるんじゃないの!アンタに言ってるの!どうすんのよこれは!」

「うるせえな!明日片付けりゃいいんだろうが!それで、おふくろと子供達はちゃんと寝てるのか?」

「寝てるわよ。子供たちは次郎さんに離れ追い出されたけどね。次郎さんがお母さん以外離れは立ち入り禁止だと言い出して」

「はあ、どうしようもねえなあいつは……」

「ところで」と奥さんは爆睡している小幡さんを指差して言った。

「あなたまさか小幡さんに変な薬でも飲ませたんじゃないでしょうね」

「バカ!人聞きの悪いこと言うな!彼女は今日はちょっと飲みすぎただけだ!」

 そう言って社長は鈴木を見た。奥さんは呆れて深い溜息をついて小幡さんを見ながら言った。

「とにかく小幡さんはどうするのよ。起こそうか?」

「いや、このまましばらく寝かせておこう。こんなに爆睡してるんじゃ滅多なことじゃ起きないだろう。小幡さんには今夜うちに泊まってもらおう。彼女のために布団用意してやってくれ」

「しょうがないわねえ。普段しっかりしている子がこんなになっちゃうんだからホントにお酒はいやあねえ」

 鈴木は小幡さんが泊まることになったのを見て、社長夫婦にじゃあそろそろ私も帰りますと挨拶した。すると社長が「どうも長い間お引き止めして申し訳ない」と謝ってきた。奥さんは「あらあら、主人のせいでごめんなさいね。じゃあ玄関までお送りしますわ」と言って夫婦ふたりで鈴木を玄関まで送った。そこで鈴木は「また来週もよろしくお願いします」と別れの挨拶をしたのだが、その時いつの間にか起きていた小幡さんが大広間からひょっこり顔を出して鈴木を呼んだのだ。

「お父さん待ってぇ!私も帰るから!」

 社長と奥さんはそんなに酔っているのに外を歩いたら危ないと慌てて小幡さんを止めた。しかし小幡さんは全く聞かず、「お父さんが一緒にいるから大丈夫!」と言って玄関まで駆けてきてそのまま鈴木の隣に来てしまった。

 これに奥さんは口をあんぐりと開けて小幡さんに向かってあぶないから今すぐうちに戻りなさいと呼んだが、しかし社長が鈴木さんは大丈夫だからと言って奥さんを宥めた。

「鈴木さんは真面目な人だからお前の心配するようなことは起こらないよ」

 そして社長は鈴木に小幡さんをよろしくお願いしますと言い、そして小幡さんにもまた来週と声をかけた。







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