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英語のハードル

夏休み前最後の授業

 小学校でこの学年の英語の指導をし始めてから2ヶ月。月に数回のペースで会っていた子どもたちとの信頼関係も、昨年から関わっている4年生ではより深まっている気がする。廊下で会うと "Hello, Ms.Koyama!"と多くの子どもたちが声をかけてくれるし、怪我をした指を見せてくれたり、「おじいちゃんに習った」と英語のフレーズを聞かせてくれたり、今日の服の色一緒だね、ってニコニコ。こんな他愛もない関わりが、私が子どもたちと共有したかったものだから、かなり嬉しい。言葉を教える身として、これは基本。「話したい」と思う相手じゃないと、なかなか言葉は出てこない。

 そんな風に一年と2ヶ月が経ったある日の授業は「夏休み前最後の授業」別にそんなに大きな意味を持つものでもないかとも思うけれど、私は大袈裟に伝えた。「次に私が皆さんにお会いするのは、夏休み明けです」と。
クラスがどよめき、「えー!?」と声が上がる。
「もし英語ともっと仲良くなりたいな、って人がいたらね。夏休みにしたらグンと英語と仲良くなれる方法も、今日は授業の中でお送りします」
そう言って授業を始める。私の授業には毎回めあてがない。(担任の先生は設定してくださってるみたいだけれど、時々それから大きく外れて申し訳ないくらい)授業では子どもたちと一緒に旅をしている気分だから、めあてというイカリを下ろしてしまったら、「今日はこの天候なら移動すべき」と判断した時に動けなくなる可能性がある。私はその都度子どもたちが「英語、意外と出来るかも」と思ってくれることを自分の裏めあてにしているけれど、そんなことは誰も知らない。知らなくていい。

 でもこうして、今日の番組予告みたいなのをしても面白いのかな、なんて思いながら全体に「夏休みにこれ、しておいたら楽しいかも」を散りばめる。それが今日の授業。

ハードル

 夏休み前の暑い時期。いつも最初にしているHello Songは、汗をかきそうだから止めよう。そしてクラスに声をかける。「先生と挨拶しない?いつもはみんな全体と先生、って感じだけどさ。一人一人でやってみない?」
そして担任の先生とデモンストレーション。

私:Hello, how are you?
先生:I'm good, thank you.  And you?
私:Great, thank you.

 出来るだけシンプルに。そして「これ、やってみたい人、いない?」
チラホラ手が上がる。その生徒のところに行って挨拶。
これは授業の最初の方にしているし、毎回していることなのでほとんど全員が言えること。
「あれ、それなら出来そうかも、って思ったら後からでもいいから手を挙げて教えてね」
少しずつ手が挙がる。私はクラス中を歩き回りながら手が上がっている子と挨拶。どのクラスも10名前後の生徒が手を挙げる。

 一通りした後、ダメ押しの声かけ。「今日は全然したくありません、って人はもちろん全然OK。でももし今肩の下まで手が上がってる人…いたら、思い切ってみようか。」そこでまた数人手を挙げる。最後の一人まで丁寧に挨拶をしてから、話をする。

 先生ね。英語が話せて良かったーって毎日思うの。本当に楽しくて、嬉しくて。良いことしかないの。だからね、その気持ちをたくさんの人に味わって欲しいって思って英語の先生してるんだ。
 でね。先生も英語話すのにとっても勇気が要って、外国の方から話しかけられた時に逃げたこともあるし、自分から電話しといて英語が怖くてガチャって切っちゃったこともある。だから今ね、手をあげようかどうしようか…って人の気持ちがすっごくよくわかるの。

 日本に英語を話せない人が多いのはどうしてかな、って今よく考えるんだけどね。英語の言葉を知るところまではいいんだよ。その先の「使う」ところにものすごく大きなハードルがあってね。その大きさに「無理だ」って諦めてしまう人が多いからかな、って思う。
 だから、先生の仕事はそのハードルを出来るだけ下げること。今日思い切ってこのハードルを超えてくれた人(挨拶の挙手をした子)、何人かは2回、3回って手を挙げてくれてたよね。一つ目のハードルはめちゃくちゃ大きいけどね、それを超えたら次のハードルってすごく低いんだよ。それを今日は何人かが体験してくれたと思う。(私と挨拶した子どもたちがブンブンと笑顔でうなずくのが見える。)

 先生の目標はみんなの最初のでっかいハードルを下げること。でもみんなのために跳んであげることは出来ない。まだ夏休み明けもあるからさ、いつでも良いからみんなのタイミングで。一緒にハードル跳ぼうね。

Ms.Koyama

学ぶ環境

 私は日本国内で英語を話せるまでに至らなかった。そんな自分が嫌で単身海外に渡って一年間、サバイバル生活をした。でも実際英語を話せる様になると、そのプロセスは様々だと理解出来るし、あの時に私を優しく育ててくれたニュージーランドでの触れ合いやコミュニケーションを私自身が作り出せないか、考えた。

 私が一年滞在したニュージーランドで強く感じたのは、人が「待っていてくれる」ということ。私の辿々しい英語を笑顔で頷きながら聞いてくれる人に、私は英語で表現することの楽しさを教えてもらった。プレッシャーをかけられながら、とかイライラされながら待たれるのではなく、本当に全身を私に傾けて私の話す言葉ひとつひとつに興味を持ってくれる人たちがいたから、私は安心して話すことができた。最高の環境だったと思う。

 教室の子どもたちとの"How are you?"の挨拶の中でも、私はその一人に目と心を注ぐ。緊張で言えなくなったら、そっと小さな声で応援するし、その子自身の尊厳を傷つけない様にサポートする。この小さな会話の中からも、その子が一生頑張ることが出来るくらいの成功体験を生み出すことが出来ると知っているから。そして、それを見ている子どもたちに安心感を与えられるから。

 小学校のたった一ヶ月に数回の45分。30人前後の子どもたちと一緒に学ぶ。それでも「出来るかも」という種を届けられる。たっぷり水を栄養を、太陽を注ぐことが出来る。

希望を繋ぐ英語

 そう信じながら10年が経った。その内の4年は小学校で直接子どもたちと授業で出会い、後の6年は小学校英語に携わる方々のサポートをしてきた。

 そんなある日、カフェでお茶を飲んでいると店員の女性が「小山先生」と声をかけてくれた。聞くと、私が最初の4年の間に指導していた小学校の生徒だった。あれから英語が好きになって、海外留学をしたと話してくれて。聞いている内に泣けてきた。
 正直、私が関われる間は子どもたちが実際は英語にどんな気持ちを抱いているのかわからない。これから中学、高校と英語が「すべきこと」になって大変な思いもするかも知れないな、と思いながら本当にただ種を手渡すことしか出来ないもどかしさもある。でも私が出来ることは信じることだけ。グッタリして授業を受けている子でも、英語苦手で…と言っている子にも、「誰にでもチャンスはあるからね。ハードル一緒に跳ぼうね」と声をかけながら、心の中で信じて祈る。どうかどうか、この素晴らしい一人一人が自分の幸せを見つけられますように。幸せでいられますように、と。

 カフェで出会った女性は、そんな私にひとつの希望を見せてくれた。嬉しかった。そして私は、英語のみならずあの時感じた「出来るかも」が彼らの中に自分への希望として残っていたら本当にそれ以上の幸せはないと思っている。
 小学校英語の世界に入る時、「他の授業や他の場所では叱られてばかりの子が、英語ではたくさん褒められる」というお話を聞いて心が躍った、あの時の気持ちをずっと忘れてはいない。

 民間で英語教室を運営しているにも関わらず、夏休み前最後の授業の最後には「英語教室や塾に行かなきゃ英語上手になれる、とかないからね。自分でも出来る方法、いっぱいあります。」って言い放っちゃった。
これ、本当の話だけれど。

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