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どうせ言っても無理

 文科省は「主体的に」学ぶ子ども、「発信する」子どもを育てましょう、と掲げている。私もそれは全く同感。その理由にも同感だ。
それは、今の大人世代に無いものを次の世代に持たせようと焦っているということだった。

大人が学んできたもの


 「先生や親やコーチ、先輩の言うことを聞け。それ以外の選択肢はない」と教え込まれた私たち世代は成長過程で不要なものを捨ててきた。
それは「主体性」。発信力も身につけてこなかった。でも今の時代、それが必要になっているということを社会の中で知った。だから代わりに「フォロー」や「シェア」で人の意見に自分の意見を乗せることで凌いできた。

 結局そんな風に育った私たちが指導するんだから、今の子どもたちに「主体性」や「発信力」をつけようなんて難しいに違いない。
それを重視してきた国の教育をじっくり学んでその良さを日本人に合わせる作業をしたり、また自分が育ってきた環境をひっくり返すくらいの柔軟性をもって学ぶことは必須になる。
 でも、「主体性」とか「発信」がふわふわ宙を漂うだけで、それに本気で着手している感は未だに見えない。時々どこかのある先生が実践した、とかそれでうまくいってる、ってなるとそれがまるで今の教育現場の様子みたいに全国のテレビで流されたり本が出たり。でもほとんどの学校でほとんどの家庭でそれは本気で実践されていないことは明らかだ。

 だってそうでしょう。子どもたちが今特に主体的に何かしてますか。

言葉だけがふわふわ漂う教育界

SDGsもその言葉ばかりがその辺りをウロウロしてる。文字を入れたら終わりみたいなワークシートに文字を入れて、それを発表したら終わり。
もちろんそれでもいい。何もしないよりも、ピンとくる子には考える良いチャンスとなるだろう。でもピンとくる子は珍しい。ほとんどの子は「言われたことを期日までにする」ために目の前の文字を右から左に書き写すだけ。机上での手首の運動に留まる。

 本気で考えるならSDGsって言葉の紹介は一番最後でも良いだろう。本気で時間をかけて子どもたちに答えを見つけさせるのが目的ならば、SDGsという言葉をどこで習うかは問題では無い。でもなぜか「SDGsを学びました」という証明をみんなが欲しがっている気がしてならない。再度、これもピンとくる子には良いきっかけとなるだろう。ここでの学びをきっかけにもっと世界を広げて自分で学んでいく子が「稀に」いるだろう。でもほとんどの子は大人の本当の目的を透かして見て、それを叶えようとする。「SDGsって言葉を使えば大人は喜ぶ」

 随分ひねくれた考え方。そう思われるかも知れないけれど、教育に携わる私たちは常に「疑う」ことを続けているべきだと思っている。
教育が学習者以外の「誰かのもの」にならないように。子どもにこれを学ばせている「教師」が素敵。挨拶が上手な子どもを育てた「親」が素晴らしい。SDGsを積極的に授業に取り入れる「自治体」は表彰されるべき。。。
私は教育が「大人の手柄や認証欲求」の糧になるのを心配している。子どもの生活の中で長い時間を占めている「教育」が誰かの手柄のためのもので、子どもたちがその教育を通して「空気を読むこと」を学んでしまったら、結局それは「主体性」とは程遠いものになってしまうのだ。

自分の軸がぶれていないかを疑え

 ある先生が言った。「子どもたちは自分が悪い、って言ってくれました。」ある親が言った「自分から塾で勉強したいって言い出したんです」
それは本当に「自発的に」子どもが言った言葉だろうか。
そこを私は疑っていたいのだ。先生と生徒、親と子、見えない上下関係の中で子どもたちは「相手が言って欲しいこと」を読んではいないか。

 さて、大人世代の私たち。年を重ねれば重ねるほど愚痴が増える。でも聞いているとそれは「愚痴」ではなくて立派な「意見」で「気付き」だ。でもそれをただ愚痴るせいで、その意見が誰かに届くことはない。伝えてみる様に促しても「そんな私の意見が聞き入れられるわけがない」「どうせ自分が何を言っても、誰も興味を持たない」
 こんな言葉がいかに多いことか。諦めた大人がいかに多いことか。

 そんな私たちを見て、文科省は「主体性を持った人」「発信できる人」を育てたいと言っているのかも知れないが。相変わらずの教育を、「空気を読む教育」の継承者がただ行っているのが現状。きっと同じ未来が続く。
 
 今すべきことは、目指す教育を実践している人や例から学ぶこと。そして日本が育ててきた「空気を読む」ことの良い部分を残しながら、この国の新しい「自主性」と「発信力」を磨いていくことだと思う。

 「どうせ無理」と諦めていたら、何も前には進まない。
個々が素晴らしいものをもっているからこそ、それぞれの声が届いたらどんなに社会が良くなるだろう。優しくなることだろう。
たかが子育て、たかが子ども、そう見えるかも知れないが、いずれ社会を構成する大人の根っこを今、自分が育てていることを忘れずにいたい。
そのために自分を疑いながら、自分の軸を探って、子どもたちと一緒に主体的な学びを楽しみたい。

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