夜が明ける
邦楽なんて何年も聴いていなかったのに、突然手嶌葵を聞きはじめた。
たまたま「テルーの唄」という曲がミックスで流れてきて、あ、これ「ゲド戦記」の曲だ、と思い出した。ゲド戦記公開はもう16年も前のことだなんて信じられない。
声はもちろん、歌詞があまりにも綺麗で、当時18歳だった彼女が作った歌でないことを願った。
調べたら宮崎吾朗の作詞でほっとした。
小さい頃は死ぬのが怖かった。そのあとは死にたくなって、またそのあとにやっと、自分から死ぬのはどうやらわたしには無理らしいと気づくことになる。
たったひとり、連絡のとれる親族である叔母が「誕生日に何が欲しい?」とメールをくれた。
欲しかった本を3冊リクエストした。
「それにしても、相変わらず難しいもの読むんだね〜すごいね。」
たったそれだけの返信に、ちょっと泣いた。いままで誰もそんなこと言ってくれなかった。
そういえば子どものころ、叔母が母だったらどんなに幸せだろうといつも思っていた。
中学2年生で、ソルジェニーツィンの「収容所群島」を読むことの特異さに母が気づいてくれたのなら、わたしは違う人生を歩んでいただろう。
ひょっとしたら大学に行ったかもしれない。
ところでオーダーしてもらった3冊は以下。(すべて新装、新訳!)
『監獄の誕生(新装版)』フーコー
『引き裂かれた自己: 狂気の現象学 (ちくま学芸文庫)』R.D.レイン
『白夜/おかしな人間の夢 (光文社古典新訳文庫)』ドストエフスキー
叔母が死んだら、わたしはきっとほんとに悲しい。
いつか絶対に死ぬのに、みんになんでそんなに冷静な顔して生きられるのだろう。
わたしたちはみんな死を待っているのだ。
人生と呼ぶには退屈で、生活と呼ぶには大変すぎるこの日々を。
いつの日か死んでしまう君よ。
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