心のこと、のインプット、アウトプット
永く生きづらさを抱えて生きて、
やがて生きづらさを手放す為に自分と向き合い始めた人は、
手がかりを探そうと、心のこと、にまつわる情報を探ります。
書籍やネットから、生きづらさを手放すきっかけになる情報を探します。
真剣だから探します。
なんとか苦しみから逃れたい一心で探します。
ここで大切なのが、
過去の記事で何度も触れた事ですが、
自分の心の状態に合った情報を選び取る事、です。
たとえば、「自分軸で生きましょう。」という文言に出会ったとします。
とても大事な事だと、私も思います。
広く多くの人が共有して良い、生きる助け、になる言葉だと思います。
しかし、多くの人が共有すべき事であっても、人によっては、また、タイミングによっては、まったく功を奏さない事は幾らでもあります。
多くの人には、良薬であっても、人により、タイミングにより、毒になる事もある、と思っています。
永く生きづらさを抱えて生きて来た人は、心に、確かな【自分】という意識、が育っていません。
【自分】が育っていないから、生きづらいのです。
しかし、その人には、【自分】が育っていない、という自覚はありません。
だから、本やネットの中に、「自分軸で生きましょう。」という情報を見つけると、
「なるほどそうか、自分軸で生きよう。」と思う訳です。
しかし、理屈は解っても、何をどうしたら良いのか解らないのです。
それはその筈で、生きづらい人は心に、軸にすべき【自分】が育っていないのですから、
先ずは、【自分】を育てる事が必要です。
多くの人の助けになったり、ヒントになるであろう「自分軸で生きましょう」も、
【自分】が育っていない状態の人には、
泳げないのに、「向こう岸まで泳げばいいんだよ。」という声かけをするのと同じです。
それでも、心に【自分】が育っていない人は、その自覚が無いので、理屈を頭で理解して、解ったつもりになっています。
解ったからと思い、次の情報、次の情報とインプットを重ね、
生きづらさを手放そうとして手放せない期間が長くなれば長くなるほど、
心のこと、に関する知識ばかりが増えて、どんどん頭でっかちになって行きます。
生きづらい人で、インプットにインプットを重ね、知識を積み上げるだけ積み上げても、少しも軽やかに生きられない人は沢山居ます。
ある人には薬でも、ある人には毒になる事もあるのですから、今の自分に必要な情報を選び取る事は重要です。
その情報が自分にとって薬か毒かを見極める方法は、
インプットした情報を、実生活に落とし込んで、実際に身を持ってやってみる事、です。
「自分軸で生きましょう。」という言葉が生きるヒントになりそうだ、と思ったなら、
今の自分が思いつく「自分軸」を生活の中で体現してみるのです。
先に述べた様に、生きづらい人は、自覚は無いですが軸になるべき【自分】が育っていません。
「自分軸」を体現しようとしても、何をどうしたら良いのか解らなかったり、
体現するつもりが、失敗したり、上手くいかない訳です。
すると、多くの人に薬でも、今の自分には薬にはならない、ということが見えて来ます。
見えて来るのは、薬か毒か、ということだけではありません。
何故「自分軸」で生きられないんだろう、と考えます。
すると、軸になるべき【自分】が無いのではないか、と気がついたり、
どうして【自分】が無いんだろうか、と疑問が湧いて来たり、
今まで考えなかった事を考えたり、気がつかなかった事に気がついたりします。
生きづらい人は、湧き上がる感情をすくい上げ感じ取る事が極端に苦手です。
かつて親の顔色を伺い、自分の感情を放ったらかしにして、親の感情を優先しなくてはならない環境に育ったから、そうなったのです。
感情の動物である人間が、感情を感じ取る事を禁じられたら、
感情を思考で補おうとします。
本来ならば感情は常に川の流れの様に流れ、思考はここぞという時に集中的に使われる仕組みになっています。
ところが、生きづらい人は、感情は流れず、その動き辛い感情を補う為に、思考が常にフル稼働しています。
つまり、生きづらい人は思考一辺倒になりがちです。
インプットにインプットを重ね、知識を積み上げるけれども、
実生活に落とし込んで実践しなければ、知識は感情に紐付く事が無く、
思考一辺倒から抜け出す事が出来ない為、生きづらさを手放す事が出来ません。
インプットした情報が自分にとって薬なのか毒なのかを判断する為にも、
実生活に落とし込んで実践する事が必要だと考えますが、
実践する事は、それだけの効力に留まらず、動き辛い感情を動き易くする効果は絶大です。
何故なら、実践するには、嫌でも自分の感情を注視する事が必要で、
それは、つまり、かつて感情を感じ取る事を禁じられたっきり、無視し続けた自分の自然に湧き上がる感情を、自由に感じ取る第一歩だからです。
生きづらさを手放す事を望むなら、
最終的には、慣れ親しんだ思考一辺倒の世界から抜け出す、決断、が必要です。
決断は、思考の仕事ではありません。
感情が伴って初めて、腹を括り、
決断出来るのです。
得た情報を熟考して知識に昇華し、
そこに実践から得た経験を加え、
感情を動かし、自分を育て、
腹を括って、決断すれば、
必ず望む人生に届く、と信じます。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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