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「人生つらい終わりたい」と思うのは何故か

なんで「人生つらい終わりたい」と思う時があるのか?
人生は暇つぶしである。異論は認めるけれど、私はそう思う。旅に出て色んな景色を見てわくわくしたり、勉強して知らないことを知って楽しんだり、友達と美味しい食事をとる時間を共有することとか。とにかく何かをすることで「楽しむため」に人生は使われるべきだと思う。
冷静に考えて80年くらい生きるのをつらい労働で埋め尽くすとか、義務教育の下で嫌々勉強するとか、おかしい。
義務教育は長い人生をどう歩むべきかの判断をするための下準備だと思っている。何が楽しいのか、何が嫌なのか、追求したい物事はあるのか、人との関係性の作り方の基本とか、そうやって自分がどう生きるか=楽しんでいくかを判断する時間なのだ。
労働だって2つの楽しむための手段だ。1つ目はお金を稼ぐこと。お金があれば大抵の楽しみは買える。旅行代、食事代、美容代、日々の消費を躊躇なく行えることは楽しみに直接繋がる。美味しいケーキを買えたり、誰かと憧れてたお店でお酒飲んで話す時間は何物にも変え難くて、お金だけじゃないけれどお金で買えるものだ。
2つ目は自己実現のために使えること。企業での活動は影響力が大きくて社会に実益を出せるし、色々な人と出会えて自分が成長できる。これは私がやりたいことができるハッピーな就職ができたからかもしれないけれど。企業の力で自分が成長できて、社会に貢献もできちゃうんだから、労働だけどきっと楽しい。
だから働くことも、勉強することも、楽しむための手段なのだ。それを履き違えると大事故が起こる。お金を稼ぐための手段が仕事で、その仕事をするための就職の手段としての受験勉強で、結局お金のために勉強している、、とかが最悪のパターン。全て違う。働くために勉強するのえぐいって、逆だから。勉強してたら興味分野が見つかったからその分野で働くんだって。計画的な性格の人ほど、本末転倒にならないように気をつけて欲しい。私はこの考えをしていた時期があって、人生やめたかったことがあった。
じゃあ、それが今はわかってて「楽しむため」の人生なのになんで辞めたくなるの?って自問自答なんだけど、(眠い・体調が悪い・)時間がない・やりたいことができない時な気がする。兎に角なにかに打ち込んでる時はこれらが表出しないから、すごく楽しい。最近も楽しい。でも時間がなさすぎて、その理由が自分がやりたいと思っていないもので埋め尽くされているからだと本当に人生やめたくなる。体調も悪くなっていく。就活、本当にいやだった。
大学の勉強も楽しすぎるし参考文献読んじゃうし、資格の勉強も未知で楽しすぎるし、友達と会う予定を整えてプラン組んでくのも最高、朝のバイトもみんな会えて嬉しい、ゼミもみんな好き、読んでる小説は面白い、Vtuberになるの謎すぎるが楽しみ、ボクシング続くかな、今度の映画なにみよっかな、期末試験の勉強もしたい、サンダル買お♪みたいな自分のやりたいことしか目の前に広がってなくて、人生ってこんな楽しかったのか、、、、と思っている最近。負荷がかかると色々見失うよね。

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