うつ病と自閉スペクトラム症

普段ある団体?の執筆者としてnoteに記事を書いているのですが、団体の一員としての役割を担っているので、素の自分の文体とは全然ちがいます。明確なテーマを設定したり、読みやすい短文で構成したり、キャッチーなタイトルを工夫したりして、読者にとって負荷の少ない記事を書くこともそれなりに好きなのですが、それだけだとなんか物足りないです。

このアカウントは、別に裏アカというようなどろどろしたものではなく、単に普段の公の執筆モードから頭を切り替えて、私にとっては意味があるが他の人にとってはどうだかわからないようなことを書いていきたいと思います。

前書きおわり。

私には持病(既往症)があります。今から数年前にうつ病を発症しました。不眠には特に悩まされました。「あれ、なんか夜途中で目が覚めるぞ」ということに気がついた日を今でも覚えています。その日から3年間、朝までまともに眠れた日は数日しかありませんでした。

寛解まで3年かかりました。早い方だったかも知れません。その間SSRIなどを服薬していましたが、今は何も飲んでいません。眠れないことほど、人を狂気に追いつめるものはないと思います。

私は小さい頃からいわゆる「変わった子」でしたので、一般的に人が欲しいと思うものをあまり欲しいと思わずに生きてきました。うつ病が激症化している時は、なぜか、これまで欲しいと思ったことが一度もないもの、例えば一軒家や高級車などが無性に欲しくなりました。うつ病とともに貧困妄想が強くなっていたので、異様な節約をしたり、お金に対する考え方が特におかしくなっていたと思います。寛解した今は、それらのものを欲しいという気持ちは少しも残っていません。

もうひとつの持病はーーこれは医療機関で診断されていないことを明記しておきますがーー私には自閉スペクトラム症の傾向が強くあります。あくまで自己診断の域を出ないため、憶測でしかありませんが。

10代の頃から30代になった今でも、特に私が惹かれていた作家のひとりに、エミリー・ディキンソンというアメリカの詩人がいます。彼女は、現在では19世紀アメリカ最大の詩人のひとりに数えられていますが、存命中は生まれ育った町どころか家の敷地からも極力出ない暮らしを守りながら、当時主流だった詩の規則から逸脱した、型破りな詩を人知れず書き続けていました。彼女は、亡くなってからすでに100年以上が経っていますが、病跡学的に現在でいう自閉スペクトラム症だっただろうと言われています。

私自身は、ディキンソンのような素晴らしい詩人と比べるべくもありませんが、10代の頃から20代後半まで、文学テクストを書き続けていました。文章を書くことだけが生きがいでした。私がディキンソンに特に惹かれるのは、生まれ育った町への強い執着、反復的な創作活動、世俗的な名声への無関心、社交性の欠如、宗教精神などにです。私自身がこうした要素を多分に持っているということが、単純にディキンソンに惹かれる原因なのだろうと思います。

自閉スペクトラム症の症状のひとつとして、感覚過敏が挙げられることが多いですが、私は特に人工的な光と音が苦手で、職場環境としては、蛍光灯がずらっと並んでいるオフィスでは頭痛が止まらなくなるため、働くことができません。実際に頭痛が原因で離職したことが何度もあります。ドラッグストアや電気屋さん、デパートの化粧品売り場などにも近づかないようにしています。また、ラジオや有線の音楽が流れている場所にも長く滞在することができません。耳栓をしながら仕事をしていたこともあります。

続きます(多分)。

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