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遺書No.540 感性を否定する感想文批判。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2005.12.26
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知識欲は普通にあるにも関わらず、
本を読みたいなとすごく思うのにも関わらず、
なぜかどうしても読書が好きになれません。


こんばんは、みーくんです。


実は俺、マンガか大好きだけど、
小説も好きなんです。


・・・気持ち的にはね。


実際は殆ど読みません。
好きなような気がするけれども、
読むのは苦手です。
なんでこんなに実際に読書すると苦手なのかは分かりません。


そいえば、
皆さんは読書感想文てヤツを書いた事がありますか?
ま、おそらく義務教育を受けた人なら
ほぼ100%書いてますよね。


夏休みの課題。


俺ね、
この感想文てのが、本当にもう大嫌いだった。


素晴らしい本や映画などを見たりして、
その素晴らしさを文章や言葉で表現するなんて、
愚の骨頂だと思ってた訳なんですよ。

しかも、文字数まで指定してくる訳ですよ?

アホかと。
バカかと。


ありゃ一体、俺たちの何を計りたかったんだ?
当時から漠然とそんな感じの想いを抱いてた。


ちなみに、文字を書くというか、
文章を書くのは全然嫌いじゃないんです。

むしろ、
作文なんかは好きな方だったかも知れない。
ただ、どうにもあの読書感想文てやつだけが
大嫌いだったのですよ。


そんな俺はね、
一回だけ読書感想文に、

『最高におもしろい!! 読めばわかります!』

とだけ書いて提出してみた訳なんですよ。


すると、
あの低能な新米国語教師はね、
「あかん 書き直しや」
とバッサリですよ。


どうしてその一言なのかなんて、
当然考えもしない訳ですよ。


「なんでですか?」って聞くと、
「短すぎる」と一言だけ。


「短い」ってなんだ?('A`)


長けりゃ内容なんてどうだっていいのかい?
質より量を求める現代っ子め!!

おかげで感じもしなかった事などを、
延々と書かされるハメになった訳ですよ。


・・・そんなの感想文といえるのか?


大人が読んで満足するような、
及第点をくれるような教師好みの文章を書いて提出してましたよ。


・・・俺の価値観なんて、

求めてねーじゃんか(*σ´∀`)σYO!!


俺の感性を全否定しやがった訳ですよ。
感想文を書かせといて、
感性を否定しやがるんですよ。

それが大人のする事か?
教育とは何ぞや?


『コイツに教わる事なんて何もない』


と確信した瞬間でしたね。

俺は、自分が感じた事を、
自分の言葉で表現したいんだ。

今から大事な義務教育期間を迎える子供達にも、
そうあって欲しいと思ってる。


でもやっぱり今の時代、
良い子のみんなは先生に嫌われちゃうから、
真面目にダラダラと大人好みの、
「創作感想文」を綴ればいいよ。。


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2021.12.19
毎日遺書を書き始めた当時540日目の投稿内容。
読書感想文、素直な感想じゃ及第点も怪しい。
表現する練習は分かる。でも本音を求めてる訳じゃない時は気付くよね。。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。