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哲学的コント 大は小を兼ねる

 現代の上野に復活したソクラテスは今トイレ部屋に入っていた。彼は部屋に入るとすぐさま大と小を一緒にした。気持ちよく出して一服した時ふと彼は便器に大・小とそれぞれ上下に記されたレバーを見つけたのである。ソクラテスはこの大小の文字の記されたレバーを見つけて頭を抱え込んだ。とはいってもレバーの使い方の事ではない。頭のいい彼はすぐにこのレバーは水で便を流すものだと理解した。彼が悩んだのはこのレバーは大用と小用に分かれているのに、それに気づかず大と小を一緒にしてしまった事だ。ああ!なんと私はバカな事をしたのだ。大小を一緒にしてしまってはレバーをどちらに選んでいいかわからないではないか。大は小を兼ねるとはありふれた慣用句だが、やはりその例に倣って大を押すべきか。いや、それはいけない。小さきものは大なるものの付属品ではないではないか。いくらネズミが小さかろうが、ゾウの付属品ではないようにこの便器のなかにある小なる液体も大なる茶色い固形物の付属品ではないのだ。これらのものは別の存在である。それを効率がいいからといって大で流していいはずがない。確かにネズミは像に比べたら遥かに小さく存在感もな今目の前で黄色く濁っている小もまた茶色く鈍い光を発している大に比べたら小判鮫のようなおまけ程度の存在感しか発揮しえていない。だがゾウとネズミが同じ生命であり、平等に扱われるべきものなのだ。同様に便器の中の大と小もこのソクラテスから出たものであり、その価値は同じだ。私はこれらを平等に処理するべきなのだ。私は大を小にかねさせはしない。大は大、小は小でそれぞれ流してやる。しかしそうしようにも便器の中の大と小は混じり切ってしまっていた。もはや割れたツボのように元の状態に修復することは不可能であった。ソクラテスはこの有様を見てさらに熟考した。大と小に同様の権利を与えるためにはまず小から流さねばならない。そうすれば小だけが流れて大は便器に残るのだ。あとは大を流すだけだ。だがしかしここでソクラテスは大変な事に気づいてしまった。小を押したら大の一部が流れてしまわないか。確かに大は固形物だから残るかもしれない。しかし一部が流れてしまう可能性がある。いや確実に流されてしまう。そうなったら大は小を兼ねるじゃなくて、小が大を兼ねるなんてあべこべな事になってしまう。猫がライオンが勝つような世界だったら物理法則が全く壊れてしまう。それだけはダメだ。しかしどうすれば良いのだ。小もダメならいっそ便器の中の大小の便を取り出すか。確かに割れたツボを完璧に修復することは出来ないように便を完璧に取り出すことなど不可能だ。だがこのまま大も小も流せぬまま無駄に時を費やすよりマシだ。だがやっぱりソクラテスは立ち止まってしまった。いや、やっぱりいかん。それは生命の原理に反する。この大小の便は自分が生み出したもの。ソクラテスよ、お前はそれを取り出してどうするのか。お前のやろうとしていることは母親が生まれたばかりの赤ん坊を腹に戻すのと同じ行為だぞ。いや、ダメだダメだ!そんな悍ましいこと出来るわけがない!ソクラテスは目の前の便器を見つめ大小の便をいかに処理しようか徹底的に熟考した。考えている最中に彼はとある建物の広場になんとかロダンという珍妙な名前の男が彫ったらしき彫刻を思い浮かべた。あの彫刻は若き日の自分そっくりだ。思えば私も裸でよく思考していたものだ。

 ソクラテスは考えに考えた挙句結局後の始末をオリンポスの神々に任せる事にした。それで気が楽になった彼は壁のトイレットペーパーを巻取り尻を拭いて意気揚々と部屋から出た。すると入れ替わりに目の細い蛮人が舌打ちして彼を押し出してトイレに入った。ソクラテスは古代ギリシャ最高の哲人の自分をなんだと思っているのかと怒ったが、しかし蛮人は知能が猿並みだから自分の言葉などわからないだろうと思い直し、鼻で猿以下の蛮人を笑ったが、その時いきなり部屋から蛮人の手が伸びてきて彼の首根っこをつかんで引っ張った。

 蛮人はソクラテスを部屋に引っ張ると彼の顔を大小の便が溢れる便器突きつけて怒鳴りつけた。

「おい、外人のオッさん!お前便器ちゃんと流せよ!お前の国じゃ出しっぱでいいんだろうけどここは日本だぞ!オラ早く流せ!でねえとこのままコイツにお前の顔押し付けるぞ!」

 ソクラテスは毒を飲むより怖い恐怖がある事を初めて知った。今自分はこの哲学どころか言葉も理解できない蛮人に顔をうんこに押し付けられようとしている。彼は恐怖に耐えかねて手を合わせて謝った。

「今すぐウンコ流すから許して!」

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