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文化芸術を愛でた親子3人が紡ぐコレクション展:泉屋博古館東京(これぽーと)

振り返れば子どもの頃から、"ミュージアム"という空間が好きでした。

普段 生活している空間とはちょっと違う場所を訪れて、並んでいる作品や展示資料を観たり読んだりする。

知らなかったことを知る・気づく だけではなく、自分の想像の翼を広げ、その品々が今わたしの目の前にたどりつくまでの時間旅行・世界旅行へ出かけたり、作家の歩んだ人生へ想いを巡らせたりすることが、とても楽しいのです。


そのうち、ミュージアムには"個性"があることに気づきます。
その館が所蔵している作品群、コレクションの存在です。
何と面白いんだ!ステキ!!! と思いました。

でも、本当に不思議だったのです。
なぜかいつも、コレクションの展示室は空いている。人がいない。
なぜ? それぞれ特徴があって面白いのになぁ、と。

もっとミュージアムの"コレクション展"を観てほしい、知ってほしい。
どうしたら知ってもらえるだろう。そんなことを常々考えていました。

で、2020年5月のことです。
常設展と自館のコレクションを活用した展覧会への展評を書く、という、Webメディア『これぽーと』立ち上げ構想をたまたま知ります。
これだー!!!と思ったわたしは、書き手として参加することにしました。



ということで、主宰するみなみしまさんの了解を得たので、これまでにわたしが『これぽーと』でコツコツ書いてきた記事を、noteでもご紹介させてください。

今回は、泉屋博古館東京せんおくはくこかんとうきょうの洋画コレクションを紹介した企画展と、併設されているカフェについて。2022年6月末に出かけた展示についてまとめ、7月3日に掲載いただきました。(掲載に際し、作家名の読み仮名や作品のリンクを一部加筆してます)

現在、2月26日(日)まで開催している青銅器コレクションの企画展も素晴らしいので、ぜひぜひ。

今後も不定期で転載しますので、お読みいただけると嬉しいです。
そして、『これぽーと』も、ぜひお読みください!


明治時代、30代半ばだった彼は、仕事の視察を兼ねて訪れたパリで、現地の日本人美術商を介して絵画を手に入れる。何気ない農村や街中の公園の風景は、作家が20~30代の頃に描いたもの。
作家の名前はクロード・モネ。購入したのは住友家15代当主 住友友純(春翠)ともずみ しゅんすい。泉屋博古館東京の住友洋画コレクションのはじまりである。

2年以上に及ぶ改修工事を経て、2022年春、リニューアルオープンした泉屋博古館東京。秋まで行われるコレクション展の2期目は、彼によって始まった洋画コレクションが主役だ。


展示室の一つに、春翠と須磨別邸にまつわる資料や解説が並んでいた。実は筆者、美術館の存在は知っていたものの、この展覧会へ足を運ぶまで、住友コレクションの詳細も、館と住友家の歴史、須磨別邸のことも、ほぼ存じ上げなかった。
推奨された順路では、この展示室が最後だったが、筆者はこの展示室をたまたま最初に観たため、結果的に住友洋画コレクションの概要や時代背景を知った上で、作品群とじっくり対面でき、より深く心に残る鑑賞体験となったように思う。鑑賞者の好みで自由に巡れる"余白"がある空間はありがたい。

須磨別邸は1903(明治36)年竣工。大阪府立中之島図書館とほぼ同時期、建築家 野口 孫市のぐち まごいちが当時珍しかったビクトリアン・コロニアル様式で設計した洋館だ。展示室の中央に置かれた模型や、間取りと室内を飾っていた絵画群を眺め、実際に訪れたい、どんなに素晴らしい空間だろう、と思った。
が、キャプションの「太平洋戦争末期の空襲で焼失した」という文言に、とてもやるせなくなった。

幸いにも、春翠がパリで手にしたモネの2作品、≪サン=シメオン農場の道≫と≪モンソ-公園≫は空襲を逃れ、最初の展示室に飾られていた。ここには「光と陰の時代 ― 印象派と古典派」のタイトルがつき、当時の西洋美術において最先端となった印象派と、とって代わられた古典的な写実絵画の双方が並んでいる。これらの作品群に出会った当時の日本人洋画家たちは、非常に刺激を受けただろうと想像した。どちらもこれまでの日本になかった表現で新鮮だったはず。展覧会のタイトル「光陰礼賛」とはここから連想した言葉か、とも思った。

モネが描いたモンソー公園の近くには、東洋古美術を展示した邸宅美術館があり、当時、春翠も訪れていたという。また、欧米で多くの富豪らに会い、彼らが行っている文化保護活動を目の当たりにし、事業で得た収益をどう社会に還元するか、日本の近代化のために何ができるかを考え、帰国後、須磨別邸を建て、数多くの日本人画家たちを支援し続けた。

向かい合う壁には、春翠が度々支援し、コレクション収集にも大きく貢献した画家 鹿子木 孟郎かのこぎ たけしろうや、後に関西美術院を立ち上げた浅井 忠あさい ちゅうの作品などが並んでいた。夫・吉田博と共に世界を旅して絵を描いた吉田ふじをや、渡辺ふみ子(のちの亀高文子)といった女性作家の作品もある。
次の展示室には、岡田 三郎助おかだ さぶろうすけ藤島 武二ふじしま たけじら、東京美術学校や白馬会にゆかりのある作家の作品群が並び、春翠が東西の画壇を広く支援続けたことがうかがえた。

画家たちがとても身近な存在で、ふんだんに絵画が飾られた部屋の風景が日常なら、そこに暮らす子どもたちにも、文化芸術を好ましく感じる素地が自然と育まれるのだろう。春翠の子息たちはやがて、父親のコレクションを引き継ぎ、自らが好む作品群をそこへ加えていく。

長男・寛一は、岸田劉生との邂逅から≪二人麗子図(童女飾髪図)ふたりれいこず どうじょしょくはつず≫を購入し、東洋美術に魅せられ、中国書画のコレクションへと繋がる。次男・友成は、父と同様に欧州視察に出かけ、ジョルジュ・ルオーや梅原龍三郎、パブロ・ピカソや熊谷守一など、大正から昭和、戦中戦後も、自身の審美眼で洋画を中心に収集を続けていった。

館内は展示室が2つ増え、リニューアル前の約1.5倍に広くなったという。大規模な館が点在する都心では、それでもコンパクトな規模に分類されるだろうが、厳選された約60点の作品の多くに、作品や作家を紹介するキャプションが丁寧につき、見ごたえは十分だった。
住友家の親子3人の生き様と、彼らが愛で、受け継いできた洋画たち。さまざま人物との出会いや時代背景など、明治から昭和にかけての美術の変遷を広く知る機会となった。

拡張されたというミュージアムショップで、2020年春に京都・鹿ヶ谷の本館で行われた企画展「モネからはじまる住友洋画物語」の図録を購入した。一読して、今回の展示内容の下敷きとなっているように感じたためだ。
京都の本館では、世界的にも有名な青銅器のコレクションをはじめ、茶道具、能装束、書跡や日本画、江戸時代の文人画、陶芸や漆芸品まで、非常に幅広いコレクション展が企画されている。コレクションのジャンルごとに編まれた分厚い図録が並んでいたが、いつか必ず本館を訪れたい。


閉館までの小一時間、併設されたHARIO CAFEに立ち寄った。
敷地内の植栽に面する席で、美味しいカフェインレスコーヒーとチョコレートケーキをいただく。居心地が良くて、平日夕方にほぼ満席なのも頷けた。
展示を観た後、半券を提示すると飲食代が割引になるだけでなく、先にカフェを利用すると入館料が割引になる、という細やかなサービスは嬉しい。

泉屋博古館東京が建つ六本木一丁目の一帯は、かつて住友家の麻布別邸や武家屋敷などが建っていた。
1990年代の再開発構想で、東京でのメセナ活動強化を考えていた住友グループと、この一帯を上野に続く美術館の街に、という東京都の意向が一致。現在では、徒歩圏内に大倉集古館菊池寛実記念智美術館があり、少し足を伸ばせば、数多くギャラリーや美術館が集まる六本木だ。

かつて春翠は欧米を巡った際、ルーブル美術館や大英博物館などを訪れ、日本にも本物の作品を観ることができる美術館や博物館を、と望んでいたという。須磨別邸にも多くの画家を招いていたというし、自らのコレクションを秘蔵するのではなく、研究者に委ね、出版物などを通して広く知ってもらう活動もしていた。
120年以上経った今、日本は各地に美術館・博物館が点在し、都心は世界各国からありとあらゆるアートが集まる場所になりつつある。この先、現代作家の活動を応援し、作品を買ったり、芸術をもっと日常的で身近な文化へと成熟させていくには、何が必要だろうか。図録を読み、改めて思いを巡らせた時間だった。

会場・会期
泉屋博古館東京リニューアルオープン記念展Ⅱ「光陰礼讃 ―モネからはじまる住友洋画コレクション
2022年5月21日から7月31日

初出:

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