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《長編小説》小幡さんの初恋 第二十回:今、幸せですか?

 新藤が質問を発した瞬間、鈴木がビクッとして突然黙り込んだので皆驚いて鈴木を見た。進藤は鈴木のこの反応を見てマズいことを聞いたと慌てて「いや、僕は鈴木さんのこと全く知らないもんで、もし嫌だったら答えなくて全然いいです」と言って質問を取り消そうとした。しかし鈴木はいや大丈夫ですと答えると昔結婚して妻との間に一人息子ができたが、息子が8歳になった時に離婚した事を話した。

 小幡さんは鈴木が離婚している事は前に本人から聞かされて知っていたのだが、今この状況であらためて聞かされて自分でも不思議なくらい悲しくなった。彼女は鈴木の離婚に至る事情を想像したがその時イヤな出来事を思い出して頭を振った。

 鈴木はこの新藤の質問で一気に現実に引き戻された。甘い過去のノスタルジーなど一瞬にして消えてしまった。鈴木はため息をついて自分がいささか調子に乗っていた事を反省した。酔っていたからにしてもあまりに調子に乗り過ぎた。そうして反省しているとあの出来事が浮かんできた。自分の輝かしいキャリアを全て終わらせた決定的な事件である。彼はその事件の事を無性に話したくなった。恐らく酔いのせいばかりではなかった。恐らく自分の中に未だにある未練が燻って外に出ようと暴れているのだと思った。それで彼は皆に向かって尋ねたのである。

「あの、話したい事が一つあるんだけど話させてもらっていいかな。まぁ、僕の最大の失敗談なんだけどね。多分この出来事がなかったらこうしてみんなと一緒に仕事をすることもなかったし、こうして一緒にお酒を飲む事はなかったんだよ。勿論無理強いはしない。みんながイヤというなら話さないよ」

 この鈴木の問いに丸山くんが「聞きたいです!」と即答した。他の連中も次々と聞きたいと答えた。皆今までの話で鈴木という今まで謎だった男の人となりは一応知る事ができた。しかし一番肝心な事はまだ聞いていなかった。大手商社で幹部クラスにまでなった男が何故こんな辺鄙な町にやってきたのか。皆一斉に鈴木に注目した。

 みんなの一心に自分を見つめる顔を見て鈴木は若干の緊張を覚えながら喋り始めた。

「別に暗い話じゃないから笑って聞いくれていいよ。聞く人によっては非常に間抜けな話だと思うから。三年前のことだ。僕は離婚したものの、社内の評判はよくて順調に、今考えてみれば順調すぎるぐらい出世して本部長にまでなった。事業本部の統括さ。周りの同僚や部下からは近いうちに取締役の就任あるぞなんて言われてね。自分もそれはないとか人には言ってたんだが、実は自分でもいずれ取締役になると感じていたんだ。だから僕はそのために、今となってはバカバカしい事だけど、役員になるための勉強まで始めていた。だけど人生は順調な時ほど落とし穴が待っているってのは本当だね。僕はまんまと人生の落とし穴に落ちてしまったんだ。落とし穴を仕掛けたのは会社の経営から弾かれて今では取締役の一席を占めるだけになった創業者一族の男。僕の大学の先輩でよく学生時代からよく世話になっていた男だ。つまり僕は会社の派閥抗争に巻き込まれたんだよ」

 鈴木の話をここまで聞いた所で小幡さんはハッとして社長を見た。社長も同じような顔をして小幡さんを見ていた。小幡さんは鈴木と面接した時の事を思い出したのだ。小幡さんと社長は鈴木の職務経歴書を見て、経歴の最後に一身上の都合により退職とあったので彼にどういう理由で退職したのか聞いたのだが、その時鈴木は会社と合わなくなったとか言葉を濁して語っていた。小幡さんは当時その事が妙に気にかかっていたが、鈴木と一緒に働き始めるようになってからすっかり忘れていた。

 今鈴木はその一身上の都合で会社を辞めることになった経緯を語り始めていた。鈴木は自分でも意外に客観的に話せることに驚いていた。彼は皆にも分かるように話そうと自分を石田三成に例えて語り出した。

「つまり僕は関ヶ原の西軍の大将の石田三成のようなものだったんだ。最新の学説によると三成はどうも家康と仲は悪くなかったらしいんだな。僕も当然ながら家康みたいな小太りの社長を始めとする現経営陣と仲は悪くなかった。すべてはあの毛利輝元のような創業者一族の男の仕組んだことだった。毛利輝元といえば通説では三成に利用されたと言われていたが最新の学説ではどうやら彼が関ヶ原の首謀者である事がわかってきたんだ。その奥さんは淀殿みたいな人で二人の息子は秀頼みたいに太っていた」

 皆は鈴木のこのこじつけも甚だしい例えにどんだけ歴史好きなんだよと呆れたが、話自体は非常に興味深かった。順風満帆に出世していた男が陰謀に巻き込まれてゆくストーリーはどこか半沢直樹等の企業もののドラマを思わせるところがあった。

「その創業者一族の男と一緒に飯を食べていたら彼が現経営陣への不満を言い出したんだよ。このままだったら俺の一族の会社が破産するとか言い出してね。確かに当時は不祥事が立て続けに起こって株主の一部からは経営陣を一新しろという意見が起こっていた。彼は僕に他の取締役の連中に声をかけてくれと頼んできたんだ。彼は念を押すように言ったよ。『お前だったら俺よりよほど取締役連中に顔が聞くし頼まれてくれないか。別に俺たちが経営に復帰するわけじゃない。ただ一緒に会社を救いたいだけなんだよ』本当だったらこの時彼の企みに気づくべきだったんだ。正直に言ってあの時僕も疑いが頭を掠めたよ。だけど僕は彼が自分の先祖が田舎から江戸へ渡り歩いて小銭を稼いでやっと立ち上げた会社が没落していくのはこれ以上見たくないと真摯に語る姿に動かされてしまったんだ」

 それから鈴木は自分が創業者一族の男と取締役連中のパイプ役になった事を語った。『僕は自分でも驚くくらい熱心に彼らを説得したよ。是非彼と会ってやってくれって』そして創業者一族の男のために走り回っているうちに、いつの間にか自分がクーデター劇の首謀者のように語られるようになった事を語った。

「創業者一族の男の連絡係をしていただけなのにいつの間にか反乱の首謀者みたいに言われるようになってしまったんだ。本当に僕は最新の学説で明らかになった石田三成そのまんまの状態だよ。家康のような社長をはじめとする現経営陣は僕を警戒して、一方毛利輝元のような創業者一族の男はますます僕を焚き付けて後もう少しで我々の立場を確保できると言い出した。僕はここに至ってようやく自分が派閥抗争に利用されている事に気付いたんだ。全く本部長にまでなっていたのに自分のバカさ加減には呆れたよ」

 そこまで言うと鈴木は一旦話を止めて周りを見た。皆固唾を飲んで鈴木の話の続きを待っている。鈴木は喉が渇いたので水が飲みたくなって近くにいた店員に水を持ってきてくれるよう頼もうとしたが、小幡さんが遮ってなんと酒を鈴木のグラスに注いできた。鈴木は驚いて小幡さんを見たが、その鈴木に対して彼女は満面の笑顔で酒を勧めてきた。

「さぁ、どうぞ鈴木さん。これ飲んで喉の渇きを癒やしてくださいね」

 鈴木の話はもう最終コーナーを回っていた。彼は小幡さんが注いできた酒を軽く飲んで続きを始めた。

「噂では相当の金が飛んだらしい。だけど僕は当時全くその事を知らなかったんだ。ただ言われるがままにやっていただけだからね。真相を全て知ったのは全てが終わった後さ。毛利輝元は僕に会う度にお前を巻き込んですまんと言い訳がましく謝っていたよ。そして僕の奮起を促すようにこう言ったんだ。『こうなってしまったからにはもう止まれない。次の取締役会でアイツらを全員追い出してやる』だけどだ。結果は我々の大敗北。我々の関ヶ原は歴史と同じようにあっさりと勝敗がついてしまったんだ。小早川秀秋みたいな創業者一族の親戚の取締役が歴史と同じように我々を裏切ったせいさ。だが噂によると小早川秀秋は元々現経営陣の方に付くと話はついていたそうだけどね。まぁこれも最新の学説で明らかになった事と一緒さ。戦後当然取締役の買収の件は問題になって毛利輝元は何度も尋問されたらしい。だがその時輝元は全て私に唆されたと大嘘をついたんだ。彼によると僕は取締役の地位が欲しくて甘言を弄して自分を騙したんだそうだ。こんな無茶苦茶な言い訳など当然誰も信じる訳がない。たが相手は創業者一族だ。いくら創業者一族でも名ばかりのものだったらすぐにでも会社から追い出すことが出来ただろう。しかしこの一族はまだ隠然たる力を持っていておいそれと追い出すことは出来なかったんだ。だから結局僕が全ての責任を背負わされて結局会社を辞める羽目になったんだ」

 鈴木はここまで語り終えるて深いため息をついて肩を落とした。そして彼は皆の顔を見ながら最後にこう言った。

「というわけでこれが僕がここに来るまでに起こした事件の顛末さ。この派閥抗争は週刊誌にも載ったんじゃないかな。三段段ぐらいの記事でさ。まぁ、ありがちな話だからたいして話題にはならなかったけどね」

 鈴木がこう話を終えると皆一斉に拍手をした。すげえとかいう歓声もちらほら聞こえた。鈴木は皆に対して聞いてくれてありがとうと何度も感謝の言葉を述べたが、その皆の拍手を聞きながら改めて自分が置き去った過去を思って胸が苦しくなった。鈴木が晴耕雨読の生活に憧れていたのは嘘ではない。彼は会社を退職してからかつて夢見ていたその生活を実践するためにここまで来たのだ。だがこうして改めて自分が置き去った過去に向き合ってみてその大きさに慄いてしまうのだ。過去というあまりに大きすぎて持ち出す事が出来ずにそのまま置いてきた荷物。しかし誰も引き取ってはくれず、ゴミの回収業者は彼の前に現れてこういうのだ。「すみません。このゴミですが大きすぎて市としても粗大ゴミとしても回収出来ないんです。専門の業者がおりますのでそちらにご連絡お願いします」鈴木は自分の中に溢れてきた悔恨の感情に耐えられず目を潤ませながら言った。

「だけど、僕の人生って何だったんだろうね。いや、誤解して欲しくないんだが、僕はこの場所やあなたたちに全く不満があるわけじゃないんだ。むしろ僕みたいな人間を快く受け入れてくれて感謝している。だけど今までの人生をこうやって振り返ると自分は本当に何もなし得なかったと思うんだ。さっき父の事に少し触れたけど彼は非常に嫌な人間で母にも僕にも酷く高圧的に当たり散らしていた、僕はそんな父に反発して彼のような生き方は絶対にしないと決意していたんだ。だけど皮肉な事に父は母と僕に囲まれて死に、対して僕は結婚に失敗して息子とも離れ離れになってしまった。全くどっちが正しいのかわからないよ。僕は妻と離婚する時になんとしても息子だけは手元に置いておきたいと思った。だけど冷静に考えて僕にはあの子の面倒は到底見切れない事に気づいた。僕は海外出張が多かったからね。だから仕方なく息子の親権を妻に譲ったんだ。僕は息子と別れる際に僕は言ったよ。『僕らは離れ離れになっても、ずっと一緒だ。僕は何があっても君を見捨てたりはしない』ってね。だけどそんなのは言葉だけだ。言葉で僕の想いなんて息子に伝わるわけはない。結局僕は人生に全て失敗したんだ」

 ここまで話したところで鈴木は我にかえりハッとして周りを見た。皆明らかに気まずそうな表情をしていた。鈴木は慌てて謝った。

「あっ、申し訳ない!酔ったせいでどうしようもない事を喋ってしまった今のことは忘れてく……」

 しかしその時小幡さんが鈴木の喋りを遮るかのようにはい!と勢いよく手を上げて岡庭を呼んで言った。

「岡庭君、私鈴木さんに質問があるの。だからいい?」

 岡庭はこの小幡さんの突然の行動に驚いて慌てて小幡さんにじゃあどうぞと質問を振った。岡庭から質問を振られた小幡さんは鈴木をまっすぐ見つめてこう尋ねた。

「鈴木さん……今幸せですか?」

 小幡さんからの思わぬ質問にたじろいだ鈴木は「あっ……ああ」と曖昧な相槌を打った。すると小幡さんは鈴木に向かってこう言ったのだ。

「そんな返事じゃダメなんですよ鈴木さん。幸せなら幸せだって幸せそうな顔で答えてくれなきゃ。本当なら、幸せじゃない時だって子供には笑顔で幸せだって答えてほしいんです。私のお父さんは自分が苦しい時もいつも私にたいしてはいつも笑顔でいてくれたんです。私そのお父さんの笑顔見ているだけで嬉しかった。私お父さんからどんなに辛い事があっても人生に失敗したとかそんな暗い話を聞きたくないんです。それに多分鈴木さんのお子さんにだって鈴木さんの想いは届いているはずなんです。だって私もお父さんに同じこと言われたから。私、そのお父さんの言葉があったからどんなに辛い事も耐えてこられたんです。だから鈴木さんも子供の前でもう人生に失敗したなんて言っちゃダメですよ!」

 鈴木は小幡さんのこの説教を聞いてなんだか実の娘に叱られているような気分になった。鈴木は小幡さんの自分を見つめる目に父親を思う娘の視線を感じた。会場から小幡さんの鈴木へな壮大な拍手と歓声が起こる。拍手が鳴り止んだ後小幡さんは鈴木にもう一度さっきと同じ質問をした。

「鈴木さん、今幸せですか?」

 鈴木は今度は笑顔で幸せだと答えた。小幡さんはそれを聞いて満面の笑みで鈴木のグラスにお酒を注いで言った。

「お父さんお疲れ様。いっぱい飲んでね」

 ここでまた拍手が起こった。皆小幡さんと鈴木に向かってヒューヒューと囃し立てた。皆「お父さん!」と口々に鈴木を呼ぶ。そして鈴木がグラスの酒を全て飲み干すとこの夜一番の拍手と歓声が鳴り響いた。

 小幡さんはそれから異様にハイテンションになった。笑顔をあちこち動き回り参加者にお酒を注ぎ回った。彼女は思い余って丸山くんにもお酒を注ごうとしたが、真面目な丸山くんが手でグラスを塞いだのでなんとかことなきを得た。そうしてかんげいかいは盛り上がったまま終会した。






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