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リブ・フォーエヴァー

 天気予報は午後から雨になることを告げていた。しかしそれは引きこもりの照山には全く関係ないことだった。ロックミュージシャンになるために高校を中退して東京には出てきたものの、自作の曲をまとめたディスクは全てレコード会社に黙殺され、たびたびやっていた路上ライブでは彼の少年性の極みのような歌は通行人達に思いっきりバカにされた。通行人の中には「そんなアホみたいな歌よりエグザイルでも歌え!」と罵声を浴びせるものもいた。ライブさせてくれとライブハウスに頼み込んだが、彼の曲を聞いた店員は嘲笑し、「こんなこっぱずかしい青春ソングなんて今どき流行んねえよ!早く田舎にけえれ!」と彼を追い出したのだ。

 完全に挫折した彼はだんだん外に出なくなり、今では完全にアパートの部屋に引きこもっていた。今日も部屋に引きこもって、家出するときに大学教授の父の書斎からかっぱらってきた、ロシアの詩人のマヤコフスキーの詩集を読んで一日を過ごしていた。彼は『ズボンをはいた雲』という詩の中の「ぼくの精神には一筋の白髪もない!」という一節を何度も読み返していた。そう、このときの彼には一筋の白髪もなかったし、あの悲劇の予兆すらなかった。彼は膝を折って壁によりかかりながら伸ばしきった長髪をかき上げて一心不乱に詩を読んでいた。

 そうして膝を抱えて詩をよんでいると、玄関のポストから紙の潰れるような音がした。多分郵便屋が封筒みたいなのを無理やり押し込んだのであろう。そういや郵便物全然取ってないなと思い、照山はポストを開けるために玄関へ向かった。

 郵便物には公共料金の催促やチラシの類に混じって何故か知り合いの友達らしい有神とかいうギタリストからの手紙があった。何故有神が自分の住所を知ってるのかと考えたが、どうせ知り合いから聞いたのだろうと照山は推測した。だが彼には有神の手紙などどうでもよかった。どうせ自分のバンドのライブの宣伝だろうと思ったのだ。しかし彼はとりあえず中身を見るだけは見てみようと思った。宣伝の類だったら捨ててやればよい。そう考えて照山は有神の手紙の封を開けた。

有神です。いきなりの手紙出してすみません。俺のこと覚えてます?結構前に佐久瀬から紹介されて会いましたよね?実は俺、あれから照山君のこと気になってて、君の路上ライブ観に行ったりしてましてたんですよ。ライブ観てすげえヤベエ事やってるってずっと感心してたんですよ。だけど観客はバカだからみんな君の音楽がわかってなかった。たく、何がエグザイルやれだよ!お前らは今そんなものより遥かにヤバイもん聞いてんだぞって思ったんです。最近は路上ライブどこでやってるんですか?最近見かけないから気になってます。それと、ってかこれが言いたくて佐久瀬のやつに住所聞いてまで手紙を出したんですが、暇があったら俺と一度会いませんか?会って一度ゆっくり話しませんか?

 照山は手紙を読んでいる間胸の鼓動を抑えることが出来なかった。やっと自分の理解者に出会えたのだ。僕の歌を認めてくれる人がいる。彼は感激に咽んで手紙を握り締めながら泣き出した。そして最後の文面を確認する様に繰り返し読んだ。

 有神と初めて会ったのは照山の高校の先輩であった佐久瀬のバンドのライブであった。佐久瀬のバンドと有神が所属しているバンドが対バンのライブをたまたま見たのだ。彼はその時の両バンドのライブをおぼろげに覚えている。正直に言って両バンドともオアシスのコピーバンドみたいなもので全てに於いて独自性が欠けていた。しかし有神のギターだけは光るセンスを感じ、こんなバンドにいるにはもったいないと照山は思ったものだ。ライブの後で佐久瀬から有神を紹介されたのだが、顔はハッキリ覚えていない。ただ長身のスラットした髪の長い男だったのだけは覚えている。

 手紙の最後の文言は明らかにバンドへの勧誘だった。あまりの突然の誘いに彼は動揺し思わず手紙を落とすところだった。


 照山は子供の頃から周囲の無理解に悩まされていた。彼は高校にいた頃、いつも授業中にギターをアンプに繋げてボリュームを最大限にあげてギターを弾きながらマイクで自作の歌を歌っていたが、そのたんびに教師たちは彼に「うるさい!」と怒鳴りつけ、ギターの電源コードを彼に断りもなくに抜き、彼の愛用のギターを没収だと言って取り上げてしまっていた。

 彼は当時付き合ってた女の子にも理解されなかった。デート中ずっとギターを弾きながら歌ってた照山に女の子が「私とギター、どっちが大事なの?」と聞いてきた。彼は勿論ギターと即答した。そしてら彼女は「じゃあ私と付き合う意味ないよね!」と怒って彼の下を去って行ってしまったのだ。

 照山は自分を認めようとしない田舎の人間に耐えられず、ここに自分はいるべきではないと東京に上京する事を決意し、すぐさま高校を退学すると、父親のへそくりとマヤコフスキーの詩集とそして彼の愛用のギターを抱えて東京に出てきたのであった。しかし東京でさえ彼は理解されず、今現在のような状況になっている。

 生まれてから誰にも自分を理解されなかった照山は初めてできた理解者の登場に戸惑いと恐れを感じ、いっそ手紙を破り捨ててしまえと手紙を掴んだが、しかし、これは自分に与えられた糸なのかもしれないとも思えてきた。

 有神に会うべきか会わざるべきか、照山は悩んだ。有神に会うのだったらまずは手紙の末尾にある電話番号に電話したほうがいいのだろう。しかし彼は先月から未払いで電話を止められていた。では、直接差し出し元の住所に行くしかない。あのドアを開けば俺は救われるかもしれない。眩しい光が俺を未来に導いてくれるかもしれないんだ。彼は手紙を握り締めたまま部屋を飛び出した。何日かぶりの太陽が目を突き刺す。照山は何か粒のようなものが自分に向かって落ちてくるのを感じた。上を見上げるとどうやら天気雨らしく、落ちる雨粒が太陽の光に反射してキラキラ輝きながらおちている。綺麗だと彼は思った。そして前を見ると太陽と雨が注ぐ中、長身の髪の長い男が道端の真ん中で立っている。まさか、有神?照山が彼をみると、長身の男はゆっくりうなずき雨の降る中彼に近寄ってきた。

「やぁ」と長身の男は照山に声をかけ、改めて自己紹介をした。

「俺有神。いきなり手紙出しちゃってごめんね。手紙出した後やっぱり直接尋ねた方がいいって思ってきちまったよ。で手紙に書いたけど……」

 長身痩躯の顔の濃い男である。こんなに顔の濃い男だったのかと照山は思った。照山はいつの間にか有神の手をとっていた。そして彼は言った。

「雨も降ってきたから、僕の部屋に入らないかい?」

 有神がいいよと笑顔で答えた。

 外は天気予報通りあっという間に大雨になった。二人は駆け足で照山のアパートへと入った。

「ヘェ〜、結構綺麗な部屋だな。うちとは大違いだぜ!」

 有神が照山の部屋に入るなりそう言った。

「別に普通だろ。あなたは部屋の掃除はしないの?」

 照山の異様にまっすぐな瞳でそう言われて有神は急に恥ずかしくなりさっさと話題を変えた。

「ヘェ〜、カート・コバーンにリアム・ギャラガーのポスターだ。あっ、尾崎豊のポスターまで貼ってある。お前尾崎好きなの?意外だなお前『窓ガラスの悲劇』って曲書いてたじゃん。あれ尾崎批判の曲だろ。一人の人間の自己満足的な行動が周りに悲劇を呼ぶっていう」

 照山は驚いて有神を見た。自分の曲をここまで深く聴いている人間に初めて出会ったのである。照山はこの男を信用できると思った。だから自分でも恥ずかしくて普段口に出来ないことを有神に告白したのである。

「ポスターをあってあるからってファンとは限らないよ。彼らは俺のライバルなんだ。僕は彼らのポスターを見て毎日思うんだ。いずれあなた達を乗り越えて見せる、って!そして僕がポスターを外す時。それは僕が彼らを超えた時なんだ」

 有神は照山が冗談を言っていると思ったが、照山の確信に満ちた表情を見てこれが冗談ではない、本気の本気であることがわかった。そしてこの男と組んだら俺は未来を掴めるかもしれないと思った。

「俺がここに来た理由は……」

「僕とバンドやるためだろ!」


 照山に自分の言いたい事を先回りで言われてしまった有神は照山をあらためて正面から見つめた。まるで少年性の具現化といっていい男だった。今有神の前にいる色白でか細い男は、子供でもなく大人でもなくただ少年としか言えないほど純粋な何かだった。

「そうさ。君の言う通りさ。俺は前のバンドを辞めてからずっと君を探していたんだぜ。まぁ、最初は佐久瀬を誘ったんだけど、アイツもう就活だからバンドなんかやってる余裕ねえとか言って断ってきたんだよ。そうしたときに思い出したのは君だった。君は他の連中と違って本気だって思ったんだ。ハッキリ言って一生バンドで生きてく奴なんて一握りしかいねえよ。しかも才能のあるやつなんて塵の山から宝石を探すもんさ。俺にとって君は宝石なんだ。なあ、俺と奇跡って奴を起こそうぜ!」

 照山はその少年の笑みを輝かせて即答した。

「わかった。僕もその奇跡って奴を起こしてやるよ!奇跡をありふれた日常にするためにさ!」

 有神はさっそく残りのメンバーを募集しようぜと照山に言った。「俺が声をかければそれなりの奴は集まるからお前がいいやつ選べよ」とまで照山に言う。すると突然有神がアッと声を上げた。なに?と照山が聞くと有神は、「そういえばバンド名決めてなかったじゃん!なんにする?まぁ、今日決める事じゃないけど……」と照山に聞いた。

「Rain drops」と突然照山が大声で言った。

 それがバンド名?と有神が聞く。すると照山が立ち上がり部屋の窓を開けて言った。

「僕達が会った時天気雨が降ってただろ?僕はその時太陽の光を反射した雨粒の美しさに見とれていたんだ。その一瞬の純粋な煌めきの美しさにね。その時僕はこんな純粋な音楽がやりたいって思った。だから僕達の新しいバンド名はRain dropsでいいかい?」

 有神はうなずき笑う。照山も笑う。外の大雨はすでに過ぎ去り。今は晴れて強い日差しが射していた。


 その後のデビューまでの話は簡単に済ませよう。Rain dropsとバンド名を決めた二人は、ベースとドラムのオーディションを何回も行い、そしてメンバーを揃えるとRain dropsとしてバンド活動を始めた。ライブ活動を始めた途端、今までの苦労が嘘のようにたちまちのうちに火がつき、かつて照山を馬鹿にしたライブハウスも『Rain drops御一行様大歓迎!神様、仏様、照山様!』と歯の浮くようなお世辞を述べ立ててRain dropsを歓迎したのである。彼らはあっという間にメジャーデビューを勝ち取りデビュー記念ライブを行った。満員のすし詰め状態で中で行われた熱狂のライブで、彼らRain dropsはライトに照らされて輝いていた。あの時の彼らには太陽に照らされた雨粒のような煌く未来しかなく、そして照山にはまだ一筋の白髪もなく、またカツラをつける必要もなかった。

《完》


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