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頑張らないことのかっこよさ

長いこと、頑張らないことはかっこいいと思ってきた。
いつかはこうなりたいと憧れた大人たちは、いつも余裕で、笑顔で、凛とした姿勢でこの世界を生きていた。私の話す日常に、「私にもそんな時代があったわ。」と嬉しそうに微笑み、いろんな大切な言葉をかけてくれた。

頑張らないでできることを探し、いつも余裕なふり。最低限の努力で、最大の結果が得られることに価値を見出した。効率が良くないと思ったことは「“今”的ではない」と切り捨てた。勝手なことを言わせてもらえば、これがゆとりで悟りの世代観でもあるんだろう、だから仕方ないのだと納得してきた。これからの時代は、無理せず、頑張りすぎず、穏やかに生きていくことがかっこいいんだと。

そうして憧れを手に入れた気になっていた。

私は苦労話をするような人にはなりたくない、友人が言った。

本人はとても辛くて、頑張って乗り切ったことも、他の人にとっては何ともないことで。頑張ったんだなあとは思うけど、それ以上でもそれ以下でもない。苦労を語らないと、よく「あなたは何にも苦労してないんでしょう」と言われることもある。でも、「私だって苦労してるよ」と、張り合うのは違う。話さないからといって何もないわけではないけれど、そこに自分の苦労話を重ねるより、笑ってる方がいい。

はっとする。
素敵だなと憧れてきた大人たちは、苦労話を長々と語ったりしなかった。そして、そういう人だからこそ、魅力的に映ったのかもしれない。頑張った話、辛かった話をしないからと言って、何もなかったわけではないのだ。そんな当たり前のことに気がつく。

いつの世にも、不平や不満を嘆いてる人はいる。
朗らかに笑って、温かい言葉をくれる人もいる。
その人に実際に何があって何を思ってきたのか、その全てを私は知らない。

***

そんな折、大切な人が頑張った末に夢を叶えた。まず、羨ましい、と思ってしまった。私にはない物を手に入れたことを。

私がなりたかったのは、そんな大人だったっけ。
かつて私が憧れた大人たちのように、
共に心から喜び、静かにそして力強く、誰かを支えられる存在に私はなりたい。

もう一度考える。頑張らないはかっこいいのか。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。こうして言葉を介して繋がれることがとても嬉しいです。