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高橋希美

学部生の頃にしていたバイトで、1つ上に女の先輩がいた。

2回生の春休みに河原町のカフェ&バーでバイトを始めた。春休み期間で朝にバイトを入れていたのだが、時間帯が同じで新人の俺に仕事内容を教えてくれた。仕事の要領はよく適当に客をさばき、お節介にならない程度で新人の俺をフォローしてくれて、店長にばれないような程よい手抜き加減も教えてくれた。すごく愛想がいいわけではないけれど、会話が途切れることはなく、次第にプライベートの話をすることも多くなって、割とすぐに仲良くなった。目をよく見て話す人だった。いつも俺の目をじっと見ていた。笑うと目が三日月形に細まり、涙袋が浮かんで、アイシャドウのラメが煌めいた。俺はいつもそのラメを見ていた。

春休みが終わり3回生になった俺は、履修との関係で平日は夕方から夜にかけての時間帯しか入れなくなった。夜は同年代の学生が多く、店自体もバーになるため、カフェとしての朝の落ち着いた雰囲気と違って賑やかな感じのバイト先へと変わった。俺は特に世に言う陽キャな大学生に対して苦手という意識はない。バイト終わりには飲みに行くことが多く、こちらのメンバーとは本当にすぐに仲良くなった。
「誰推し?」
ある日のシフトで、学生男4人でのクローズ作業となった。控室で着替えているときに先輩が聞いてきた。俺と同じ時期に入ってきた男は、美人系で一番と言われている女の名前を言った。あ~おまえそっちか~と先輩二人の反応があった後、言い出しっぺの先輩は、可愛い系で一番といわれている女の名前を言った。俺も、と別の先輩が続いた。お前は?と聞かれたので、俺もその流れに乗っかって可愛い系の女を指名した。やっぱそうだよな~という同意が部屋全体に充満して、俺もその合唱に乗っかった。「じゃあやるなら?」とお決まりの流れになって、それぞれ巨乳の女に変更するのとそのまま推しを突き通すのと分かれた。俺はおしりがいいという適当な理由で同期の橋本の名前を挙げた。お前尻派かよwとか、いいケツしてるの知らなかったとか、今度見とくわとのコメントを各々言いながら、控室を出た。最後に出た俺は、盛り上がって少し熱気を帯びた控室の電気を消し、でも意外とあいつもでかいと、まだ議論を続けている男たちの、遠くなっていく声を後ろ手に聞きながら、鍵を閉めた。何人もバイト先の女の名前が出たが、先輩の名前は一回も出てこなかった。

夏休みに、バイト先全体でビアガーデン飲みがあった。横一列の大きい席で、来た順に適当に並んだら、俺は一番可愛いと言われている女の正面の位置に座ることになった。あまりシフトが被らず飲みに行ったことはなかったが、こうして初めてしっかりと対峙して見ると、なるほど確かにかわいい。乃木坂46の山下美月に似ている。愛想もよくて、たまに見せるあざとさの具合も比率も完璧。整った顔面に、ノースリーブから覗く細くて白い肌と、巻いた後れ毛にふんわりのポニーテール、笑うと揺れるピアスといった、全てが計算され尽くされているような、男の好きを集めたビジュアルだなと思った。高校までは顔に胡坐をかいて性格が少々残念になってしまった女の子がクラスにいたりもしたが、大学になるとこういう完璧な女がほとんどだなと感じるようになった。顔、性格、スタイル、服装、全てが平均以上。淘汰されていくからだ。一定以上でないと皆表舞台から消えていくからだ。俺の所属するコミュニティはそういった場所だったから、俺の周りにはいつも平均以上の女たちがいた。話すときにお互いを査定していた。ノリに任せて適当に話しているその裏で、超音波でお互いのスペックを確認していて、それが許容できる範囲に留まりあえば関係が続いていくし、どちらかがダメだと判断したら深くなることはない。容姿のいい女は好きだ。でもめちゃくちゃ美人な女と仲良くなれずとも、それに躍起になって悔しいとか思うことはなかった。俺もそうやって自分の許容できる範囲を下回る女とは仲良くなることはない。全ては巡っているのだ。
酒を取りに席を立った時、先輩と一緒になった。先輩は4回生の席に座っていて、俺とはかなり離れていた。先輩は4月から就活で6月まで休んでおり、春休み以来シフトが被ることがなかった。そういえばプライベートで会うのは初めてだ。白の半そでに青色のグラデーションのスカート、透明なヒールのサンダル。久しぶりだね、とお互いの近況報告をし合った。この人飲んでないのか?と思うほど、テンションはバイト中と変わらず呂律もしっかりしていた。相変わらずじっと俺の目を見ていた。その瞳に見つめられると、可愛い女を前にしてほんのり浮かれていた俺のこころが浮き彫りにされるようで、恥ずかしさを覚えた。俺がジムビームをコーラで割るのを見て、私もそれにするといった。一緒に作ってやると、ありがとうと三日月形に目を細めてお礼を言った。宙につるされた簡易電球に照らされて、涙袋に浮いたアイシャドウのラメが煌めいた。俺はそのラメを見ていた。

席に戻ると、山下美月は消えていて、彼女を推しだと言っていた先輩の隣へ移動していた。その席はかなり完成されて盛り上がっていて、抱き寄せたり手を握ったり、うるさくありつつ男女の空気が漂っていた。代わりに俺の目の前には、以前尻がいいと雑に名前を挙げた橋本が座っていた。顔が赤い。目がとろんとしている。話す速度が遅く声が甘い。橋本も普通に可愛い。やはりおしゃれな飲食店のバイト先のレベルは高い。暖色系で彩られた橋本の爪を可愛いと褒めた。そういうところがたらしって言われるんやで!と、まんざらでもなさそうに笑っていたのがかわいかった。橋本はさっぱりしている性格で、男友達が多かった。そのような子をもっと褒めて、恥ずかしがらせて、女の一面を見たいと思った。しかし、大学に入ってそれなりに女の子と関わっていくうちにわかったのだが、こういう子ほど、照れ笑いや羞恥を策略的にやる。そういう性格であることを自覚していて、ギャップをわざと作っている。そして俺もそれをわかっていて褒めるしいじめている。お互いにわかっていてやっている、故に確定演出。陰部由来の欲望という免罪符でなんとか耐えているものの、正気なら反吐が出るような会話。そんな中身のないやり取りを、これから先何回繰り返すのだろうか。5年後も同じようなことをしていたら流石に引くなと、橋本の手を握りながらぼんやり考えていた。

4回生は卒業と同時にバイトを去る。送別会が開かれた。1,2次会は木屋町の居酒屋で飲んだ。高瀬川沿いの桜がライトアップされていて、iPhoneのシャッター音が、酒に飲まれた高いテンションに任せて、日曜夜の木屋町に響いていた。この時期は送別会が多くて、そして京都で学生が飲むところなどほとんど木屋町河原町で、酔っぱらった学生らしき人たちが、光に照らされた桜と共に写真を撮っている光景ばかりだった。これが京都の出会いと別れの季節の景色なのかと思うと同時に、来年も再来年もおそらく見ることになるだろうから、その度にデジャヴを感じるだろうなとも思った。
3次会の河原町沿いのジャンカラでは半分ほど寝ていた。俺もかなり酔っていた。水が飲みたくて、ふらつく足元のままドリンクバーへ向かった。煩い室内からでると、少し現実に戻ってきた感覚になる。ドリンクバーにはすでに女の人がいた。よく見慣れた背丈。俺に気づいて、目が開いてないよと笑った。俺の肩くらいの身長で、セミロングの黒髪を少し巻いていて、薄ピンクのリップで色づいた唇から発されるのは、全く関西弁に染まってない標準語。頭を撫でてそのまま耳に触った。いつもまっすぐな瞳が、少し揺れたように見えた。ドリンクバーの暗めの黄色い照明に照らされて、涙袋に浮いたアイシャドウのラメが煌めいた。俺はそのラメを見ていた。先輩が卒業してバイトを去ったら、もう一生会うことはないだろうなと思った。

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