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一杯のかけうどん 〜天かす、生姜、醤油つき

「かけうどんください」

 と母と子供三人の家族がうどんを注文した。店主はあいよとさっそくかけうどんを作り始めたが、母親は慌てて店主にかけうどんは一杯だけでいいと付け足した。はぁと店主はもう一度確認しようと思って母子を見たが、母と子供三人で全員つぎはぎだらけの服を着ていたので黙りこくってしまった。母親は店主に向かって申し訳なさそうに言った。

「申し訳ありません。うちは貧乏でかけうどん一杯分のお金しかないんです」

 この母親の言葉を聞いた客は一斉に家族を嘲笑した。四人でたった一杯のうどんを食う?全く呆れた貧乏人だ。お前らなんか残飯でも食っていればいい。そんな事を言うものもいた。母親はそんな客たちの嘲笑に耐えて店主に続けてこう言った。

「出来たらでよろしいんですが、天かすと生姜と醤油を多めにつけてくれませんか?この子たちいつもうどんをこうやって食べるんです」

 この母親の発言に客たちは一斉に笑い出した。そしてなんだコイツらは!かけうどんに天かすと生姜と醤油だって?そんな食べ方ホームレスでもやらないぜ!汚ねえな!帰れ帰れ!店が汚れちまうじゃねえか!と口々にこの母と三人の子供を嘲笑した。しかしその時主人がカウンターの奥から客を怒鳴りつけたのだ。

「おいお前ら!この方はうちのお客さんだぜ!お客さんをバカにする奴はさっさと店から出て行ってくんな!」

 この主人の一喝を聞いて客はみんな黙ってしまった。主人はかけうどんが出来上がると盆に乗せ、そして大量の天かすと生姜に小瓶の醤油も乗せて家族の元へ持って行った。

 子供たちははうどんが来ると目をキラキラ輝かせた。母親はそんな子供たちにお母さんが盛り付けするからちょいお待ちと言うと天かすの入った皿を持ち上げて全部うどんの中に入れてしまった。それを見ていた客は不快そうな顔をした。家族はさらに生姜の入った小皿から生姜を全部掬って入れ出した。子供たちはこの天かすと生姜をぶっかけたうどんをうっとりとして眺めている。このうどんのグロテスクな形状には客どころか主人まで吐き気がして思わず口に手を当てた。最後に母親は醤油の入った小瓶を持ち上げて天かすと生姜の上に5回回しでかけた。

「さぁ、お食べ。一人順番に一本ずつよく噛んで食べるんだよ」

 子供たちは礼儀正しく順番に一本ずつ麺をとって啜り出した。しかし子供はやはり子供である。天かす生姜醤油入りのうどんの美味さに耐えきれずついこう口走ってしまう。

「うんめえ!やっぱり父ちゃんは発明家だべさ。こんなうんめえうどんの食べ方発明すてよ!」

「やっぱり父ちゃんえれえだべさ。こんなうどんオラたつも早く父ちゃんみでえに立派なうどん職人になりてえな!」

「ハッハッハ!そんな気持ち悪いうどんの食べ方があるかよ!お前らの親父がどんな親父だか知らねえがそんなうどん作ってたら店なんてすぐに潰れちまあな!」

 口の悪い客がまた母子を嘲笑した。子供たちは父を侮辱された悔しさから泣き出した。母は申し訳ありませんとカウンターの奥にいる店主に頭を下げて謝ると、なけなしの五百円を置いて「お釣りはいらないですから」と言って泣いている子供たちを連れて店から出て行こうとした。しかしその時である。

「待ちなよ!」と主人は店から出て行こうとする母子を止めた。そして続けて言った。

「アンタたちが出て行く事はねえよ。出ていかなきゃいけねえのはお前だ!」

 先ほど家族を嘲笑した客は突然指差された事にビックリして固まってしまった。

「ここはお前見てえな薄情者に食わせるものはねえんだよ!代金は要らねえからさっさと出て行け!」

 薄情者の客は慌てて出て行った。他の客は店主の剣幕に恐れをなして黙ってしまった。それから店主は母子に向かって向き直り子供たちに向かってうどん美味しいかい?と尋ねた。子供たちは空のどんぶりを前においしいよと答えた。店主はそうかいとニッコリして頷くと今度は天かす入りのうどんのことを聞いた。

「いつもうどんに天かすと生姜を乗せて食べているのかい?」

 すると子供たちは満面の笑顔で答えた。

「死んだうどん職人の父ちゃんがいつもこうやってうどん食べてたんだべさ!父ちゃんいつかみんなこうやってうどんさ食べでぐんねえかなとか言っただな」

 店主は子供たちの話に驚いて母親に尋ねた。

「人のことを根掘り葉掘り尋ねるのはよくないと思うんだけどちょいとあなた方の事を聞かせてもらえませんかね?」

 母親はいいですよと答えて身の上話を始めた。

 母親の話によると彼女はに夫を二年前に亡くしていた。亡くなった夫はうどん職人だったという。うどん屋の前は普通のサラリーマンだったが、うどんが好きで自分でうどん屋をやりたいと思い立ち、脱サラしてうどん屋を開いたが、夫の自信作で店の目玉メニューでもある天かす生姜醤油全部入りうどんが食べもしない客から「まず料理は見た目でしょ」とダメ出しされて全く受け入れられなかった事が原因で潰れてしまった。それで落ち込んだ夫は間もなく病にかかって死んでしまった。それからずっと彼女は子供三人を一人で育てて来たそうだ。彼女は話の最後にたまらず泣き出した。

「あの人が美味しい美味しいってずっと食べていたのがこの天かす生姜醤油全部入りのかけうどんなんです!だけどお客さんはみんな食べてくれなかった。それどころかみんなうちの普通のかけうどんまで不味いとか言い出したんです!ホントにあの人の作った天かす生姜醤油全部入りうどんはまずいのでしょうか?かけうどんに天かすと生姜と醤油は入れてはいけないのでしょうか?」

 母親の話を聞いた主人と客は母親の話に涙したが、いざ天かす入りのうどんのことを聞かれると複雑な顔をして黙ってしまった。今母と子供のいるテーブルに乗せられている天かす生姜醤油うどんを見てもとても美味しそうに見えない。なんと言っていいものかわからない。しかし主人が何かを決したように母親と子どもたちに言った。

「じゃあ、あっしが同じようなもん作って見ますか」

 主人はそういうとカウンターの向かいの厨房でかけうどんを作りだした。それから出来上がったかけうどんに家族と同じように天かすと生姜と醤油をたっぷりふりかけたのである。やはりどう見てもまずそうだ。主人を見ている客も同じように思った。しかし彼は勇気を振り絞って箸で麺をつかむとそのまま天かす生姜醤油入りのかけうどんを口に入れた。

 何ということだろう。今までこんなかけうどんがあったとは!麺にまとわりついた天かすは麺のモチモチ感を一層際立たせ、生姜の刺激はまるで沖縄の塩のように汁の旨味に絶妙な刺激を与えた。そして最後に味を締めるのが醤油だ。この豆から絞り出した黒汁に色とりどりの味の色彩を与えいるのだ。麺と一緒に天かすを吸い上げてみると美味さのトリプルパンチで舌が麻痺してしまいそうになった。この主人の反応に客はビックリした。あんなまずそうなものがうまいと言うなんて。彼らはかけうどんをひたすら食べる主人を見守った。

 店主は一瞬でうどんを平らげて感激のあまり母子に向かって言った。

「アンタたちこんなうまいもん食ってたのかい?」

 すると子供がニッコリして答えた。

「うん、そうだべさ。でもな父ちゃんの天かす生姜醤油全部入りうどんの方が全然うまいべさ!」

「コラ!あなたたちはなんて失礼なことを言うの!」

 子供たちの失礼な返答に母親が慌てて彼らを叱った。しかし主人は母親に向かっていいんですよとなだめて、それから子供たちに向かって聞いた。

「坊ちゃんたちは将来うどん職人になるのかい?さっき言ってたじゃねえか」

「そうだべさ。オラたつ大人んなったらうどん職人になってよ。父ちゃんみてえに店開くんだべさ。だけんどよ、その前によ。父ちゃんのうどんのつぐりがた覚えねえとよ。とにかく早く大人になってうどん職人になりてえだよ。そすたら母ちゃんに腹一杯天かす生姜醤油全部入りうどん食わせてあげることができるだよ」

「んだ。母ちゃんに迷惑ばかりかけでるがらな」

「どにかく今は靴磨きやって母ちゃんを少しでも助けるだよ」

 この子供の話を聞いて母は号泣した。そして主人も客たちもみんな涙した。しばらくすると母子は主人に礼を言って出て行こうとしたが、主人は母子を引き留めて言った。

「坊ちゃんたち。将来店開いたらすぐに連絡してくれよ。いつでも食べに行くからさ」


 それから二十年近く経ったある日の事だった。すでにうどん屋を引退していた主人の元にかけうどん屋の開店の案内が届いたのである。主人は果て知り合いの子供がうどん屋でも始めたのかと思い、宛名を見たが全く知らない人間の名前が三人連名で書いてあった。彼はその名前を見ながら誰なのかずっと考えていたが、突然昔の出来事を思い出してハッとした。まさかあの時の子供が送ってきたのか?

 元うどん屋の老人は昔子供たちと交わした約束を果たすために案内状に記されたうどん屋まで出かけた。意外と近くにあったので歩きで充分だった。店の近くに来てみるとすでに行列が並んでいたので老人は後ろに並んだ。そうして並んでいると周りからは店の話をしているのが聞こえてきた。

「ここのうどん屋の天かす生姜醤油全部入りのかけうどんってマジ美味いんだぜ」

「ヘェ〜、名前だけ聞いたらすっげえまずそうなんだけど」

「ところがだよ。これがマジで超うまいんだよ!俺もゲテモノかなって思ってたんだけど食ってみたらマジで激ウマでそれから毎日昼はここに食いにくてるんだ」

 老人はこの言葉を聞いてやはりあのときの子どもたちが案内状を送って来たのだと確認した。彼はあの子供たちが無事成長してうどん屋を開業出来たことに喜んで早くあの母子に会いたいと思った。



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