イマドキの向こう側ー3年ぶりの海外研修受け入れ記 企画から、旅の始まり

今、なにを届けたらいいのか。

正式にお引き受けすることになり(引き受けの経緯はこちら↓に)、どんなテーマを核に時間をつくったらいいかを考える。

この3年、世界は不思議だった。
規制されること、規則はないけどやってはいけないこと、やってもいいけど気を使わないといけないことが私たちの周りに幾重にも見えない膜を張っていた。顔にはずっとはっきり見える覆いがついている。
その日々を「学生」というステータスで迎えた彼ら。
今、そうした日々をようやく過去形で語れるようになってきたこの世界で、せっかくカンボジアの、コンポントムの、さらに村まで来てくれる彼らに届けられる価値はなんだろう。

今回来てくれるのは大学1年生だ。コロナ時代の高校生。
学校行事があったりなかったり、学校によってそれも違う。
そういう突然の変化を経験したティーンたち。

怖いようだけど、正直この先も、今と同じ日々が続くかどうかわからない。
いつ再び、海を越えられなくなるか、行きたいところに行けなくなるか、個人でも社会でも、それは本当にわからない。
それなら。
これが最後の海外体験になったとしても、彼らに何かが残る時間にしたい。
3年ぶりの旅の企画はここからスタートした。

旅の手触り

何かが残るの何かって、なんだろう。
旅をすることでしか、味わえない何か。それが生まれる機会、タイミング。

彼らがカンボジアで過ごす場面を想像する。
空港に到着し、ガイドさんの声掛けでバスに乗り込む。
翌日は次はここ、その次はあちら、と市内を回って、またバスに乗る。
訪れた場所の感想を日本語でシェアをして、また次の朝がくる。

これって、たぶん、彼らの日常と、そんなに変わらない。
目に入るものや聞こえる言葉、日差しや気温が違っても、
誰かによってデザインされ、想定された環境下にいる状況は変わらない。
そのなかでは、外側から入ってくる情報も身体の核には届かない気がする。

もっと肌身で、生身で、この地に触れてもらいたい。
うまくいかないこと、通じないこと、想定外の出来事。
用意された領域のちょっと外側で、心がピッと反応する瞬間に出会ってほしい。
その取るに足りないようなピッとの瞬間に大事なものが隠れているから。

そのための4泊5日。長いようで、実はとても短い。

そのピッとが起こる瞬間を生み出すための準備をする。
首都プノンペンでのテーマは肌身で街に触れること。
こちらのアシストは最小限にする。
村では、今この瞬間にいることを大切にしたい。
村での2泊3日。予定は半日にひとつ。
課題解決ミッションも、視察も、ボランティアもない。
計画を持たない計画。それが今回の旅の本領。

イマドキの正体は・・

そして彼らはこの地を踏んだ。初日のプノンペン。現地学生たちとの市内旅。
前夜から、彼らはとても“いい子“たちだった。
ちゃんと話を聞き、リアクションもして、それなりに元気もある。
普通なら用意されているであろうことを自分たちでやれと強要してくる謎の大人の言うことを一応聞いてくれている。
地元の大学生たちとの時間は、どうやら面白かったらしい。大学生や、市場の人たちや、公園のハトやTukTukのおっちゃんたちから学んだらしい。その瞬間にしか得られないものをちゃんと掴んでいるらしい。

でも、なんだろうな。まだ軸に乗り切ってない。
本当の彼らの顔を見ていない。

こちらが提示する面倒なことを、心で面倒だなと思っていても、表には出さないくらいに、彼らは大人との付き合い方をわかっている。面倒臭いを面倒臭いと言うと、もっと面倒臭くなる。だから、文句は心の中だけで。用意された船には渋々でも、ちゃんと乗る。

そして、周りを敏感に見ている。
自分の視点や本当の姿が見られそうになると、すっと周囲に紛れて擬態する。
それぞれがキャッキャとしゃべっている時の輝きが、スンと消える。

その“スン“という表情とともに、特有の冷えが現れる。
自分が積極的に何かをしてもしなくても、進んでいくんでしょう。
いいか悪いかはそちらが決めることなんでしょう。
そんな底冷えみたいな感覚が、ふと顔を見せる瞬間がある。

これか。
これが「イマドキ」と感じたものの正体か・・。

もったいないなぁ。
ぐちゃぐちゃしていて、粗くて、語彙も表現も洗練など程遠くて、アホみたいなこといっぱい言ってたけど、“スン“の前にギャーギャーいってたときのみんなの方がずっとおもしろいよ。熱があって、生きてる手触りもあるよ。と、心の中で思う。
傷つかないように、等間隔で何かにくるまれて大切に並べられた熨斗つきの高級果物みたいな“スン“よりも(果物なら美味しいんだけどね)、おしくらまんじゅうみたいになってる中から生まれてくる熱を感じてほしい。

社会適応の“スン“のトレーニングはもう十分に積んでいるから、
私はその向こうのいる、到底“スン“じゃ収まらない人たちに会いたいんだよ。

でも、大丈夫。
明日からの村が、きっと。“スン“の向こう側へと、私たちを運んでくれる。

つづく。

2023.3.18



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