イマジナリーフレンドについて/解離性同一性障害
※イマジナリーフレンドについては、過去にいた経験がある程度なので、間違った解釈で、もしどなたかを傷つけることになってしまったら申し訳なく思います。
イマジナリーフレンド(IF)とは、空想上の友達と訳される存在で、主にひとりっ子の幼少期に存在するとされています。
が、私は兄がいる末っ子ですし、幼少期以降にもIFと共に生活している方も多く、実際にはそんなことないのではないかなと思われます。
イマジナリーフレンドは、お人形遊びやひとりごっこ遊びとは異なります。
実際に主にとって実存感の有る存在です。
また障害や病気の類いでもありません。
私にイマジナリーフレンドがいたのは小学生高学年の頃で、おそらく中学受験や家庭内でのストレスから生まれたものと思われます。
大好きなゲームに出てきた精霊さんがモデルで、口を利く事はなく、いつの間にか存在し、常に一緒にいてくれていました。
私の願いの反映か、彼は存在感が強く、うっすら目で見ることもできました。
私の中では彼は実存する存在でした。
私は彼が他者からは見えない存在であると認識していました。
なので、こっそり学校に一緒に行き、それがなんだかナイショの冒険をしているようでとてもドキドキしました。
家でもなにか自分へのごほうびにと、彼とお水で乾杯したり。
彼の存在にはとても助けられていました。
私の成長と共にいつの間にかいなくなってしまった彼ですが、今でも本当に感謝しています。
彼がいなければ、今のように自分の感受性の高さを受け入れることもできなかったでしょう。
さて、イマジナリーフレンドと解離性同一性障害の人格について比較してみたいと思います。
イマジナリーフレンドは、あくまで主の心の成長を助けるために存在する目に見えない友達です。
主の成長の過程で起きる心の葛藤や矛盾に寄り添い、またある時は共に喜びを分かちあえる存在です。
感覚としては、主の心の反映を外界へ投影した存在、といったところでしょうか。
複数人在ることもあり、各々が性格を持ち、役割を果たします。
私のイマジナリーフレンドは口が利けませんでしたが、お話しできるイマジナリーフレンドも存在します。
生活の中で、例えば日常的な買い物をするにも一緒に考えおしゃべりしながら。
目に見えないだけの友達そのものです。
※
解離性同一性障害(DID)の人格との比較に移ります。
人格さん達は心の投影ではなく、耐え難い記憶や強い感情が抜け落ち異常な成長の仕方を経て生まれた存在です。
その役割は、イマジナリーフレンドのように主を護るためだけに収まらず、攻撃的な人格や、罹患者本人を殺そうと自殺企画(その人格視点ではあくまでも自殺ではなく他害)する人格まで存在します。
各々に価値観や認知の仕方に違いがあるため、勝手に行動し、時に勝手な人格交代から罹患者や周囲を困らせます。
DIDの人格さん達はあくまで他人同士です。
人格は断絶、隔離され同一性を失ったために生まれます。
罹患者本人に協力的な人格ばかりではありません。
人格さんのなかには自分の置かれた状況を理解できないまま生まれる子もいるため、まずは相互理解に努めることが必要な場合もあります。
※
終わりに。
イマジナリーフレンドの存在に救われながらも悩んでいる方達がいるように思います。
しかし、イマジナリーフレンドは決して病気ではありません。
必要な存在だから、必要とされているから、存在している子達です。
共に生活し、共に成長し、共に悩み、共に笑い泣き、共に在る。
それでよいのではないでしょうか。
少なくとも私はそう思います。
以上、イマジナリーフレンドと解離性同一性障害についてのお話しでした。
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