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嫌って責めた、自分、を受け容れる

生きづらさを手放そうとする時、自分と向き合います。

すると、これまでただ苦しいだけだったものが、一段深い部分を見る事になります。

真剣だから、です。
見定めよう、と意を決したからです。

しかし、生きづらい人は、人生の最初から自分を責めに責めて生きて来た人です。

自分と向き合った時、真剣であるが故に、自分の至らない部分を拾い上げ、

それにひとつひとつ抗い、抗っても正す事が出来ないと、

また、自分を責めます。


ここで、立ち止まって考えてみて欲しいのです。

至らない部分を拾い上げて、責める為に自分と向き合い始めた訳では無い筈です。

生きづらさを手放して、軽やかな心持ちで人生を歩む為に、自分と向き合う事を選択した筈です。

生きづらさ、は、かつて否定的な扱いを受け、自分を無価値だ、と思い込んでしまった為に、背負い込んでしまったのです。

自分を無価値だと思い込んでいるのですから、自分の事が嫌いなのです。

無価値で嫌いな自分に、散々辛く当たっていたのは、自分自身、です。

生きづらさを手放そうとするなら、

自分と向き合って、一段深いところが見えた時に、

ここが良くない、ここが間違っている、と自分の至らない部分を拾い上げて、

それを正そうとする、自分を責める、

それでは、ますます自分を嫌いになります。


たとえば、他人の気に入らない部分を見つけると、気になって仕方が無い、

そんな自分は良くない、と自分を責める。

それでは、自分を更に嫌いにならないでしょうか。


他人の気に入らない部分が気になって仕方が無い、そんな自分を許す、ことが目指す方向だと思っています。

更に言うなら、その目指す方向を向くことが出来ていない、そんな自分を許す、ことから始めます。

つまり、徹頭徹尾、自分を許す、自分を受け容れることが、生きづらさを手放す方向です。

自分を甘やかすのは如何なものか、と思う方も多いと思いますが、

生きづらい人は、これまで自分を嫌いに嫌って、責めに責めて、生きて来た人です。


肯定的に受け容れられる環境に育った人は、
生きづらい人が想像出来ない位、自分を責める事がありません。

細かな説明を加えると、色々とありますが、

大きく捉えると、

健やかな心で、軽やかに人生を歩いている人は、自分も他人も責める事が少なく、フォーカスが出来事に向いている人、です。

生きづらい人は、自分を責めに責めて生きている人で、フォーカスは出来事では無く、人、に向きがちな人、と言えます。


生きづらさを手放そうと決意して、自分と向き合うならば、

先ずは、これまで嫌って責めに責めた、自分、を全面的に受け容れ、全て許すことが先決です。

自分の至らない部分を見つけたら、全力で許してあげます。

「あんな事が有ったんだから、そうなるのは仕方が無いよね」

と、誰にもわかってもらえず、うずくまるしか無かった自分の、一番の理解者に、自分自身がなる、のです。

「あんな事が有ったんだから…」と、わかってあげる為に、自分と向き合い、過去を辿って、腑に落とすのです。

生きづらさを手放す、とは、

自分育て直すこと、であり、

これまで嫌って、責め抜いた、

自分との仲直り、だと思っています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム

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