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診察日記

「どうですか最近は。」
「最悪ですね。」

繰り返す同じやりとり。人生は最悪だが今のクリニックの先生はとても良いのだと思う。5分診療だったことはまだなく、いろいろ尋ねてくる。わたしは調子に乗って親の話をしたり、最近つけた傷跡を見せたりして少し救われた気持ちになる。そのあとで、「紙に『母親と似ていて嫌だ、こうなりたくないと思うこと』を箇条書きにして、それぞれに対処しよう」とズドーンと心に穴の空く治療の提案が降ってくる。だけどもこれが自分に必要なことだとわたしは知っている。「病院で話す」ことを覚えたのはここ最近の話だ。

わたしは頭が働いて眠れなくて、だけど眠らないと仕事に支障が出るからという理由で、睡眠薬を飲み始めた。10年以上前の話である。ここ最近いろんなことが重なってマイスリー2錠でも、なんなら3錠でも一睡もできなくて、先日ブロチゾラムの処方を受けた。久しぶりのベンゾに惚れ惚れする。ベンゾは楽になるから、すぐ使いたくなってしまう。『睡眠薬として使う』に留めなければならない。我慢…我慢……。我慢は苦しい。

会社の人と話すたび、友人と電話するたび、ああ自分はとても衝動的で我慢ができない人間だな、何かが人と違うんだなと強く思う。劣っているんだなと痛感する。昨夜、睡眠専門医の渥美雅彦先生のラジオを聴いていたら「双極性障害の誤診にはADHDが多い」と言及されていて妙に納得した。なんとなく、自分もそうだろうなと思ったりする。わたしは昨年まで双極性障害と言われてリチウムを飲んでいたが、これが全っっっっく効かなかった。そもそもをいうと幼少期、母親から「あんたは発達障害だ」とよく言われていた。主にその衝動性のせいである。

わたしは我慢ができない。本当に、我慢ができない。待てない。やりたくないことに集中できない。それが仕事でも、学校でも、人間関係でも、嫌になって全部辞めて逃げてしまう。それくらい我慢できない。
やりたいことを "やる" ことも我慢できない。待てないのである。その代わり、集中したときの物事の習得の速さは人の比じゃなかった事実もある。まあ、こういう感じで、ADHDの主症状である多動性・衝動性が大いにわたしを構成しているということが、できる事実がある。


ADHD主症状には多動性・衝動性の他に注意欠陥がある。これに関していうと、社会に属しているうちに完璧主義が相極まったせいで無駄に磨かれたライフハックが完成し、その要素をひた隠しにしている節があるのではないかと思う。たとえば、

・家の鍵は最低3個持ち(無くすから)
・ゴミは前日の夜に出す(朝だと忘れる)
・仕事用の鞄の入替えは絶対にしない(忘れ物するから)
・自炊はしない(食材を買ったことを忘れる、管理できない。ゴミが増えるだけになる→落ち込む)
・休憩で食べるものはその場で買う(事前に買うと
持って行くのを忘れる)
・大事と言われたものは何でもスペアを用意する(ロッカーの鍵、大事な資料、社員証やID、制服はスペア一式ロッカーに有etc..,)
・規定の回数以上に会計が合っているかチェックする(しかも慣れているから早い)
・私服は基本の1セットのみ(洗濯のタイミングも組み合わせも考えなくて良い)

服のくだりは、「ジョブスじゃん」と突っ込まれたことがあるが別に白のシャツではない。黒のワンピースだ。何故なら黒なら汚れても目立たないからだ。コーヒーをこぼしても大丈夫。

これらの徹底ぶりには磨きがかかっている。
で、何が起きているかというと、『結果』としてのミスが殆どなくなるのである。ミスすると落ち込むが、逆にミスのない状態が続くと端から見れば、問題なく動いているように見えてしまう。が、その『プロセス』はどうだ。人の何倍も『ミスを防ぐタスク』をこなしていないか?
ただ、正直こうした「注意欠如」に関してはよく分からない。(少なくとも自分よりは)正常に見える人だって、いや人間誰しも不注意を起こす。自分が抜きん出ているのか、いないのかと問われると主観では不明である。そもそも職場では自分もミスが殆どないから「正常」な人間にカテゴライズされているのが現状だ。睡眠薬を10年飲んでいることも、腕が傷だらけなのも誰も知らずに。


ちなみにADHDに明確の診断基準では12歳以前からこういった傾向が認められている必要がある。

「不注意(活動に集中できない・気が散りやすい・物をなくしやすい・順序だてて活動に取り組めないなど)」と「多動-衝動性(じっとしていられない・静かに遊べない・待つことが苦手で他人のじゃまをしてしまうなど)」が同程度の年齢の発達水準に比べてより頻繁に強く認められること
症状のいくつかが12歳以前より認められること
2つ以上の状況において(家庭、学校、職場、その他の活動中など)障害となっていること
発達に応じた対人関係や学業的・職業的な機能が障害されていること
その症状が、統合失調症、または他の精神病性障害の経過中に起こるものではなく、他の精神疾患ではうまく説明されないこと

DSM-5精神疾患の分類と診断の手引


わたしは母親以外の全ての大人から、「しっかりした、大人しい子供」と言われていたので、これには当てはまらない。


何はともあれ、ADHDかどうかはさしたる問題ではない。わたしは過去に睡眠障害、双極性障害や摂食障害、PMDDなど種々多様な病名がついたことがあるが、すべては同じことである。残念だが、自分は何かが変なのだ。さらに病名に頼るのも尺じゃないと思う自分がいるし、薬にはすぐ依存する。「治す」必要があるとしたら、それはもう「矯正」である。わたしは長年しぶしぶ、社会に属するため「矯正」を試みている。渥美雅彦氏は、かなりはっきり言っていた。「睡眠障害と発達障害は、"どの程度社会に合わせるか" で名前のつく疾患」であると。うんうん。この人好きだなあ。


わたしに衝動性がなかったら、高校生で家を出なかっただろうし、海外に行かなかっただろうし、第二言語を習得しなかっただろうし、いろんな職種や恋愛を経験することだってなかっただろう。いろんな場所に住むことも、睡眠を削って興味のある本を読むこともできなかっただろう。

わたしに衝動性がなかったら、一体何が残る?

Lost his mind, clinically fine
I don't need their surgeries
I just want to be
But nobody's moving after their medications
I can't hear the room
I want you to move
But nobody's moving at all


(超絶簡略意訳)
狂ってるが、医学的には問題なし
治療なんていらない、ただ自分でありたいだけなのに
投薬のあと、そこでは誰も動かない
動いてよ
たしかに周りは誰も動かないけどさ

「Mr. Doctor man」 Palaye Royale



衝動性がなかったら、わたしには何も残らないのである。


【余談】
英語の「勉強」でこうした意訳するのは間違いです。




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