一人称のはなし
僕は、僕という一人称を好んで使う。日常的な会話の中でも使うのだけれど、文章中で使うそれが最も居心地が良い。(ちなみに日常的な会話の中ではありとあらゆる一人称を使う。子どもの頃からの癖で、まるで聞いてる側を惑わすかのようだが、そういう意識もどこかであるのかもしれない)
これから書く内容に少なからず影響するので、一応書いておくと、四四田は生物学上の性別としては、シスジェンダーの女性である。普段自分の性別に重きを置いていないが、女性として扱われることへ率先して違和感を感じもしないので、やはり自分はシスジェンダーの女性寄り、と位置付けられると思う。
違和感は持たずにいる。けれど、どうして性別を理由に自発的に選べないものがあるのか、という疑問には幼稚園の時点ですでに出会い、社会と自己との間に軋轢があった。自分は自分と一致していて何の違和感も覚えていないのに、社会が当たり前のように自分に与えようとするものの中に、苦痛を感じるものがままあった。
幼稚園を卒園する頃、これから小学校へ上がる心構えについて、当時仲の良かった友達と三人で話し合った記憶がある。女の子は僕だけで、あとの二人は男の子だった。少し年上のお兄さんがいるAちゃんという男の子が、僕ともう一人の男の子に、「小学校では」という内容で滔々と語った。
僕にも兄がいたのだが、僕と兄はかなり年が離れていて、遊び仲間ではなく保護者的な存在だったし、僕の認識の中ではすっかり大人の領域にある(今思い返せば彼も十二分にまだ子どもと言って良い年齢だったのだけれど)兄から、小学校の話は聞いたことがなかった。
Aちゃんが「少し年上」くらいの年齢関係にあるお兄さんから聞いたという小学校の話、はリアリティがある有益な情報のように感じた。
その日は、園庭の隅にある雲梯の足元に集まって話していた。
小学校に入るにあたって、とにかく自分の名前をちゃん付けで呼んではいけないし、お母さんのことをママと呼んではいけないらしかった。もう大きくなって、いつまでも小さい子のようにしているのは恥ずかしいのだとAちゃんは言った。なるほど、と僕は納得した。幼稚園に通うのは小さな子だけれど、自分たちは大きくなるのだ。まずは言葉使いから変えていかないといけない。そのことが、もうすぐ来る卒園と入学の準備のようでワクワクとした。
僕は、前述の兄の影響で両親のことは「お母さん・お父さん」と呼んでいたので、そこでは困らないで済むようだった。
懸念されるのは一人称の問題だった。
僕と、仲良しの男の子たちとは、全員一人称が自分の名前だった。〇〇ちゃん、とお互いを呼び合っている名前は、そのまま本人の一人称だった。
「小学校ではこうはいかないから」とAちゃんは言った。
じゃあ自分のことをなんと言えば良いのか。
「やっぱりオレかな」と男の子二人は言った。
僕は、二人と仲が良かったので、自分もそうすると言った。仲が良かったので、わざわざ変えないといけないものがあるのなら、一度はお揃いにしたかった。すると「四四田はダメだよ」と言われた。
ダメとは。
僕はなぜダメなのかは理解出来ずに、「じゃあボクにする」と言った。兄の一人称がボクだったのだ。二人とお揃いのオレがダメなら、選択肢はボクになる。日常的に聞いている一人称だ。なにしろ僕にとって兄は大人なので、彼の選ぶものに間違いはないようにもどこかで思っていた。
「ボクもダメだよ」と二人は大笑いした。
そして大笑いしてから、まだ何が問題なのか理解できていない僕にこう言った。
「四四田は女の子じゃん、ワタシしかダメだよ」
僕は、その言葉をものすごく理不尽なものに感じた。その時まで、育った家で性別を理由に何かを制限されたことが、少なくとも認識している限りではなかった。性別を理由に何かを具体的に制限される、それが自分に降りかかった初めての経験だったかもしれない。
なぜ女の子は「ワタシ」以外の言葉で自分を呼んではダメなのか?理由が分からずに二人に聞いたが、二人はとにかくダメなのだと言った。なぜダメなのかを聞いているのに、なぜダメなのか、という疑問を抱く事自体が悪いことのようにして、二人から怒られた。2対1で分が悪そうだが、僕は自分が納得できないことに関して一歩も引かない部類の子どもだった。とにかくダメなんだ、そうきまってるから、普通はそうだ、みんなそうしてる、を繰り返す二人が僕を説得することはできない。
それでも二人も僕を相手に引かなかったので、しまいにはケンカになった。
ケンカになった後の記憶は覚えていない。
僕は自分の名前にちゃんを付ける一人称を改めずに小学校にあがった。仲の良い女の子の友達ができて、一人称は「ワタシ」になっていった。けれど納得はしきれず、時たま一人称のことでケンカをしたことを思い出した。僕は次第にありとあらゆる一人称とされる言葉をその時その時の自分の一人称にするようになっていった。小学校を卒業する頃の僕の一人称は「ワシ」だった。僕のそういう一人称の選択を、周りの友達は特に疑問を抱かずに受け入れた。そういうおふざけをするキャラクターとして認識されていたのかもしれない。
ところで「僕」という一人称を日本で最初に、自覚的に使うようになったのは、幕末のことで、長州の武士で兵学者の吉田松陰だと言われている。彼が使い始め、彼が主宰する私塾、松下村塾の塾生の間で広まっていったという説があるそうだ。そう思うと案外最近の言葉だ。
周りよりも己をへりくだって表現しているとも、君主はただ一人(つまりは天皇を示す)であるからという理由で全てを同等に下に置く意図があったとも言われているらしい。
どういうつもりで使い始めたのか。新しいもの好きのように思える節があるので、こちらが思うほどには大した理由でなく始めたことかもしれない。松陰29歳の短い生涯で「僕」という一人称に対する明確な記録は無いようだ。
件の男の子二人とは、上がる小学校はバラバラだった。一人は学区域が違って少し離れた公立の小学校へ行き、僕は通っていた幼稚園から少し歩いた先にあるやはり公立の小学校に入った。Aちゃんとは同じ学区域だったが、Aちゃんは私立の小学校に行った。そうしてそのうちに遊ばなくなったけれど、一人称のことでケンカしたあとも仲直りはしたのだろう。卒園式で一緒に遊んでいる写真が残っている。
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