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声を使わずに注文するカフェには、素敵な要素が幾つもあった。
全国に展開されてるカフェがある。
わたしは、LINEニュースで見たあるカフェの、「ここ」の店舗に行ってみたいと強くその日から思うようになっていた。
* * *
女神さま。…なのか何なのか、正体はわからないけれどわたしにはそう見えるからそういうことにしておく。それがお店のシンボルマークにもなっている素敵なカフェ、スターバックス。
普段は声を使って注文してるけど、行きたかった店舗は声を使わないでオーダーが取れてしまう。
どういうことか、というと手話を使うことで会話=「声の代わり」。
メニュー名とサイズ、ホットかアイスかは指差しで、「お願いします」とか「ありがとう」とか、「まだ決まっていないからちょっと待っててくださいな😊💦」などの会話をするのは手話でもできた。
YouTubeさまさまだと感じた。
そう、わたしは最近話題だったドラマ「silent」で手話に興味を持ち直し、(始まりは「聲の形」だった)そっからどんどんユーチューブで挨拶の勉強を「しなきゃ」じゃなく「したい」と思うようになりました。
スターバックス、nonowa国立(くにたち)店。
そこには聾者だけではなく、聴者の方もいらっしゃるので注文したドリンクやケーキが来なかったときにも安心して質問することができました。
静かな空間かな、どんな感じかな?
シーンとしてんのかな? なんて思ってたけど…
全然、賑やかで…ユーチューブ通りじゃなかった笑 ただひとつ、ここでしかない光景…というと、手話がスタッフさん以外のコミュニケーションとしても使われているってことだった。
聴者以外はいない、とか聾者以外は…とかの壁が全く感じられず、ごちゃごちゃになれる場所。
今、働いている場所の環境がそうだから、こんな空間いいな、わたしは好きだな。もっとこんな場所が増えたらいいのに、と思ってしまう。
何もできない→何かができる環境へと、面白いように変わっていく。
今回の東京カフェ、スタバ国立店でもね、
声が聞こえなくても楽しそうに働いているスタッフの方々が「ありがとう」「注文どれにしますか?」と聞いてくれること、とっても嬉しくなりました。
手話という新しい言語を学べてこれからどんどん「話せる」幅が増えていけるのなら。
まだまだわたしにもできることあるのかな、ってちょっとだけ明るく照らす未来が見えた気がした。
自分にしかできないこと探すための、一歩が
なかなか踏み出せないでいた臆病なわたしは
そことの出会いで今何かが変わり始めてる。
自分がのめり込める道が、もっとあるかもしれない。自分のことがもっと好きになれるかもしれない。ダメダメだ、こんな自分のこと嫌い! って思ってること自体が思い込みに過ぎなくて、ダメダメな自分がドジっ子のように可愛くさえ思えるかもしれない。
まだ、信じられないけど、わたしは何年か前…
五年前くらいかな? 今の考え方を手に入れるなんてことは思いもしなかった。
何でもないふりをして、自分は結構人を羨ましがって傷つく。人の持ってるものをほしがって、自分の持ってるものだけでは満足できない。
「隣の芝は青い」状態が過ぎて、「隣の芝が青過ぎる」状態になっていました。
人の持ってる旨味出せない人がいるから、わたしがいるのにね。
人のことが羨ましい。
わたし以外のひとはみーんな大人で、凛としているように見えてしまう。
こどもなわたしが恥ずかしい。って、自分のことをまた否定しかけてたんだ。
わたし達はそうやって、自分じゃない誰か、ここではないどこかへずっと、羽ばたきたがってる。
「みんな」というセットで見るから羨ましくなっちゃうのかな? ひとりずつ、単体でその人のこと見てみると、いいところと悪いところ、可愛いところ、憎めないところ…いろいろな感情の芽がぴょこっと顔を出してくるはず。
いい、悪い、白か、黒かだけじゃないもっと繊細な色をした感情が、今のあなたの答えだよ。
わたしは、このカフェとの出会いや、今働いている事業所との出会い、色々な人からの助けやアドバイス、耳の痛い意見をときには貰いながら、これからも生きていく。
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