Naoya Shirata
大切なこと、シンプルに。
やっぱり好きで、20代の頃はその考え方に没頭し、 仕事に集中した30代前半を経て、やっぱりそれ最高じゃんとなっている。 今はアバターもあるから意識的にそれを作り出せる気もするし、ますます楽しい 昔この状態なら何をやっても成功するんじゃないか?と思ってたけど,ますますそんな感じがしてきた。 教育も、ビジネスも、音楽もスポーツも全部! ワクワク魂が全部を前に進めてくれるんじゃないかと ソースとか懐かしいなぁ フローな感じで毎日生きれたらホント楽しいだろうなぁ 当時
アバターをやろうと思ったのは これだったら世界を本当に良くできるな と思ったから だから 世界を本当に良くしたいと思ってる人と これをシェアしたい 社会のこと知ろうと思い ビジネスもやって 考え方を伝えようと 先生もやって 良い教育を届けるために 先生の育成もした でも肝心なのは 『自分で』『自分の信念を』『いつでも選べる』技能を教えることだった アバターならこれができる これが全世界の人が利用可能な技術とわかった時 やるならこれだ、と思った アバターは
音楽は、人をオープンな気持ちにさせたり、繋がったり,感じ方が深まったり、魔法のようなことがたくさん起こる。 自分を表現するツールにもなるし、人のことを理解するツールにもなる。 お金を稼ぐ方法にもなるし、人を救う方法にもなる。 そして何より楽しい。楽しむという目的のためにも使える。 音楽というアート(芸術)はとても汎用性のあるものだ。 俺はこの音楽の可能性というのをより引き出していきたい。 世の中にもっと有効で,心地よい音楽が溢れて,それがいい形に向かっていく方向を探究
音楽を既得権益のものにしない。 というのが僕のコンセプトです。 カンタンにいうと、『音楽をみんなのものにする』ということです。 これが僕の活動の軸にあります。 僕は2018年からシンガーソングライターとして活動し、いろいろな場所でライブをさせてもらいました。 そして、そこで必ず、みんなにも表現をしてもらうんですね。正確な言い方をすれば、それをしてもいい/したい、と思えるまで全力でライブをするんです。それが僕の特徴です。 そして、3万人liveをしたい、ということを
世の中の役に立つためにできること ① まず自分が幸せになること 人のことをやっていて、自分がお世話が必要な人になってしまうケースというのはよくあります。 まずは自分が自立して、幸せになり、周りに対してケアや優しさを持つ余裕を持てるようになること。 ②やる気のある人から助ける 困っている人に手を差し伸べたがるのが人間ですが、困っている人が必ずしも変わりたいと思っているわけではありません。変わりたいと思ってない人を変えるのは困難です。なので、あなたの助けを喜ぶような人から手を
やっぱりアバターしかないんじゃないか?という気分になってきている。 昨日ライブをして、何かが完結した感があり、さぁ次のフェーズだ,と思ってるんだけど、もう次って、アバターしかなくね?wとなってる。世の中やり尽くしてしまった。 貢献できることは死ぬほどあるし、それはやりたいしやるつもりなんだけど、自分が探究するものってもうアバターくらいしかないんじゃないか?と思い始めている。やり尽くしてしまった。 アバターって何だ?9日間のプログラム。それ自体は旅だし、俺がなんか言えるこ
ぼくがアバターコースをやっていいなぁと思うのは、 「これが世界平和に直結している」と思ってやれていることです。 自分が正しいことをやれている気がするんです。 ぼくはずっと、楽天にいたときも成績がよかったですし、先生をしているときも、未熟ながら、そのときの一番良い形を創ってきたつもりですが、心のどこかで「自分を世の中で一番役に立つところにつけたい」という気持ちがありました。 一つは音楽です。大前提として、好きなのと、幸運にも声や音感に恵まれ、経験もあったので、これはとても良
世界平和、というもののために自分のリソースを使いたい。 これは、こんなに明確になっていたわけじゃないし、まして人に言えたわけじゃないけど、世界平和というもののために自分のリソースを使いたい。 小さいときから、「なんでこれをやるんだろう?」みたいなことが苦手だった。目的のわからないもの、意味のないもの、そういうものが嫌いだった。 仕事もそうだった。「この仕事をやって世の中がどうよくなってるんだろう?」そう思うものは、できなかった。 だから、少しでも手応えのあるもの、より
教育のことが道(タオ)だと友人にも言われたことがあり、それをずっと考えている。人生、20代のほとんどを教育に捧げてきた。それは頼まれたわけでも、使命感があったわけでもなく、好きだったから。そして、向いてもいたと思う。いくらやっても探究し足りないテーマだった。 そして2023年、状態はかなり複雑になってきてる気がする。学校がど、とか先生がどう、とかいう前に、社会全体の価値観が変わろうとしている。そして子どもたちは誰についていっていいかわからず、示せる大人ももちろんいないという
大事なものを守るためには、優しさだけじゃなくて強さも持ち合わせないといけない。それは自分のスタイルについてもそう。「うんうん」と聞きすぎると、侵入されて、自分がおかしくなっていく。だから、うるせぇ、と思うことも大事。スタイルは否定しちゃいけないけど、不法侵入(アドバイスという名の)してくるやつにはだまれ、ということも大事。あたしゃあたしの道を行くんだよ。という。だから、それが確立されるまでは、ビニールハウスで自分を育てるのも大事。じゃないとカラスやらすずめやらにぴーちくパーチ
音楽は楽しい。何をしてても楽しい。笑 中学生の時、アコギを買って、高校1年のとき、路上に出た。 誰にも制限されない環境、自分を思い切り出しても、だれにも責められない。怒られない。笑 これが俺にとって最高の環境だった。 そして、お金ももらえる。それは今も続いている。思い切り自分を出させてもらって、そしてお金をもらう。 だから、俺にとって歌うことは、自分を出すことだ。それでお金をもらってる。歌唱を磨くために歌ってるわけでもなく、技術を競ってるわけでもなく、「俺は自分を出
はじめは、学校の先生になりたいと思っていた。その理由は人格形成の時期に関わる大人の存在は大きいと思っていたから。 先生になる前に自分が社会のことを知らないと(成果を出さないと)子どもたちに伝えられることがないな、と思い、IT企業に就職した。 でもやってみたら、成果を出すことより、幸せに生きれる方が重要じゃねーか、と気づいた。 先生になってからは、ワクワクすることを伝えたいと思った。でもその実は子どもたちの方がワクワクすることをたくさん持っている、ということだった。それを
僕にとってのアバターコースは、精神の修行の場みたいなもの。こんなん、現代にあったらいいのになーと思ってたものが、実際あった!wというものな感じ。 なんか、自分の根幹にあるものを鍛えられてる感じとか、やるほどしなやかになっていく感じとか、強くなっていく感じとか、ほんとに好き。 アバターと出会ったのは2010年で、そのときはなんかきな臭いなぁと思ってたんだけど、知れば知るほど、理論はちゃんとしてるし、そりゃそうだよなぁというところが多かった。実際にワークをやってみてもよくわから
牛も人、っていうとちょうヤバいこと言ってるみたいなんだけど、 牛も人も、生きてるっていう意味では同じなんだな、と思った。 生きてる意味、とか期待されてる、とかいろいろあるけど、生まれて、生きて、死ぬ、という意味では、牛も人も花も鳥も一緒なんだ。 そう思ったら、俺期待されてるとか、他人の期待に応えるとか、マジでアホらしくなるよな。 牛だしw 自由に生きろ〜
俺は、思ってること言おう、というのを意識せず割とどこでも言う。 就活生にも、先生にも、歌を歌う人にも言う。 色んな考え方はあるけれど、俺はそれを大事にしてるし、何よりそれが好きだ。 さっき、就活生の子と話をしていて、面接練習をしたのだけど、固くなると、一気に用意していたテンプレを語り始める。つまらない。ああ、つまらない。だんだん頭に入ってこなくなる。 俺は、臨場感というものが好きだ。校長先生の話は嫌いだ。なぜか。つまらないからだ。用意されたものをこなそう、という態度は
コメントをいただいたので、これについて書きたいと思います。 思っていることを言う、というのができないときって、大抵その場にいる人たちを信頼できないところからきてたりします。 もうちょっと言うと、「この場ではこういう自分でいよう」というのがあって、でもそれと自分が本当に思ってることが乖離してくるんですよね。 人間って常に変化していくので当たり前なんですが、こういうことが起こると、「思ってても言えないなぁ」ということが出てきます。 それは、これ言ったら怒るかなぁ、みたいな