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個別最適な学びについて考える(20)ー吉崎静夫(1997)子ども主体の授業をつくる-授業づくりの視点と方法-ーから

おはようございます。
昨日の記事をポストし忘れるということをしてしまいました。
もしよろしければ,ご確認いただきいいね!押していただければと思います。

今日の記事で20まできました!
まだまだ頑張っていかないとと思うばかりです。
いつか続けた時に何か感じることがあると思うので,続けれる時まで取り組み続けます。

そんな記念の20回では「吉崎静夫(1997)子ども主体の授業をつくるー授業づくりの視点と方法ー.ぎょうせい,東京」です。早速記事を読んでいきましょう!

 「わかる」という言葉は「分ける」から派生したと言われる。これとこれは同じだが,これとこれは違うということがはっきりと認識できたとき,その人の認識が「わかる」=「分ける」状態になった言えるというのである。
 この言葉の意味は授業を構成する上でとても重要である。授業では,とかく「正解」や「より優れた考え方・やり方」を提示し,与えることに終始しがちだが,この言葉の意味に従えば,「正解」や「より優れた考え方・やり方」わかる」ためには,「不正解」や「より劣った考え方・やり方」が必要だということになる。「正解」や「より優れた考え方・やり方」が「何ものか」と同時に,それらが「何ものでないか」,を知ることが学習を促進する重要な契機になるということになるからである。

吉崎静夫(1997)子ども主体の授業をつくるー授業づくりの視点と方法ー.ぎょうせい,東京

正解を考えるだけで終わってしまっている反省をこの文章から学びました。でも,本当にわかるためには,もう一方の「不正解」の方法も理解していなければいけないということですね。
こういう時に教え合いの協働を産むといいのかなと感じます。

子供によっては,教える方にメリットがあるのかなんて考えてしまうこともあると思います。その分,他の時間に当てられるのではないかと考えるかもしれません。でも,本当の協働的に学ぶことは,こういうことの意味も含められているのではないでしょうか。
間違っていることが悪いことではなく,「不正解」という側面は理解しているので,あとは「正解」の方を理解すればいいだけです。
これは,学級経営的なことなのかもしれませんけど,個別最適に学びすぎて協働することを忘れてしまった子にはいいのかもしれません。

個別最適に学んでいくことが重要なので,協働しなくてもいいのかもしれませんが,きっと乗り越えられないことも出てくると思います。
自分も1人だけじゃ達成できなかったことはたくさんあります。子どもたちもきっとこれからそういう体験をしていくと考えると,そういうことも授業の中で伝えていきたいですね。
今日は思い強めになってしまいました…すみません。笑

本日はここまで!また次回の記事でお会いしましょう!
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