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イマドキの向こう側ー3年ぶりの海外研修 旅は終わり、生きるが始まる

コロナの3年を経て久しぶりに同行させていただいた、海外研修のこと。
このときの出来事の鮮度が失われないうちに、書いておきたい。
ここまでの経緯は、前の前の記事から。

そして、村へ

農村と出会う。
よくある展開だと思う。私自身も19年前にそれをこの場所で経験した。
そして、ここに出会う前と出会った後で、世界が変わった。
正確には世界は変わってないけど、それと向き合うこちらは激変した。

前回の記事で少し書いた“スン“という音とともに現れるイマドキの使い手の皆さんと村へ。(スンは私の頭の中でだけ聞こえるんだけども。でも確かにあるんですよ)

Sambor Prei Kuk遺跡群の最寄り。もう15年近くお世話になっている人たちの元に到着。途中、コンポントムの町で、到着した順にそれぞれで昼を食べてもらって、村に着いたのは14時過ぎ。少し暑い、穏やかな午後。

お母さんたちへの顔つなぎをし、水浴びとトイレの作法を一通り見てもらったら完了。夜ごはんまで、特に予定はないよ。思い思いにどうぞ。と伝える。
「水浴び、どうする〜?ってかどうしよ・・・」とか言っている声を高床の上に残し、こちらはこちらで久しぶりにきたそのお家の周囲をぶらぶらしながら、
ああ、鶏の囲い、こんなふうにしたんだ、とか、
え、あれ?この間まで中学生じゃなかった!?いくつになったの?
15歳っす。えー!声変わりしてる・・!とか、
親戚のおばちゃん発言をしながら、その場の空気に身体を馴染ませていく。

キッチンを覗くと、おばあちゃんが土間に座って夕食の準備。
手元にカボチャ。
早々に高床の上から降りてきた何人かに
「おばあちゃんもうごはん作ってるよ〜」と声をかける。
「え、もう?まだ14時半なのに??」と言って彼らがわらわらよってくる。

「おばあちゃん、ご無沙汰してます。今日もしかしてカボチャ炒め?」
「そう、カボチャとね、パイナップル炒めと、あとカレーね。」
キッチンにはお家の女性たちが勢揃い。同行してくれた女性ガイドさんも一緒に土間にいる。キッチンはそういう場所だ。
彼らの何人かが、キッチンの戸口で「入っていいのかな?」と覗いている。

「おばあちゃん、入っていいかって」と聞くと
「いいよ、マオ(おいで)」と返ってくる。入ったら、流れは自然に生まれる。
「なんか手伝ったりできるんですか?」
「おばあちゃん、なんか手伝っていいかって」通訳。
ばあちゃんの隣にスペースが作られて、誰かが座って、カボチャ切り。
他にも何人か登場して、キッチンの人口密度が上がってくる。

カレーに入れるから割ってきて。
その家の少年が頼まれたココナッツ割に、外で子どもたちと遊んでいた男子たちが参加。大ぶりのナタでココナッツの厚い外皮を剥いで、割る作業。12歳のトラがお手本を見せてくれる。慣れた手つきで動きも軽い。
あーなるほど、おお、すげえ。え、でもできるっしょ。
1人が手振りで「俺、やるわ!」と伝えていよいよ、ナタが彼らの手に渡る。軽そうに見えたナタは、全く狙ったところに当たらない。
トラはじっと近くで見守ってくれている。

通常の5倍以上の時間をかけて割ったココナッツを持ってキッチンにいくと、次は削る作業。手動ココナッツ削り器の使い方をお母さんが見せてくれる。
お母さんのにっことした笑顔とともに、ココナッツが彼らに渡される。
ゴリゴリゴリ。ゴリゴリゴリゴリ。
「これ、もういいですかね?」土間の端に腰掛ける私に質問がくる。
「ばあちゃん、もういいかって」キッチンの要、ばあちゃんに聞く。
「まだまだ。白いところ全部。」と指で示すおばあちゃん。
「えー、まだか!」
再びゴリゴリゴリ
「ハウイ(もういい)?」
「ナウ テー(まだまだ)」
「えー、まだだったー」
このやりとりのループの中でクメール語の「まだまだ」を覚えた彼ら。
その手前にはばあちゃんの隣で黙々とニンニクの皮を剥き続けるチーム。
誰かが、代ろうかと声をかけたけど「いや、大丈夫。もうちょっとやる」と。
その手元のまな板に、おばあちゃんが次のニンニクをコロコロ載せる。

キッチンという空間に染み込み始めた彼らを見て、その場を離れる。2つの空気が混ざったら、あとは彼らだけで十分いける。道の反対側からくる午後の日差しは、まだ少し高くて強い。

しばらくすると、キッチンからパラパラと彼らが出てきた。
「たぶん、だいたい終わったから、あとはやるよ〜って言われた気がします」
いいねぇ。お母さんたちから、それを受け取ったんだね。
土間の奥で、お母さんたちも笑っている。さっきまでギラギラだった日差しが夕方の柔らかさに変わった。

なんとなく、太陽に呼ばれたような気がした。

「ちょっと出かけよっか」彼らに声をかける。

村の一角にある、古代の遺跡が現在の家屋のすぐ裏手にあるお家を訪ねる。
今回泊めてもらうおうちの数軒先の、牛たちの囲いの裏が、もう7世紀。

「ここにさ、昔はでっかい街があったんだよ、たぶん」
それだけ伝えて、全員でまっすぐな道を歩く。
陽が傾いてもまだ少し暑い。どこに向かうかも知らされないまま歩く。
日本での“いつもの“話題で盛り上がっていた彼らに「え、なんなのこの時間?」な空気が漂い始めたころ、両側のカシューナッツ畑が終わり、視界の全てが田んぼになった。どーんと開けたその向こうに、まさに今日を終えようとする太陽。

あまりにも気持ち良い広がり。カラッカラに乾いた田んぼに降りて、畦に座る。
「ここが7世紀の、そのでっかい街の、かなり真ん中あたり」

情報はそれだけ。畦に座ったこちらにつられるように、彼らも田んぼの中にパラパラと広がる。でも腰を下ろすほどは、まだここに馴染んでいない。
えーすご。超きれい。静かになる人。素直な反応。太陽と記念撮影する人たち。

でも、消費する時間はすぐに薄まる。

小波が寄せるように戻ってくる、いつもの話題、いつもの空気。“今、ここ“にいない感じ。

ああ、そうか。もしかしたらこのために、今日ここにきたのかな。この場所と、この瞬間と、真正面から向き合う経験をしてほしい。
全自分で、この世界と一緒にいる時間を持ってもらえたらいい。

「クワイエットタイム、やってみようか」

ただ、ひとりだけで、静かに座る15分。
ただそこに、いる。田んぼの上に。太陽の前に。ただ、いる。

言葉にされない“なにこの時間“part 2。一瞬漂う「え、どーする?」という空気。
でも、それは圧倒的に存在を放つ太陽さんとでっかい空の前にあっという間に溶けていった。彼らがどんな状態か、真横の畔に並ぶ彼らの方に視線を向けたい気持ちをぐっと堪えて、背中を田んぼにベタッと預けて空を見る。

大丈夫 、信じよう。この空と、彼らを。

手元の時計がちょうど15分を告げる頃。でっかくて赤い太陽さんが、椰子の木の葉っぱの上に沈んでいった。クワイエットタイムの終わりは太陽が教えてくれた。椰子の葉っぱの奥にスッと赤い姿が消えたとき、それぞれがふうーっと息をついて、“ひとりの世界“から戻ってきた。

ただ、それだけ。
本当に、ただそれだけの出来事。

でも、この太陽との時間が、この旅の鍵になる瞬間だった。確実に。

あの田んぼと太陽と空が、彼らの細胞に沁みていって、外に向かって散り散りになっていた彼らの感覚が、それぞれの中にスーッと戻ってきて、収まった。

ホームステイの初日に、これが起こってよかった。なんの計画もしていないけれど、あの村の、あの夕方の方が、彼らに必要なものを知っていた。そして、用意してくれていた、あの特別な15分を。

これが、村の懐。
その懐で、私たちはこの時も、大切なものを受け取った。
太陽を見送ったあと、彼らは全員そこにいた。この時から、村を後にするときまでずっと、“スンという仮装をしたイマドキの日本の大学生“はどこかに消え、17人の人間、ひとりひとりがそこにいた。そして、それぞれがそこにいることに、それぞれが安心していて、それぞれがそこにいることで、その場がとてもゆたかになった。

そして“彼ら“がはじまった

この3日目の出来事から5日目、この州にいる最後の日までの間に、生身の彼らから語られる言葉たちは珠玉だった。

こちらが「場」を用意したら、彼らの中から自然に言葉が生まれてきた。学習して、発表するというのとは違うプロセス。違う表現。

「学ぶというより、感じるっていう瞬間が多くて」
「途切れていないっていうか、続いているんだなぁって。遺跡も、今も」
「食べるってこういうことだったのかって。これも切れ目がない。続いている」
「ああ、自分にもできるんだ。自分でいられるんだって。」
「居ていいんだよって言われている感じ」
「普段の自分は、どうだったんだろうなって」
「あの一緒にサッカーした子、絶対笑ってほしくて、めっちゃ頑張ったっス」

言葉にするごとに、小さな手がかりをそれぞれが掴んで、次につなげていくような。そのすべてが、生きることにつながっているような。

この言葉たちは、今、なんの形にも残っていない。資料としてはどこにも出せない。あの瞬間にいない人には届かない。

でも、でも。
彼らの細胞のなかに、宿っているものがある。きっとそれらは、彼らを通して、どこかに出現する。彼ら自身の、彼らの周囲のどこかに。
村の懐で受け取ったことが、村ではないどこかに種として広がる。
その種が、彼らの、または彼らの大切な誰かの生きることに寄り添う。

それがたぶん、ここで起こることの本領。村の懐が与えてくれることの真価。
どこか他人事な、求められるであろう何かのなかに埋没していくようなイマドキ感を離れた彼らの輝きたるや。
その輝きが、彼らと、彼らの周囲にある世界を照らしますようにと願わずにはいられない。

“主体性ごり押しおばさん“は、なぜ

3年ぶりの海外研修。やっぱり終わった後はしばらく戦闘力0になる。鮮度のあるうちにと言いながら、1ヶ月も引っ張ってしまうほどに。こちらにとっても余韻があり、消化するのに期間が必要な時間。

もし仮に、なんらかの要因で、1人の人のなかに宿るこの輝きが大切にされず、この社会に出現しきっていないのだとしたら、それは経済の伸び悩みや少子化など、可視化されている課題を凌駕するレベルの重大事だよ。
“流行りの主体性をゴリ押ししてくる嫌な人“(*彼ら談)と認識されたとしても、嫌だって思われているだろうなと思ったって、それをこちらがやめないのにも理由がある。

主体性は、今の時代にそれが評価されるから大事なんじゃないよ。

生きることは、芯に重心乗っけた時の方がくるんです。ぐっとね。

その“ぐっと“のときに生まれる熱が、社会をあたためる。
ただでさえ、冷え性気味な世の中の空気を読みすぎて、一緒に冷えていかなくていいよ。私たちは、忘れてるけどあたたかさの中で生きているし、忘れているけど自ら熱を生み出せるし、忘れているけど近くの誰かをあたためることもできる。それを、村と村のお母さんたちと、その土地が重ねてきた時間という懐を借りて思い出す瞬間をつくる。

もし、必要とされる場があるならば、また。

“彼ら“としてここに登場してくれた皆さん、ありがとう。楽しかった。
彼らを包む環境を一緒に用意していただいた皆さん、ありがとうございました。
どうやら、ぐっときてもらえたようです。


2023.4.5
1ヶ月くらい、噛み締めながら、ゆっくりと。



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