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#3 カフカ短編『断食芸人』

いつの時代にも流行があり、それが廃れかけるとまた次の流行が来る。
流行にとらわれずに生き残るには、常に変化し続けることが必要なのかもしれない。
特に、現代はそういう遷移が速すぎて。年齢を重ねるにつれて変化についていくのも必死感が出て来る。こういう姿はあまりカッコよくない。
時代を経ても変わらずにいいと思えるもの、古くても時代遅れだとしても自分がいいと思えるもの、または新しいもので、たとえそれが一過性のものだとしても、自分がいいなと思う感覚を大切にしたい。

今回読んだ『断食芸人』は、文字通り、断食し続ける芸人の話。
この種の興行はかつて流行し、脚光を浴びた時代もあった。
断食芸人は、檻の中で青ざめた顔で笑みを浮かべたり、ひどく浮立った肋骨を見せたり、やせ細った腕を人々に触らせたりする。かつては、予約客もあらわれるくらいに大勢集まった時もあったのだ。しかしそれも今は昔、すでに落ち目の芸人という感じだろうか。それでも、断食芸人はその芸の変化を拒む。

「断食芸」で検索してみたら、カフカの創作というわけではなく、実際にそういう芸が昔のヨーロッパであったという記載を見た。
人間が日に日に衰えやせ細っていくさまを見てあれこれ言いながら楽しむのだろうか。人間離れした細い身体を怖いもの見たさで見物するのだろうか。
今は逆に、たくさん食べる大食いの姿を見て、人々の関心を集める芸もあるからねえ。

今年初の彼岸花を見た。
季節ごとに咲く植物に流行はないよね。

世間はもう断食芸への関心は薄れているというものの、この芸人は断食し続ける。興行主は断食の上限を40日と定めていたのだが、それを超えてもやめようとしない。むしろなぜやめねばならないのかと不満なのだ。

最終的に、人気の落ちた断食芸人は動物舎の隣に並べられ、人々が動物を見るついでに断食芸人も見る感じとなる。
そのうち本当に過去の人となり、存在が消えかかってしまう。

ある日の断食芸人と現場監督との会話。

「まだ断食やってるんですか?」
「いったいいつになったら止めるつもりなんです?」
「俺はさ、断食するしかないんだよ。ほかには何もできない」
「でも、どうして、ほかに何もできないんです?」
「それはさぁ」
「俺の口に合う食事に出会えなかったから。そういうのに出会ってたら、俺だって、こんな大騒ぎしないで、たらふく食ってたよ。あんたや、みんなと同じように」

本文より、一部省略

「口に合う食事に出会えなかった」が、断食芸人の最期のことばとなってしまったわけだが…

彼が変化を拒み、命をかけてまで断食を続けたのは、意地でも誇りでもなく、彼はこのようにしか生きられない人だったんじゃないだろうか。
普通はみんな、当たり前のように食事をするし、美味しいものを食べて幸せだと感じたりするけれど、みんなと同じことができない人だったのかもしれない。
でも、そういう食べない生き方、いわゆる普通じゃない生き方を人々に称賛してもらいたかったんじゃないだろうか。

「ずうっと俺はさ、俺の断食、みんなにすごいと思われたかったんだ」
「でも、すごいなんて思わないでもらいたい」

本文より

すごいと思われたかった?でもすごいなんて思わないでもらいたい?どっちよ? なんて思っていたけれども、どっちもなんだろう。

断食がすごいというよりも、食事というみんなが当たり前にできることができない自分をみんなと同じように認めてもらいたい、っていう思いを感じる。
だから、断食芸人は流行が去っても変化しないんじゃなくて、そもそも変化できなかったのかもしれない。

実は読了後はここまで感じなかったんだけれど、ここに綴っていたら、だんだんこのように思えてきたのだ。
ま、私が感じたまでのことだけれど、『断食芸人』で、まさかここまで考えることになるなんて思わなかった。。

彼岸花ってある時突然咲いている
葉見ず花見ず

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