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ヨーゼフvsホームズ 第八話:ノイケルン区××番地アパート666怪死事件  その5

「ヴュルテンベルク伯爵の封筒を見た我々捜査員一同は思わず涙ぐみました。特にヨーゼフ警視など『何という不幸な伯爵であろうか。このような事件に伯爵を巻き込んで申し訳ない。これも我々の至らなさから出たことなのだ!』といって自らを激しく責めたのです。そして手紙を読んだ我々は全員号泣してその場に泣き崩れたのです!手紙は伯爵の美麗な字でこう書かれていました。『我が友フリードリッヒ・ヨーゼフ殿。返信が遅れた事をここに謝罪します。貴殿からの手紙を拝読し、自分が事件の容疑者になっていることに驚き、筆すら取れぬ状態になっていました。貴殿が神と形而上学にかけて私を無実だと信じてくれていることに大変感謝しています。しかし私もドイツ人、しかも祖先は十字軍に参加した偉大なる騎士です。名誉ある家のためにも自らに着せられた汚名は自ら晴らさなくてはなりません。だからヨーゼフ警視、いつでも私の屋敷にいらしてください。私は貴殿の到着を心よりお待ちしています。』ああ!何という感動に溢れた手紙なのでしょうか。まるでシラーの『人質』の走るメロスのようではありませんか!友人を信じて自らを裁きに委ねる伯爵と、その友人の無実を証明するために涙を飲んで事情聴取をする我らがヨーゼフ警視!ああ!ゲルマン魂を持つものにしかこの友情の素晴らしさは理解できぬであろう!この二人の友情は崇高な精神を持つものにしか理解できぬのだ!そして我々はヨーゼフ警視を先頭にヴュルテンベルク伯爵の領地までメロスの如く走って向かったのです!我々が五人ほど脱落者を出しながらもどうにかヴュルテンベルク伯爵の屋敷の前に着き、目の前のまるでゲルマン神話にでてくるような雄大な庭園に見惚れていると、そこにゲルマン神話の登場人物のような若き伯爵があらわれたのです。伯爵は果てしなき長距離マラソンで息の上がった我々にビックリして尋ねました。『まさか、ベルリンから走ってきたのですか?』するとヨーゼフ警視が進み出て答えたのです。『勿論です伯爵。貴公を救うために!』取り調べはヴュルテンベルク伯爵の部屋で行われました。我々は、特にヨーゼフ警視は伯爵に事情聴取せねばならぬことに耐えられず苦悩のあまりなかなか話を切り出すことが出来ませんでしたが、伯爵はそんな我々の苦痛を和らげようとしてこう言ってくれたのです。『ヨーゼフ警視、そして捜査員の皆さん。私は大丈夫ですよ。何を聞かれてもすべてお答えしましょう』ああ!その一言を聞いた我々はどんなに救われたことでしょう!やはり偉大なるドイツ騎士の末裔です!ヨーゼフ警視は涙を浮かべながら伯爵に感謝の気持ちを述べて事情聴取をはじめました!」
 刑事はここまで言った時再び報告を中断した。そしてヨーゼフと目を合わせ互いにうなずいた。いよいよ事件の核心に触れる時が来た。その場にいたゴールドマン警視総監以外の捜査員たちはヨーゼフと刑事の態度を見て姿勢を正した。そして再び刑事は報告を再開した。

「ヨーゼフ警視はその勇気を振り絞ってヴュルテンベルク伯爵に尋ねました。『伯爵、あなたはクララ・エールデンなる女を知っていますか?』その名を聞いた伯爵はハッと顔を青ざめさせました。ああ!伯爵が無表情のままだったらどんなによかったか。もし伯爵が、そんな女は知らぬ。誰かと勘違いしているのだろう。と言ったら我々は、やはりあの豚並みの知性の小間使いの浅知恵から出た偽証と、さっさと小間使いと彼女に嘘をつかせたギンズブルクを逮捕して殺人罪でギロチン送りにしたことでしょう!しかしヴュルテンベルク伯爵は明らかに彼の女を知っていたのです!伯爵はエールデンの名前を聞いた途端、涙ながらに我々に訴えたのです。『ああクララ!哀れな女!私は彼女を愛していた!なのに何故あんなことに!』それを聞いたヨーゼフ警視は絶望のあまり頭を抱え激しく泣き叫んだのです。『ああ!なんてことだ!貴方のような貴族があんな精神的には豚同然である女に囚われるとは!あってはならぬことだ!』しかしです!我らがヨーゼフ警視は顔を上げて真実に向き合ったのです!ああ!淫らな娼婦に囚われた伯爵から全ての真実を聞き出すために!」
 ヨーゼフは立ち上がって胸に手を当てた。刑事は報告を止め偉大なるヨーゼフを仰ぎ見る。刑事だけではない。捜査員一同ドイツ帝国の英雄を崇めた。そして事件の報告はいよいよ事件の核心に触れようとしていた。女が毒を飲んで死んだあの夜に何があったのか。捜査員たちは勿論、ゴールドマンや我々の形而上学的な捜査会議にすっかりついていけなくなっていたホームズさえ上体を起こして耳をそばだてた。ヨーゼフは目を閉じ刑事に向かって言った。
「さあ続けたまえ」

「ヨーゼフ警視はヴュルテンベルク伯爵のゲルマン神話の神々の如く澄み切った青い目を見つめながら尋ねたのです。『伯爵、貴方はクララ・エールデンが殺害された日に彼女のアパートを尋ねましたか?』ヨーゼフ警視の目にかかっては何者も嘘はつけません。その目に見つめられたら最後、警視のその善悪の彼岸まで見通すようなその目に見つめられてどうして嘘をつけましょうか!私もヨーゼフ警視に睨まれてキャバに行ったことを自ら懺悔しました。ああ!いくら伯爵といえどヨーゼフ警視の眼からは逃れられまい。伯爵はそのあまりにゲルマン的形而上学的な苦悩を額のシワに寄せ『行きました』と一言、余りに重い一言をつぶやいたのです。ああ!その時のヨーゼフ警視の苦悩は如何ばかりだったでしょう。崇高な友情で結ばれてした友が事もあろうにこの精神的に豚に等しい女の中でも一番畜生に近い娼婦に悪しき誘惑に囚われるとは!『そう、貴族としてあるまじき振る舞いだと思いますが、私は気まぐれに行った娼婦館ではじめて彼女に出会ってからすっかり彼女に夢中になってしまったのです。ああ!憐れなクララ!彼女は貧しい生まれで親と兄弟のためにその身を売ったのです!私はそんな憐れな彼女を愛さずにはいられませんでした!もし私が貴族でなかったら、そして私がシャウムブルク=リッペ侯爵の令嬢と婚約していなかったら、私は彼女と結婚できたかもしれない!貴族の地位を捨てて彼女と駆け落ちしようとも考えました。しかし私には偉大なるヴュルテンベルク伯爵の家を捨てることはできなかったのです!彼女にその事を話した時、彼女は私に向かって優しく微笑みながらそれでもいいわ。と微笑んでくれました。その彼女がこんなことになるなんて!』伯爵はそう話し終えるなりハンカチを目に当てて泣き出してしまいました。ああ!なんと憐れな伯爵であろう!ヨーゼフ警視以下、我々捜査員は伯爵の告白に涙を禁じえませんでした。なんと慈悲深い伯爵なのだろうか!あのようなおぞましい賤業のものにさえ愛を授けるとは!しかし認識論を極めるヨーゼフ警視はあくまでも涙の向こうにある真実への探求を止めませんでした。いや、止められなかったのです。ああ!なんと悲しいほどに形而上学的な悲劇なのだろうか。どこまでも認識論的な真実を求めるあまり友情さえ犠牲にするとは!伯爵に向かってヨーゼフ警視は問いました。『私が事件当日にあなたがクララ・エールデンのアパートに通っていた事を知ったのは、銀行家のグスタフ・グロスマン・ギンズブルクの証言からでした。彼の証言によると彼がクララ・エールデンの部屋から退出しようとした時偶然玄関に入ってきたあなたに出くわしたそうです。伯爵、あなたはギンズブルクをご存知ですか?』すると伯爵は突然立ち上がりこう叫びました。『ギンズブルク!ギンズブルクだって!』



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