花束
2回目のカウンセリングに行った。
今苦しんでいるビザのプレッシャーと、それでも日本に帰りたくない話をした。
朝が憂鬱で、このまま消えたいと本気で思うときがあると話した。
それでも死ぬのは大変で、私にはできないと知っているとも言った。
戦争で死ねるなら、どんなに幸せだろうと思っていると話した。
母の話をまたした。
高校中退を未だに許してくれないし、海外渡航はもちろん、外国人が恋人だなんて死んでも許してくれそうにない話もした。
子宮頸がんになったことを話したとき(厳密に言うと隠していたがバレる運びとなった)、性病だといって怒り狂った母の話をした。
わたしが奥二重なのが許せなくて、二重にした話もした。
母が死んだらどんなに嬉しいだろうと言った。はじめて言葉にした気持ちだった。
わたしは泣いていた。
彼女は「子どもの頃、怒られているときの" お母さんと自分" をここに置いて、今眺めたらどう思う?」とわたしに聞いて低いテーブルを指した。
わたしは直視できなくて、もっと泣いた。
彼女はそれでも続けた。
「そのときの自分になんて言ってあげたい?」
サイコロジストというのはものすごい職業だなと思う。
彼女たちは" 必要な間" を知っていて、長すぎる沈黙を作らず、話が脱線すればそれとなくフォーカスを合わせ直す。
大事なことに気づくまで、答えを言わない。
何をしてもついてくる、この罪悪感は「母の思う正解の道からずれているとき」に感じる感情かもしれない。
生きてても失敗ばかり。
何を変えても、なかなか変われない。
もがけばもがくほど、出処の分からない罪悪感がわたしを襲い、「母の言ったとおり、わたしはしっかりしてない、なんにもできない人間だ」と過去に言われた言葉を思い出しては納得する。
やっぱり母の言うとおりだったと。
彼女は教えてくれた、英語には" toxic parents" という言葉があると。
日本でも流行りの、" 毒親" のことである。なんとも恐ろしい単語だが、語源は日本でもなんでもなく、アメリカらしい。
人間誰しも完璧なんてできないのにね。
わたしは過去を直視できない。明らかだ。
傷ついた日に着ていた服は捨てるし、訪れた場所も行かない。その日に聴いていたアーティストを嫌いになったりもする。
日本を離れてすこし時間が経ってきて、もはや日本全体がトラウマのようになり始めている。危険だ。
そのうち生きるのがつらくなってきて、過去の重荷を手放せるのならどんなことでもしたいと思う。苦しいからだ。
その答えはいつも死。
だけと死ぬのはわたしには到底難しいことも経験で知った。
この日、帰りのトラムで真っ赤な花束を抱える青年を見た。
バレンタインだったのだ。眩しすぎる愛。
ジュネの「薔薇の奇跡」を読んだ?スペインからフランス。彼は乞食で、泥棒だ。薔薇を愛して。あれはほとんど実話だろう。
このあとヘトヘトで、次の日はなんにもやる気が起きなかった。頭が回らなくて、職場ではでひとりで、ただぼーっとしていた。
これを書きながらも泣いてる。
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