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親は許さなくったっていい

生きづらさの原因は、余程のレアケースを除いて、その殆どが幼少期の親子関係、にあります。

生きづらさを手放そうと決意した時、自分と向き合います。

自分と向き合う、という事は、見たく無い心の傷を見つめる、という事です。

心に傷を負った幼少期、そして親子関係に目を向ける、という事です。

生きづらいその人はかつて、否定され、拒絶される親子関係に晒されながら、傷だらけになっても生き抜いた人なのです。

生まれた時から、その環境しか知らないのですから、自分の抱える生きづらさに気がつく事は、決して簡単ではありません。

その人は気づいて、更に生きづらさを手放す事を決意するに至ったのですから、

その事が既に、尊い、と私は思います。

しかし、その尊い気づき、に到達しながら、迷い込む人、は少なくありません。


迷い込む人は、親を許そうとする人、です。

生きづらさを手放す為に、自分と向き合う筈が、いつしか、親を許すことが目的になってしまいます。

幼少期に、泣きたくても親の顔色を伺って親が、自分が泣くことを望まない、と察するや、泣きたい気持ちを投げ捨てて、100%親に譲って、明るく笑って見せた様に、

今また、親を許せない、と感じているのに、それを抑え込んで、親に譲って、
「幼少期、親には親の、大変さ、が有り、事情が有り、仕方が無かった」
という落とし所に迷い込みます。

生きづらさを手放す時、自分と向き合うのは、かつて抑え込んだ未消化の感情を感じ尽くして、消化する為です。

幼い自分は、泣くことを禁じられ、感情を否定され、存在を拒絶され、悲しかったし、怒りを覚えたし、自分を無価値に感じ、深く傷ついたのです。

その未消化の、悲しみ、怒り、無価値感、などの感情を、引っ張り出して、感じ尽くして、消化する為に自分と向き合います。

なのに、「あの時親は仕方が無かった」という落とし所に収まることは、

自分を抑え込んだ幼少期を再体験する事なのです。

そこに収まれば、
親は仕方が無かったから、と許す、優しい子供、で居られます。

けれどもそれでは、未消化の感情はそのまま残り、
人生の主役は親であり、その人は、優しい子供、として、親の人生のエキストラに甘んじます。

自分の感情を殺して、親に譲る限り、一人の人として、一人の大人として、人生の主役として、生きることは出来ません。

いつまでも、親が在っての優しい子供という、脇役を演じる人生、が続きます。

勿論、親を許すな、と言っている訳ではありません。

生きづらさを手放す決意をしたなら、向き合う対象は、自分、です。

親を許す、とか、親を憎む、などといったことが、事の中心に有るうちは、自分と向き合えていない、のです。

生きづらさを手放した後に、親との関係がどうなるのか、は、そうなってみないとわかりません。

許す気持ちになるかも知れませんし、完全に決別することもあるでしょう。

あたたかな親子関係を切望する人には、身も蓋もなく聞こえるかも知れませんが、

生きづらさを手放した人は、親子関係すら、自分を取り巻く出来事の一つに感じられ、

誤解を恐れずに言うならば、親に対する感情は、無頓着、になります。

血を分けた肉親ですし、親子関係はどの角度から見ても、密な関係性ですが、

本来人は皆、個として立つ、在り方が大前提です。

生きづらい人が育った環境が、親と子の感情を分ける心理的境界線が、余りにも、曖昧、だったのです。

親から必要な愛情を惜しみなく注がれて育った人は、親離れは早いですし、その親子の在り方は、生きづらさを抱えた人から見ると、ドライ、に思える程、あっさりした関係性です。

しかし、親は親、子は子、として、個として立っている、のであって、

冷えた関係性などでは決して無く、互いに個として、一人の人として、尊重していればこその、あっさりとした関係性です。

生きづらさを手放した後、

親は許してもいい、許さなくてもいい、のです。

ただ、生きづらさを手放す決意の元、自分と向き合う時に、

親子関係を主に据えては、自分と向き合うことが出来ません。

向き合うべきは、自分、

解放されるのも、自分、

個として立つのも、人生の主役も、

自分、なのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム



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