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過干渉は子供から【自分】と【人生】を奪う

子育てに於いて、過干渉や過保護が好ましく無い、という事は広く知られている、と思っています。

どうして好ましく無いのか、その理由についても多くの人が知っている、と思うのです。

「子供の自主性が育たないから」

その通りだと思います。

つまり、多くの人が、過干渉の毒性には、気が付いているのだと思います。

しかし、その毒の強さにはピンと来ておらず、
更には、その毒の正体には気が付いていない様に思います。

過干渉や過保護が好ましく無い、との認識を持っている多くの人の理解は、
「子供が自分で考え、工夫する機会を奪っている」
という所で止まっている、と思っています。

毒の強さを甘く見ている、と感じます。

おそらく、過干渉、過保護な親は、その子が生まれた時から、今に至るまで、過干渉、過保護な親だった筈なのです。

急に今日から過干渉になりました、という事はあり得ないのです。

幼少期は子供にとっては親子関係が社会です。
幼い子供にとっては親が世界です。

その親子の在り方の中で育った子供は、生まれた時から、過干渉、過保護な世界しか知らずに育って来たのです。

「子供が自分で考え、工夫する機会を奪っている」という以前に、その子の心の中には、【自分】という意識が育っていません。

自分で考える、【自分】が有りません。
自分で工夫する、【自分】が育っていないのです。

その子から「機会」を奪っている、のでは無く、
その子から【自分】を奪っているのです。

毒が有ることは知っていても、その強さには気が付いていない、と思うのです。

毒の強さを知らない人は、毒の正体も知りません。

なんなら、先回りして心配し、先回りしてやってあげる自分を愛情深い親だと思っています。

加藤諦三氏の著書の中に、度々、
「過干渉、過保護は愛情に偽装された憎しみ」という言葉が記されています。

私はまさにそうだ、と思います。

過干渉、過保護な親は、子供を道具にしています。

何の道具でしょうか。

親自身の心の中の重大な「無価値感」から目を背ける為の道具です。

先回りして心配し、先回りしてやってあげる事で、
自分は優しい親だ、と思い込む道具にしています。
自分が居なければこの子は何も出来ない、と決めつけます。

子供は、優しい親だ、と信じ込みます。
親が居なければ何も出来ないと思い込みます。
生まれた時から、何も出来ない無価値な子供として扱われ、
親を引き立てる道具になります。

道具は使われる為にあり、決して主役にはなれません。

かくして、その子は自分の人生の、主役の座から降りて、主役が使う道具の役に徹します。

その子の人生の主役は親なのです。

主役を譲り、道具に成り下がった子供は、懸命に道具の役に徹します。

そうする事以外に生きる術を知りません。

とてつもなく苦しいのです。

苦しみに耐えかねて、問題行動と言われる形で、表出します。

不登校になったり、ひきこもったり、いじめられたり、いじめたり、

子供がそういった状態に陥った時、その親は、
子供の心に原因を求めます。
子供の脳に原因を求めます。

確かに、子供が医学的な何らかの原因を抱えている場合も有るでしょう。

しかし、私はその子に、何らかの障害名、疾患名が付けられた場合でも、

原因は幼少期の親子関係によって、負ってしまった心の傷にある事が、少なく無いと思っています。

もっと言うなら、その根は、親自身の心に有ると思っています。

先に、親が子供を、自分の心の中の無価値感から目を逸らす為の道具にしていると述べました。

子供はその世界しか知らない、とも述べました。

ならば、問題行動を起こすに至った原因は、親の心に有ると言えないでしょうか。


過干渉、過保護は愛情に偽装された憎しみ、だとすると、
親の心の奥底の憎しみは、誰に対する憎しみなのでしょうか。

その親もまた、かつて親の道具にされて育ったものと思われます。

親から道具として扱われた親子関係を、この人は雛型にして、
今度は我が子を道具にした、という事です。

道具にされた子供の苦しみは、とてつもないのです。

自分の人生の主役を奪われ、道具として扱われ、やり場の無い怒りを抱えています。

本来、怒りを向けるべきは、自分を道具として扱った親なのです。

しかし、その事には、気がつかない事もあれば、見て見ぬフリをすることも有ります。

いずれにしても、心はやり場の無い怒りに満ちています。

心の事には、法則性の有る事柄と、法則性が認められない事柄が有りますが、

この場合のやり場の無い怒りは、弱者に向かうのは決まっています。

やり場の無い怒りは、力関係の弱い対象、ぶつけ易い方向、無抵抗な存在に向けられます。

家庭内では、親が強く、子供は弱い存在です。

かくして、無価値感に苛まれる親は、子供を道具にします。

無価値感はこの親が、親から道具にされたことが原因です。

道具にする方法が過干渉、過保護なのです。

先回りして心配し、先回りしてやってあげて、自分は愛情深い親だと思い込みながら、子供から【自分】を奪い、人生を奪います。

愛を与えているつもりで、憎しみをぶつけてしまいます。

そして、その事に親も子も、自覚がありません。

だから、愛情に偽装された憎しみは、世代間で脈々と連鎖します。


「ダメだ、と思いながら、ついついやってあげちゃうのよ、だってこの子、不器用だから」
と笑いながら言うお母さんに、会ったことは何度もあります。

軽く考えているから笑いながら言うのでしょうが、少なくとも、それが好ましく無いという認識はあります。

気づくことが出来たならば、子供の中に原因を探さずに、

先ずは、親自身の心を覗いてみて欲しく思います。

根は、親の心に繋がっています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム




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