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寄る辺なく綱の外れた舟として解体工事現場を仰ぐ

2020年6月、以前四四田が働いていた喫茶店が閉店した。
かつての直属の上司からの連絡でそれを知った。
この歌はその時に詠んだ歌だ。

働いている間の店の体制、従業員たちと経営サイドとの折り合いは、決して何もかもがうまく行っているわけではなかったけれど、ただ、それでも従業員たちはみんな、その店をとても愛していたと思う。
素敵な、唯一無二の店だった。

社会的状況下によって、休業は余儀なくされてはいた。それでも、再開に向けて動いているのだと信じていた。それが、突然の閉店。

四四田はすでに、別の場所で働いていたので、直接の影響はなかった。
けれど、そこに行けば会える人たち、そこに行けば見える景色、味わえるはずのものが、もう二度と元に戻らない。
その一方的な事実に、身体が震えた。

呼びかけて、集まってみたいような気になった。

でも、実際にはそんなことは実現しなかった。
そもそも、四四田は全員の連絡先を知っているわけではないし、四四田は本当を言えば人と会うのが苦手だ。

だからこんな思いつきは、感傷に浸った一時的な気の迷いだし、そもそも辞めてから随分経っていて、知ってる人間もだいぶ少なくなっていたのだ。

そんなわけで、この歌は事実ではない。

でも、叶わないからこそ、心の中で自由に、同窓会のように、みんなで集まっているようなつもりで、もう入ることのできない店を眺めた。

勘違い、いや、お門違いだろうけれど、店がある間は、離れていてもどこか繋がっているような気がした。
みんなその店の子どもたちだった。

でももう店はない。だから僕らはどこにも繋がっていない。
それぞれが寄る辺なく綱の外れた舟として去っていく。

いずれにせよ、変わらないものなどない。
そのことをしみじみと思い知らされた。


短歌初出:「かばん」2021,9月号

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