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海外文学オススメの十冊 六冊目:いいなずけ アントン・チェーホフ

 チェーホフといえばまず『桜の園』をはじめとする戯曲について触れなければいけないのだろうが、演劇をろくに知らず実際の舞台を観てもいない私がそれを語っても無意味だと思う。なので小説の方を語ろうと思うが、では何を語ればよいかとあれこれチェーホフの作品を思い浮かべるとまず思い浮かんできたのは『いいなずけ』である。

 この小説は結婚を控えた女性が生きる目的に目覚めて全てを投げ打って故郷を捨てて旅立つという話である。小説の舞台である田舎町の人々は皆無気力に苛まれている。主人公の女性ナージャの母も祖母も、そして婚約者のアンドレイも。ナージャはそんな人たちに心のどこかで違和感を感じながら疑問を持たず、他の人々と同じように結婚を夢見ていた。その彼女にこのままでいいのかといつも疑問を投げかけていた人物がいた。彼はナージャの遠縁にあたる未亡人の一人息子のサーシャである。サーシャは病気がちの青年で毎年夏の間にナージャの家族の家に泊まりに来ていたが、彼はナージャと話す度に、このまま親の言うがままに結婚して良いのかと問うていた。あなたはあなたの人生を生きなければならない。あなたには明るい未来が待っているのにそれを捨てるのかと。ナージャはこの会うたびに言われる説教にうんざりしてサーシャを疎ましく思っていたが、結婚の日が近づくにつれ、サーシャの言葉が頭を占めるようになる。彼女の周りにいるのは無気力に苛まれた人々だ。自分の無気力を自覚しながら何も行動を起こそうとしない婚約者のアンドレイ。人生に挫折した母。ナージャはそういうものを見て自分を待っている未来に耐えられなくなり、サーシャに今すぐにここから出ていきたいと訴える。そうして全てを捨てたナージャは数年後に久しぶりに故郷に帰った。祖母と母はアンドレイとの婚約を破棄して家を出て飛び出したナージャをさほど恨んでおらず、自らの人生を謳歌している彼女を諦めと共に受け入れる。家に滞在している時ナージャは療養に行っているというサーシャからの手紙を受け取った。その手紙はいつものように滑稽で踊っているような筆跡でこれから入院することになるという事が書かれていたが、ナージャはそれを読んでサーシャがもう長くないと悟った。しかしナージャはそう悟っても思ったほど動揺せず、自分が意外に平静であるのに激しく苛立った。そして翌朝、祖母と母の泣き声と、テーブルに置かれた電報でナージャはサーシャの死を知る。

 と、延々とあらすじを書いてしまったが、しかしあらすじでは当然紹介文にはならないので何か批評めいた事を書かなくちゃいけないので書く。この小説はいわゆるある女性の自立を扱ったものであるが、同時に作者チェーホフが戯曲『桜の園』や小説『退屈な話』などで描いた当時のロシアの人々が陥っていた無気力感を書いている。その無気力感はナージャの祖母や母、それに婚約者のアンドレイで徹底的に描写されているが、私はナージャに助言を与えているサーシャもまた無気力感に囚われた人なのではないかと思う。この青年は重い病気でなんの行動も起こせないのだが、それが故に自分の叶わぬ未来を想像し、ナージャに託そうとする。だがそれはあくまでも言葉に過ぎず、意地悪な見方をすれば絵に描いた餅に過ぎない。サーシャもまたアンドレイたちと同じように無気力な人間に過ぎないのだ。だから最後にナージャは彼を過去の人として遠くに投げさってしまうのである。それはサーシャの願った未来を現実に生きているナージャにとって彼の言った言葉は薄っぺらな言葉でしかないからである。

 このチェーホフ最後の小説はがそれまで作家が曖昧な形で終わらせてきた結末にハッキリとした形が与えられている。「ミシュス君はどこにいるのだろう」(『中二階のある家』)や「さようなら私の宝よ」(『退屈な話』)といった曖昧な言葉で終わる『空白のエンド』(私が勝手に作った用語)ではなく、ハッキリとこう締めくくられるのだ。

『あくる朝、肉親と別れて元気で郎らかに町を去って行った。それはナージャが思った通り、永遠の別れであった。』

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