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きっとあなたは答えられない【SS】

 

 

物語は、ここから始まる。

 

最初の記憶は私がまだ幼稚園の頃だ。

母方の叔母一家と一緒に動物公園に行った時のこと。

良く晴れた日で、ゾウやキリンを見て回った。トラの檻の前を通ろうとするとそれまで退屈そうに横たえていた大きな体をやおら起こし、大きく一吠えした。ビクッと体をこわばらせトラの方を見ると、じろりとこちらを見ている。度を越した恐怖に固まってしまい、それを見ていた母曰く今にも泣きそうな顔だったらしい。

そこへ7つ上の従兄の真人兄ちゃんが颯爽と現れ、私の手を握りながら「かなで、トラさんはこわくないよ。大丈夫。」と目を見て言った。そしてそのまま手を引いて、一緒に檻の前を通り抜けてくれたのだった。

その時の手の安心感と、優しい声が私の初恋だ。

 

2019年、2月。

バレンタインを目前に、17歳になった奏はとつおいつ考えていた。
今年はSNSで見かけたチョコレートブラウニーに挑戦した。出来栄えも上出来。ラッピングも小さなハート柄が散りばめられた透明の袋に赤やピンクのリボンを結んで可愛く仕上がった。
クラスメイトや部活の仲間、父と弟、そして従兄の真人に宛てたものだ。それなりに喜んでもらえることが予想できた。あとは渡すだけ。

奏は無数のラッピングされたそれらの中で、とりわけ形が良かったものを詰めたものを見つめる。目印でつけられた、金のハートのシールがカーテンから洩れる光をきらりと反射する。

真人兄ちゃんの分、どうしようかな。

真人は今年の春、結婚する。
相手の女性とは大学のゼミで知り合ったと母から聞いた。結婚となってから母づてに聞き、雷に打たれたような衝撃を受けた。
無論、彼女位は居るかもしれないとは思っていたし、高校生の自分とどうこうなるとも思っていなかった。この気持ちは兄を慕うそれに近いと思っていたし、告白しようなんて微塵も思っていなかったのも事実だ。
とはいえ、いざ結婚となると話は別。
運命とは残酷なもので、もう手に入らないと分かってから恋心を自覚させられてしまった。その晩枕を濡らしながら、こんなに好きだったなんてとまざまざと思い知ってしまったのだ。
正月も祖父母の家で顔を合わせるのが嫌で、仮病を使ってでも留守番を決め込んでしうような自分が、真人にバレンタインのチョコなんて渡して良いものだろうか。でも毎年「妹のような存在として」チョコレートを渡してきたのも事実で。今更渡さないというのも不自然な気がする。
奏の心は渡すか否か、その想いの両端をまるで振り子のように行ったり来たりを繰り返していた。

明日、所用で真人は叔母と一緒に家に来るらしい。渡せるとしたら、きっと明日しかない。

翌日、叔母一家は思っていたよりも早く来宅した。
玄関のチャイムがなると、母が驚き混じりの困り顔でキッチンから顔を出した。

「やだ、もう来ちゃった。お父さん、お酒買いに行ける?」

母はそのままこたつで寝そべる父に声をかけた。どうやら父と真人用の酒類を、買いそびれてしまっていたらしい。

「なんだ、早く言ってくれれば昨日買ってきたのに。」

父は上体を起こしながら、母の方に向き直った。

「私もさっき思い出したの。ごめんね。」

奏はそんなやり取りを尻目に玄関のドアを開けに行った。

「いらっしゃいおばちゃん!」
「ごめんねぇ、早く着いちゃって。」

手土産にと渡された紙袋は品が良く、甘いものに目がない女子高生の心を掴んだ。センスの良い叔母のことだ。きっと中身も素敵なものに違いない。

叔母は紙袋を手渡すと、母がいるキッチンの方へ足早に向かっていった。

 

「奏、久しぶり。」
「久しぶり、真人兄ちゃん」

出来る限りの笑顔で奏は答えた。自覚してしまった好意を隠すためだ。

「おお、真人君よく来たね。上がって上がって。」

そこに父が上着と財布を手に出迎えに来た。上着はネイビーで内側がダウンになっている。今年の初売りで大層気に入って買ってきたものだ。

「どこか出かけるんですか?」
「いやぁ、酒を買い忘れてたみたいでさ。ちょっと買ってくるから上がってゆっくりして。」

玄関横のトレイから車の鍵を手に取ったところで、真人がそれなら自分が行きますと鍵を戻すよう促し

「いやいや悪いよ。大丈夫、すぐそこだから。」
「僕も母さんの車で来てるんで大丈夫ですよ。」
「良いから良いから。ゆっくりしてって。」

二人のやりとりを見ながら、奏はチャンスだと思った。渡すなら今しかない。

「じゃあ、私が一緒に行く。お父さんお財布貸して。」

それならいいでしょ、と提案された折衷案は間もなくして採用され、奏は自室にコートを取りに行った。買ったばかりの雑誌の付録だった、ランチバッグサイズの小さなトートに父の財布をスマホと一緒に入れる。もちろん、ブラウニーも一緒に。

 

見慣れた街。見慣れた道のり。

真人の運転する助手席に座っていると、毎日見ているはずのものが少しだけ違って見える。その上なんだか少しだけ大人になったような気がした。

「正月、ばあちゃんの家来なかったから心配したよ」

横顔も新鮮に感じるのは気持ちの変化によるものだろうか。

「…風邪だったんだから、仕方ないじゃん」

見ると意識してしまうので、なるべく見ないように窓の外を眺めながら答えた。

車内ではラジオがかかっていて、それは母がいつも運転するときにかけている曲だった。叔母もそうなのだろうか。母と叔母は姉妹仲が良い。こういう些細な部分でも趣味が合うのかもしれない。パーソナリティの女性が明快な声色でバレンタインに因んで静かなラブソングを紹介していた。別れの曲ともとれる歌詞と柔らかな歌声に、ピアノの音が印象的だ。

バッグの中の包みに触れる。

「真人兄ちゃん」

「ん?」

「これ、バレンタイン。」

取り出したブラウニーは少しだけ居心地が悪そうにしていた。

「今かよ。家で渡せばいいじゃん」

ははっと笑って、チラッと奏の手に包まれたそれに一瞬だけ目を落とす。

「家で渡すとお母さんがからかうから」

居心地の悪いブラウニーが奏を見上げて、タイミングが悪かったのではないかとでも言いたげにしている。

「毎年ありがとうな」

「いえいえ」

入れといて、と真人は自分のトートバッグに入れるよう軽く指さした。

言われたとおりにバッグに収めると、運転する横顔に目を向けた。

やっぱり、渡すべきではなかったかもしれない。

「…どうせ奥さんからも貰ってるでしょ」

からかうように笑ってみせる。自分からその話題に触れると、胸の奥がチリっと焦げつくような音がした。

「なんだよ。お前だって本命チョコあるんだろう?クラスの男子とかさ。」

仕返しのような返答に小さく「ないよ」と返した。
奏の胸中を知らない真人は「恥ずかしがるなよ」と笑っていた。

「お前もすぐに彼氏とか出来て、結婚しちゃうんだろうなぁ。」

そういった眼差しは優しく、兄としてのそれに違いなかった。

「私が結婚式したら、結婚式でお兄ちゃんは泣いたりするの?」

「泣くかもなー。お前のことは生まれた時から知ってるし。」

 

そっか。

 

私はどうだろう。

私は、

 

「…私は泣かないかな。お兄ちゃんの結婚式。」

 

本当に手に入らないことがわかると、案外諦められるもんだ。

 

「まぁ、兄貴の結婚式では泣かないだろうな。」

 

私は泣かないよ。
泣いてなんてあげない。

 

 だから、

「残念でした、私の勝ち。」

 

 

 

おわり

 

 

 

‥‥・*・‥……‥

都基トキヲです。

タイトルから考えたら内容があまり合わなくなってしまいました。

でもフレーズとして好きなのと、それもまた今の僕の実力かなと思い、そのままで更新します。

このお題で9日から書いてましたがなかなか進まず、結局バレンタイン当日の投稿になってしまいました。
作中のラジオでかかっている曲は、スキマスイッチの「奏」という裏設定もあります。
なので主人公の名前も奏にしてみました。

今夜は嫁さんに貰ったチョコを食べたいと思います。

では。

 

 

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