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書く、ということ
noteを始めて、一週間近く経ったであろうか。
小さいころから物語を描いたり、本を読んだりするのが好きで、将来は本に関わることがしたい、なんて漠然と考えていた。
中学生ほどから、ものかきになりたい、と明確に思い、高校も大学もそれに向けて選び、特に大学時代はひたすら本を読んで、書いてきた。今思ってみても、あれほど熱中できた時間はなかった。
もっと言うと、あれほど落ちていたときもなかった。
私にとって書くことは、それだけ私の命に直結していたように思う。
作品を生み出す、ということは、それだけ死に近づくことだと思っていたし、それが深く研ぎ澄まされるほど、反動で生み出されるものが輝くと信じていた。
実際、書いているとそこに入りこみすぎてしまい、夜に眠れなかったり、何かありもしないものが聞こえたり、精神的に追い詰められるようなことが多かった。
私は、でも、もう、今後、それだけの没入や熱意、気持ちは持てないと思う。
働くようになったからというもの(職を選ぶにもいろいろあったのだけれど)、うまくものを書くことができなくなった。ごく稀に、さて書くか、と思うものの、同じようなところをぐるぐるしているだけで、何も進んでいなかった。小説として、文章を描くことができなくなっていた。
職場で幸いにも、ひと月ごとに記事のようなものがあり、それに言葉を載せて、表現する場は与えられた。それは偶然ではあったが、楽しいものであった。
私にとって書くことは、自分がどんな存在であるのか確かめるツールであるのと同時に、それを伝えたい、という想いを表現できるものでもある。
noteの存在を知ったのは、たまたまであったが縁でもあったのだろう。少なくとも、今私に必要なものであることは間違いない。書くことができ、書いたものを伝えられる場所。
何か、想いを伝えられる。何か、形にできる。何か、何か。
あのころのように没頭することはできないけれど、私は私として、私を生きている証を、きっと、これからも書くことができる。かもしれない。なんて、そんなことを、改めて思ったのだ。
そんな大層なものでなくてもいい。私が今思う、それを、表現することができたら。
そうして、毎日更新したい、と思いつつ、仕事にかまけてあげられないこともあったが、無理のないペースで、続いていけたら、と考えている。
願わくば、何か伝わるもの、届くものがあれば。そして、
これからも、書き続けていかれたら、と、切に思う。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。