イマドキの向こう側ー3年ぶりの海外研修受け入れ記 プロローグ

“あの3年“を超えて

2023年春、久方ぶりに大学生の海外研修企画、コーディネートとファシリテートまでを担当させていただいた。

従来Napura-worksの本業のひとつであった「日本の若者たちと一緒に村に入って過ごすこと」。インターンシップ、ゼミ・学科の海外研修、プログラム、形は違えど「イマドキの若者」と言われる学生たちと一緒に村で過ごしてきた。村という場を借りて、彼らひとりひとりの本当の魂の輝きが表れる。その場にいることは、こちらにとっても長く永く身体の細胞に刻まれるような時間だった。

けれど、“あの3年“の間に、旅するzoomを経て、ホテル業を始めるに至り、すっかり働き方、在り方、暮らし方も変わってしまい、若者たちと過ごす感覚が遠く遠くなった。きっとこちらが感じる以上に、下から上を見上げたときのほうが遠い。20歳の頃、40歳なんて想像の外側で、随分と大人だと思っていた。

それならきっともっと彼らに年齢が近く、きちんと地に足をつけてやっている人と学ぶ方が良い、私は同じくらいの年齢層やライフステージの人たちへとシフトしていこう、と真剣に考えて、学生たちと過ごす仕事から離れようとしていた。

仕事を選ぶなんて、と怒られるかもしれない。でも、実際にどんな人の在り方や言葉が響くかに、年齢やライフステージは大いに関係していると思う。
私が経験したのは20年前の大学生であり、20年前の大学生を取り巻く空気だ。なおかつ、そこからここまでの20年のほとんどを私は日本で過ごしていない。
“あの3年“で日本との距離の大きさをより強く感じるようになったので、もう役割は終わったと本当に思っていた。

でもってやつですよ

20年近く前にまさに私をこうした「地域」に誘ってくれた先人よりの依頼で、今季、1つだけある大学1年生の皆さんの海外研修を引き受けることに。
あの3年の前は海外研修乱立期(と勝手に呼んでいます)で、とにかく海外へ学生を送り出そうと社会が躍起になっていた時代だと思う。

その先輩にはかつてラオスの南の町で、夜明けの町の市場に連れて行ってもらった記憶がある。確か、その日は水牛が販売される特別な日ということだった。
夜明け前の暗い道、遠くにぽわっと見える灯り。
次々に思い出されるあのときのラオス。
村を回って聞いた巨人の伝説。彼の地のことを教えてくれたお兄さんたち。
送別の宴で火を囲み、歌い、踊った夜。

そのときの出来事も、確かに私に刻まれている。
そして、もう1人、過去10年近くに渡り、Sambor Prei Kukを舞台に実施する研修を支えてくれた人が今回の海外研修の担当でもあった。


私たちがつくる旅の計画には余白と不確定要素と、ある種のリスクが多い。
白地ばかりの、まるで中身がないように見える行程表を渡しても、ちゃんと意図を汲んで、可能な限り自由にさせてくれる。
こんなふうに相互に信頼を置いてもらえる人は希少だ。
物理的にも精神的にも管理された安全な領域からちょっとはみ出したところに発見がある。それが一生ものの学びの種になる。
その種を見つけることは、その場を経験する本人たちにしかできない。しかも、1人ひとりが見つける種の種類もかたちも全く違う。だからこの上なく面白い。
でもその種を見つけるまでに通る“安全な領域のちょっと外側“は、一般的には“リスク“と呼ばれて削がれてしまう。
安全領域のぎりぎりの境目を見極めるために、ともにアンテナを張ってエンドラインを守ってくれる存在は本当に数えるほどしかいない。

そんなお2人ゆえに、これが最後かもしれないという気持ちで臨んだ。
この全部の背景があって生まれた4泊5日、17人の学生との時間を振り返ってみます。

つづく。

2023.3.15

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