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多重人格(解離性同一性障害)について語る

読んでくださってありがとうございます。

多重人格に関して
皆さんはどんなイメージを持ちますか。
「心は一つでしょ?演技じゃない?」
って思う人もいれば
映画や小説などに登場する人物たちのイメージからか「都市伝説」や「怖い」といったイメージを持つ人もいるかと思います。

しかし、こうした偏見は
解離性同一性障害の人が
周りから理解されず苦しむ原因になります。

今回の記事は解離性同一性障害の友達と関わった経験をもとに書き、少しでも解離性同一性障害について知ってもらえたらと思います。

ちなみに自分は治療しようと思って
関わっていたわけではなく
ただ、普通に友達として接していました。
なのでこの記事は友達と接している中で
友達から教えてもらったり、
自分が学んだことを書きます。
(友達から記事にすることは許可もらってます)

この記事はどちらかというと
悩んでいる本人というよりは
その周囲の人に向けた記事になります。
解離性同一性障害を患っている方で治療がそれほど進んでおらず解離性同一性障害のあるある等に拒否反応がある人は今回の記事を読まない方がいいかと思います。

というのも、この記事を読むことによって
意図せず人格交代が引き起こされたり、
フラッシュバックが起こる可能性があります。

「それでも構わない、読みたい」
という方は読んでみてください。

ちなみに自分はただの元うつ病で
臨床心理学をかじった一般人の為
専門的なことは専門家に聞いて下さい。

解離性障害とは何か?

心や体の一部が本体部分から
離れてしまう解離性障害には、
突然体の感覚がマヒしたり
勝手に動いたりする「転換性障害」や
虐待や生命の危機など
幼少時の強いストレスや過酷な状況から
本来の人格を守る為に新しい人格が形成され、
それらが切り替わる=多重人格の症状を示す
「解離性同一性障害」があります。

「解離性同一性障害」は
心の中というよりも頭の中に
複数の人物が存在しているような感じです。
これは
『心が分離し一つと感じていない状態』
というよりは
『心は一つと感じている人格が複数人いる状態』です。

記憶の共有について

表に出ている人格はテレビ(現実世界)の中で
スポットライトを浴びている役者です。
そのスポットライトが他の人格に当たると
他の交代人格にスイッチし切り替わります。

他の交代人格はテレビを見ていることもあれば、
今起こっていることに興味がない人格や
眠っている人格はそのテレビを見ていないこともあります。

だから、記憶が共有されることもあれば、
共有されないこともあります。

記憶が共有されているかどうか、
人格交代した時、すぐにはわからないので
意図せず人格交代が起こった時には
「後ろで見てた?今がどういう状況かわかる?」と確認すると
スムーズに交代した人格と会話できます。

記憶がないかどうかはその人を観察している
と傍から見てても何となくわかります。
普通の物忘れでは説明が付かないほどの
強い記憶喪失が本人の中で起きてます。

自分が買った記憶のないぬいぐるみが
バックの中に入っていて疑問に思っていたり
自分が呟いたツイートを見て
「なんかすごいツイート増えてるんだけど」
とびっくりしてたりします。

各人格は自分というよりは他人

頭の中にそれぞれの人格が
住んでいる部屋があるようです。
その部屋が近いと仲が良い人格だったりします。
頭の中で人格同士が会議のように話合うこともあるようです。

各人格同士は自分自身と話しているというよりはお互い他人のような印象を受けます。
人格同士は他人同士のような感じなので
仲がいい人格もいれば
互いに良く思ってない人格もいます。

「××は頑張りすぎなところがあるんだよ。
いつも笑顔のままいられるわけないじゃん。」
「なんで○○ちゃんはあんなに親にいい顔するのかね。もっと歯向かったらいいのに。」
「なんで△△くんは唐揚げなんか食べたわけ?
油ギトギトのものは食べないでほしい。」
「薬飲んだなら、メモってくれないと交代した時わからないよー。みんな把握よろしくね。」
「俺飯食べてないのに、お腹いっぱいなんだけど。ふざけんな!」

といったように
自分の中の人格に対して
それぞれが文句を言ってたりします。

また、各人格によって食べ物や音楽や服装の好み、筆跡、絵の特徴、口調、顔つき、仕草なども変わります。

解離性同一性障害は演技なのか

解離性同一性障害は演技(詐病)ではないか
と思う方は結構見受けられます。
それは、この病態があまりにも
私たちの「常識」を逸脱しているから
受け入れるのが怖いのかもしれません。
目の前で起こっていることを嘘にしまえば
自分たちの「理解」におさまりますからね。

とはいえ
自分はこの病気を演技だとは思いません。
それは、解離性同一性障害の本人の中でも
「自分は解離性同一性障害なんかじゃない。
異常者じゃなくて普通の人間だ。
生活するうえで何も困っていない。
だから精神科なんて行く必要がない」
と否定するような人格もいるからです。
詐病だったらその病態であることを
むしろアピールし、歓迎すると思います。

傍から見てると明らかに人格交代を繰り返し
記憶障害も起きていることから
解離性同一性障害という症状でないと
当人に起こっていることが説明がつかないのですがこの否定する気持ちもわかります。

「精神疾患は異常で世間から受け入れられない」
という価値観が世の中に溢れているからです。
精神疾患に関する偏見は未だに根強いものがあります。

自分が精神疾患だということを受け入れられないという気持ちは
精神疾患になった人ならわかるかと思います。
どれだけ親しい人に対しても
自分が精神疾患だとカミングアウトするのは
とても勇気がいり、躊躇することです。

各人格の中でも
「自分の症状は解離性同一性障害でないと説明がつかない」と思っている人格もいれば
「自分が解離性同一性障害だと受け入れたくない」と思っている人格もいて
医療機関を訪れ治療に結び付けることも
非常に困難な疾患だと思います。

交代人格について

上でも書きましたが
解離性同一性障害で人格が生まれるのは
外傷的な出来事(トラウマ)が関係している可能性が高いです。

身体的虐待、性的虐待や
生命の危機など幼少時の強いストレスや
親子の愛着関係、学校のいじめ等の過酷な状況
発達障害での生きづらさ等から
本来の人格を守る為新しい人格が形成されます。

トラウマは上記のように
わかりやすい出来事だけではありません。

起こった出来事や内容よりも
その人が圧倒され、無力感や恐怖に陥れられ
身の危険を感じるような
その人のキャパを超えた
ストレスの経験だったかどうかが
大事な視点だと思います。

自分は交代人格の特徴に関しては
大きく分けて二つに分類されると思ってます。
それは
「あたかも普通に見える人格」と
「情動的な人格」です。

「あたかも普通に見える人格」は
正常な生活を続けることに固着し、
外傷的記憶などなかったかのように振舞う人格のことです。

社会で働くことや
学校に行くことなどを担っていたり
親のご機嫌をとったり
他人からいい子に見えるように振舞ったり
世の中の価値観でよいと思われることに
必死に沿うことを目指しています。
完璧主義で仮面を被っている印象を受けます。

この人格が表に出ているときは、
何も問題がないように勘違いしてしまいます。
ちなみに「あたかも普通に見える人格」に分類されるような人格の人らは自分が精神疾患だとは認めたがりません。

「情動的な人格」は
「あたかも普通に見える人格」
が背負いたくないと切り離した
外傷的なトラウマや辛い感情を背負ってます。

「情動的な人格」は
ピュアな性格の子ども人格
自分自身を迫害するような怒りを持った人格
辛い記憶を背負わされて泣いている人格
自殺願望がある人格
何をするにも疲れている人格
辛い記憶を避ける為に快楽にのめりこむ人格
(性的に奔放だったり、アルコールに依存する等)
自分自身を慰める人格
などがいます。

人格の中には異性の人格だったり中性的な人格もいます。
本人的には「自分はLGBTQなの?」
と疑問に思っていることもあるみたいですが
そうではないような気がします。

また、人格は実年齢とは異なる場合もあります。
実年齢よりもだいぶ若かったり、年上だったり
実年齢と同年齢だったりします。

人格交代について

人格交代については本人の中で
コントロールできることもあれば
コントロールできないこともあります。

働いている時などはなるべく
社会的な役割を担える人格が出てきますし
こどもの人格や怒る人格など
社会的な場にそぐわない場面では
表に出さないように本人の中で
なるべくコントロールしています。

人格交代の際は、
身体の力が抜けたように意識を失い、
数秒または数分間後に別の人格に切り替わったり
話している最中にだんだん口調が変わってきて他の人格に入れ替わってたりします。

意識を失って人格交代するのは、
人格同士の理解が進んでいないような段階や
本人の中でストレスを感じている時などが多く
人格交代するだけでも負担が大きいようです。

話している途中に人格が変わるのは
人格同士の理解が進み
わりとスムーズに人格交代できて
本人的にも負担が少ないように見えます。

必ずしもストレスがかかった場合に
人格交代をするというわけではありません。
日常的に人格交代をする場合もあります。
たとえば、ぬいぐるみを見たら
こどもの人格が出てきたり
ある人格が好きな曲が流れたら
その人格に切り替わったりなど様々です。

他の人格と話したいとお願いすると
その人格を呼んでくれる場合もあります。
ただ、「今は疲れているから話したくない」
というように拒否されたりもします。
逆に他の人格が話したいと思って
表に出てくる場合もあります。

また、ややこしい話ですが
目の前の人物が信頼できるかを確かめる為
ある人格が他の人格のふりをして
演技をしていることもあります。

人格交代した時の対応

まずは人格交代した時に出てきた人格が
誰なのかを確認する必要があります。
そして、出てきた人格に合わせて
コミュニケーションをとります。

家族に対して
会社の人に対して
目上の人に対して
友達に対して
見知らぬ人に対して
恋人に対して
その場その場でコミュニケーションの
取り方は変わってくると思います。
それと全く同様です。

つまりそれぞれの人格を尊重するのが大事ということです。
人格によっても他の人に対して
感じている親密度が異なります。
場合によっては良く話す人でも
認知されていない場合があります。

一つ自分の例をあげると
ある女の子の人格に
「荷物を持っていてほしい」と頼まれたので
自分は荷物を持っていました。
しかし、別の人格に変わった途端、
「その手に持ってる荷物返して?」
と言われたことがあります。

これは交代した別の人格の目線では
目の前にいる自分の知らない人が
なぜか自分の荷物を持っている
という恐ろしい状況になるからです。

記憶に関しては上にも書いた通りで
共有されている場合もあれば
共有されていない場合もあるので
交代した時その都度、本人に
今自分はどこにいるか
目の前にいる人がわかるか
今なぜこういう状況になっているのか
など問いかける必要があります。

解離性同一性障害の治療の弊害

解離性同一性障害の治療においては
弊害が数多く存在します。

まず一つに上にも書いた通り
本人が困っているという自覚がなく
精神科等に行くことを拒むことがあります。

また、精神科に行ったとしても問題は残ります。
ここから書くことは
解離性同一性障害の症状を診る側の話になり、
かなり精神医学に批判的な内容です。

今現在の日本において
解離性同一性障害の治療を正しく行える
医者がかなり少ないことが挙げられます。

「トラウマインフォームドケア」の
視点を持った治療者があまりに少なすぎます。
これは自分自身の経験から明確にそうだと思います。

また、誤診がかなり多い病気で
「統合失調症」と診断を受けることが
少なくありません。

なぜ解離性同一性障害の人を
そう誤診してしまうかというと
解離性同一性障害の症状で
幻覚や幻聴があるからです。

解離性同一性障害の友達も
「階段の4段目と7段目のところに幽霊がいる」と幻覚を見て
「自分には霊感がある」と言ったり
「頭の中で自分を批判する声が聞こえる」
と言ったりしていました。

統合失調症の人の幻覚は
「NHKが私の頭の中の考えを読み取ろうと
電波を傍受しようとしている!」みたいに
幻覚が外部の自分以外のところから生じますが
解離性同一性障害の人は
自分と外界との境界は守られており、
自分の中の交代人格によって
幻覚や幻聴が引き起こされています。

「統合失調症」という病気は
精神医学の得意なフィールドであり
「解離性同一性障害」は言葉は知っていても
実際に診たことがない援助者も多いです。

なのでそういった背景がある為
「解離性同一性障害」は誤診されやすく
統合失調症の薬を飲まされて、
いつまでも良くならないということもあります。

目指すところは人格統合なのか

解離性同一性障害の治療の目指す先は
人格統合なのでしょうか。
これに対し、自分は少し違うと思っています。

各人格というのは、
主人格を支える役割をもって
生まれてきた存在であり
「人格の統合=交代人格の死」という印象を
解離性同一性障害の人は持ちます。
交代人格のことを家族のように思っており、
その考えを持った医者を信用できないと思っている解離性同一性障害の人もいます。

非常に逆説的な考えではありますが
「各人格を尊重する」ことが結果として
人格統合に向かっていくような気がします。

他の人格の存在を受け入れず否定すること
例えば
「あなたの人格は○○一人だけで十分だ」
みたいな発言は
各人格が抱えているトラウマ(寂しさ、怒り、悲しみ)が否定され、その感情が消化されないことになります。

それはかえって、
解離症状を強化することになります。

目指すべきところは統合ではなく、
解離性同一性障害の人格システムの中で
各人格同士が協同出来ることだと思ってます。

その為には各人格のことを否定せず、
各人格とラポールを築くことが大事です。
これが結構難儀なことで、
一気に10人以上と仲良くなるような感覚です。
自分は新しい人格が出てくるたびに
必死に出てきた交代人格の特徴をメモをとってました。

各人格を尊重して話を聞いていると
人格が生まれた背景を知ることになります。
「自分は中学生の時いじめられていた」や
「フラッシュバックが起きた時にパニックになって泣いていたら父親にうるさい!と言われて殴られた」といったように
トラウマの記憶を聞くことがあります。
そういった時はその辛かった思いを
真摯に聴き、受け止めてあげます。

当たり前ですが
こちら側から無理にトラウマを
聞こうとするのはNGです。

また、トラウマの内容を話している時に
大げさに受け止めたり
拒否反応を示すのもNGです。
それはトラウマの再体験に繋がります。

強い怒りの感情を抱えた交代人格の
怒りも尊重することが大事です。
怒りは蔑ろに扱われた証で正当な感情です。

怒りを出してはいけないと思う人格が抑え込み
普段は表に出てこないだけです。
本来その怒りは自分を守る為に
外に向けるべき必要な感情であったはずです。

知り合いの解離性同一性障害の怒りを持った人格と会話できるようになった時
「何で○○があんなピュアなままでいられると思う?俺が辛い出来事を肩代わりしてたからだ」
のように教えてくれたことがあります。

その後、他の人格の子が怒りの人格のことを
「あの子は単にヤバい奴だと思ってたけどそうじゃなかった」
と言うみたいに
人格同士での葛藤が段々となくなり
お互いの理解が進むようになったことがありましまた。怒りの人格を持った子も段々とマイルドになりました。

このように各人格の思いを親身になって聞くと
段々と各人格の中でお互いの理解が進み、
気づいたら仲良かった人格同士が統合していたりします。

これは後から知ったのですが、自分の考えは
「内的家族システム療法(IFS)」という
治療法の考えにかなり近いです。

内的家族システム療法では、
自分の心は一つではなく、
複数の副人格(パーツ)から成り立っていると捉えています。

内的家族システム療法の目指すところは
都合が悪いとされる副人格を排除するのではなく
対話を通じて副人格を理解し、
彼らが望む役割を果たすようにするとのことです。

なので、目指すべき統合は
内的家族システム療法が定義するような
統合になるかと思っています。

以上、長くなりましたが
自分が解離性同一性障害の人と関わり
友達として接してきた中で
学んだことをつらつらと書きました。

他にも沢山記事を書いているので
もしよかったら他の記事も読んでみてください。


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