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英国式庭園失踪事件

 ジェイムス・コッヘル卿が昨日から行方不明だと電話がロンドン警察にあったのは一時間ほど前のことであった。電話の主はコッヘル卿の使用人であり、彼は昨日からコッヘル卿を探していたが全く見つからないので警察に電話したと言った。警察はコッヘル卿の失踪に事件性を感じ早速捜査チームを立ち上げた。そしてチームの編成が終わると早速ジェイムス・コッヘル卿の家に向かったのであった。

 ガーデニングが趣味でプロ級の名人であったコッヘル卿が長い年月をかけて作った庭は美しく、それ以上に複雑怪奇だった。使用人に屋敷への道を案内されていた捜査員は迷路のようにあちこちに道のある庭に驚き、何も知らずに入ったら入ったら二度と出られないだろうなと思った。捜査員は先導する使用人を観察していたが、なんと彼も庭の道がわからないらしく、庭の道を描いた地図らしきものを頻繁に立ち止まって確認しているではないか。

「いやぁ、何十年もこの家に仕えているのにいまだに地図ないと道がわかんないんですよ。召使失格ですねぇ。地図を見ないと屋敷にも、敷地の外にも行けないんですから」

 使用人の言葉を聞いて捜査員たちはヒヤッとするものを感じた。この庭は急な凹凸があり坂を登ったり降りたりしていると時々自分がどこにいるのかわからなくなる事があった。このあまりに複雑怪奇な庭に捜査員は唖然として使用人にもしかしたらコッヘル卿は庭に迷われているのではないですか?と聞いた。使用人はそうかもしれませんなと答えてため息をついた。

「確かに旦那様はこの庭のどこかで迷われているのかもしれません。だけど見てわかるようにこの庭はあまりに複雑怪奇で地図を持っている私でさえ庭を全部把握できないんですよ。そもそもこの地図だって庭の一部しか書かれていないし」

 捜査員たちはこの使用人の言葉に呆れ果てた。なんでそんな作った本人さえ全体を把握出来ない庭ん作ったのか。捜査員の一人がキレ気味に使用人に尋ねた。

「一体全体、どうしてコッヘル卿はこんな庭を作ったのですが、いくらガーデニング好きだからといってこんな訳のわからないものは作らんでしょう」

「はぁ、それは旦那様に聞いてみないとわからないことですが、ただ私がよく旦那様からエッシャーという画家の話を聞きました。エッシャーはご存じですか?」

「だまし絵の人ですか?有名な画家だからよく知ってますよ」

「旦那様はそのエッシャーの大ファンで対抗意識すら抱いていました。俺もエッシャーみたいなとんでもないもの作りたいなぁと」

「じゃああなたはエッシャーにインスパイアされてこの訳のわからない庭を作ったと考えているのですか?」

「はぁ、それはあくまで私の推測でして真相は旦那様に聞いてもらわないとなんとも……」

 捜査員は使用人の話を聞いて完全に頭に来た。コッヘルはどうせ庭で迷ったに違いない。全くテメエの作った庭で迷ってちゃ世話ないぜ。この使用人の爺さんも半分ボケてるみたいだし、きっとコッヘルをろくに探しもせずにただいないので通報したに違いない。全くどうしようもないぜ」

 捜査員は再び使用人に言った。

「あの、屋敷はいいからコッヘルさんがいつも行っているとこ案内してもらえませんか?多分コッヘルさんはそこあたりで迷っているんでしょう」

 すると使用人は困ったような顔をして言った。

「いや旦那様はいつも馬舎にいるのですが、残念ながら私そこへの道わからないんですよ。私はほとんど玄関と屋敷の往復しかしませんので」

 捜査員たちは使用人の言葉に唖然として思わず大声を上げた。彼らは顔を見合わせて相談を始め終わると先程の捜査員が使用人に言った。

「あの、あなたの持ってる地図我々に貸してくれませんか?我々が馬舎に向かってコッヘルさんを見つけますから」

「はぁ、だけど馬舎はかなり遠いし行く道はもっと複雑だからやめておいた方が……」

「安心してくださいよ。我々は警察官ですよ。捜索のプロですよ。庭いじりが趣味の半ボケの爺さん一人見つけるなんてわけないですよ」

「でもですねぇ。この地図を見て馬舎まで行けるかどうか。もし行けたとしてもそこに旦那様がおられるかどうか」

「いいから貸しなさい!我々は急いでいるんだ!」

 使用人は捜査員の怒鳴り声に驚いて慌てて地図を差し出した。捜査員は地図を受け取ったが、地図は読むどころか見るけどさえ出来なくなっていた。

「あれ?なんでいつのまにかこんなに暗くなっているんだ?完全に真っ暗闇じゃないか。我々はさっきまで街路樹の中を歩いていたはず、どうしてこんな暗いところにいるんだ?」

「皆様、これも旦那様の趣向の一つでありまして。街路樹と洞窟を自然に繋げているワケです。入り口付近は天井を緑の金網などで囲って木立と見分けのつかぬようにしてあるのですが、奥へと進むにつれて本物の光の届かぬ洞窟となって何も見えなくなってしまいます。というわけで今は洞窟の中なのですが、地図を見てわかる通り洞窟の部分は屋敷までのルートしか書かれておりません。だけど洞窟は地上以上に複雑で無数のルートがございます。つまり何が言いたいかと申しますと、まぁ、その、迷ってしまったんですね。本来はすんなり屋敷まで行けるのですが、あなた方が物凄い剣幕でいろいろ聞かれたり、馬舎に行きたいとおっしゃったせいでパニックになってしまいまして……。ああ!申し訳ありません!私今自分たちがどこにいるのかわからなくてなってしまいましたよ!」

「はぁ?迷ったぁ?何言ってるんですかあなた。来た道を戻ればいいだけじゃないですか?」

「はぁ、そうなんですが…。その来た道を探すのが一苦労でありまして」

「一苦労ったって一本道を歩いているようにしか感じなかったがね。バカバカしい!何が迷っただひとまず外にでりゃいいだけだろ!」

「出られればいいんですが、先程街路樹と洞窟の境目に旦那様が施した趣向についてお伝えしましたが、洞窟内はそれ以上に様々な趣向がなされておりまして、例えば坂を登っているように見えて実は下がっていたり、逆に降りているように見えて実は登っていたり、またまっすぐ歩いているように見えて実はクネクネアリの巣の如く曲がっていたりと到底私の理解では追いつけないほどの仕掛けがありまして、一旦迷ったらもう脱出は不可能です」

「何が不可能だ!脱出できなきゃ死んじまうだろうが!俺たちが出してやるからジジイは大人しくついてこい!」

「ばぁ、そうしていただけるとありがたいのですが、脱出できるかどうか……」

「うるさい!黙ってついてこい!」

 捜査員たちは使用人をどやしつけるとさっそくスマホの灯りを頼りに来た道を引き返そうとした。だが洞窟にはアリの巣のように上下左右無数の穴があり、そのどれもが奥へと道が続いていた。捜査員たちはせめてなんかの頼りにとみんなで地図を見たが、使用人が言った通り地図には屋敷までの正しいルートしか記されていなかった。どうやって戻ればいいのかと捜査員たちは相談したが、そこに使用人が口を挟んできた。

「あの、皆様、一つ大事な事をお伝えするのを忘れてました。いつか旦那様が自慢げにおっしゃっていたのですが、この洞窟は屋敷を超えてロンドン全域に広がっているそうです。下手したら今私たちのいる場所は屋敷の外かもしれません」

 捜査員たちはこの使用人の言葉を聞いて命の危険を察知した。彼らは完全に動揺し自分たちはどうなるんだと口々に叫んだ。使用人は異様に落ち着いた声で喚いている捜査員を宥めた。

「こうなってはもう仕方ありません。後は死を待つのみです。私も生い先短い身。旦那様に尽くし続けて最期を旦那様が精魂込めて作り続けたこの庭園で死ねるなんて光栄の限りでございます。アーメン、旦那様、先立つ不幸をお許し下さい。私は一足先に天国へと参ります」

「勝手に参るなこのボケ!ああ!死にたくないよぉ!」

 捜査員たちは口々に泣き叫び、洞窟を脱出しようと我先に地上を目指して穴へとかけたが、誰も地上へは辿り着けなかった。

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