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短い会話

 三年ぶりの東京のオフィスはさほど変わっていなかった。勿論人事異動でどこかに飛ばされた人間もいるし会社をやめた人間もいるし新しく配属されていた人間もいた。僕が戻ってきた時顔見知りの同僚たちはお前が帰ってくるのをずっと待っていただのと思ってもいないだろう的な事を言っていたが、僕はそんな相変わらずな同僚たちを見てなんだか安心した。僕は三年前に福岡に転勤になったが、福岡の事はあまり記憶に残っていない。あそこで遭った出来事の大半はすぐに思い出せるが、その時自分がどう思ったか、どう感じたかの部分が一切思い出せない。人間は年を取ると外界から刺激を受けなくなるつ聞くが、自分もまたそういう段階に入ったのだろうか。

 僕は今外の定食屋でランチを食べ終えてオフィスのあるビルに向かっていた。ビル前には何台かのベンチがあり、そこでオフィスで働いている人間が腰掛けていた。僕がまっすぐビルの入り口に向かおうとした時、入り口そばのベンチに座ってパンを頬張っている同僚と目があった。目が合うなり同僚は僕に声をかけてきた。この男とはよく休み時間に喫煙所でタバコを吸いながらいろいろ話したものだ。しかし今僕はタバコをやめているのであまり話す機会がない。同僚は今日はどこで食べたのかと聞いてきた。僕がさっき食べた店の名前を言うと、彼は続けて福岡はどうだったとか聞いてきた。だが僕には福岡のことなど大して話すことはなかったので豚骨ラーメン以外は東京と同じだと答えた。すると彼は不服そうな顔をして黙りこくってしまった。

 僕はなんだか気まずくなったのでふと昔退職した二人の共通の知り合いの男を思い出し同僚に彼の思い出話しをした。同僚はその男の事のなると急ににこやかになった。彼とその男は親友といっていいぐらいの間柄でよく互いの家に行っていたそうだ。同僚は男が会社を辞めてからも変わらず付き合っていた。僕は彼から男の消息を聞いていたものだ。同僚はどこか遠い目をしながら男の事を語った。その男は会社のいじられ役でいつもみんなにいじられていた。僕も彼が会社にいた頃はよくからかっていたことがある。僕はなんだか彼が無性に懐かしくなって同僚に彼は今どうしているのかと聞いた。すると同僚は怪訝な顔で僕を見て言った。

「あれっ?お前知らないの?アイツ一年前に死んだよ」

 僕は友人が冗談を言っているのかと思って笑って聞き返した。

「いや、冗談もなにもこれ本当のことだから。俺アイツのお母さんから聞いたんだから」

「死んだって。どうして死んだんだよ」

「お母さんの言うことにはどうやら事故死らしい。俺も聞いた時マジかよって疑ったよ。スマホ通じないから家に電話したらお母さん出ていきなり言われたんだから」

 僕が知り合いの死を聞いて亡くなったという事実に対する驚きよりも、何かを失った事を知った事がこんなにも平凡であっさりとしたものなのかという違和感の方が遥かに強かった。今さっき話題にしていた人物はもうこの世にいないのだ。同僚は僕の反応を気まずそうに見ていた。彼はオフィスに戻ると言って逃げるようにビルの中に入っていった。

 一人残された僕は在りし日の知り合いの姿を思い浮かべ、すでに彼が故人である事を信じがたく思った。人生とはこのようにあっさりと身の回りのものを欠落させていくものなのだろうか。なんだか空の黒く浮かぶ裂け目が一層濃くなってくるのを感じた。僕は空の裂け目を見ながら、いい加減眼科に行かなければと思った。

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