一人では生きられない
「一人では生きられない」と言う人がいます。
確かに、人は誰とも関わること無く生きる事は出来ないでしょう。
たとえ友達が一人もいなくても、たとえ外界との接触を避けて引きこもっているにしても、
誰かが作って、誰かが運んで、誰かが売った食物を食べ、衣服を身に着け、住居に暮らします。
その意味に於いて、誰とも関わり合うこと無く、生きることはほぼ出来ないと言っていいと思います。
家族が無く、友人も無く、一人で暮らしている様に見える人でも、消費活動を通して、社会と関わり合っていますし、
衣食住を通して、他者と関わり合っています。
逆説的に言うならば、人は生きる限り、他者との関わり合いから逃れる事は出来ません。
「一人では生きられない」と言う人は、おそらく家族や友人に囲まれていない状況を嘆いているものと思います。
しかし、人は生まれた時は一人ですし、死ぬ時もまた一人です。
悲観的な話しをしている訳ではありません。
人は、個、として生まれ、個として生き、個として天寿を全うします。
大きな、ひと綿なり、の全体性が、生命の本質だったとしても、
この物質世界に生を受け、この物質世界で生命を全うするならば、
他者との関わり合いを前提としながらも、個として生きる仕組みに組み込まれています。
個として立ち、個として生きる中で、別々の個体であるにも関わらず、
時に心が触れ合うからこそ、そこに喜びや親しみが生まれます。
私達はこの世に生を受けた時には、自分と他者の区別を持ちません。
その意味に於いて、赤ん坊は、大きな一綿なりの生命から分離していない状態とも言え、
特に母子は肉体的には別々の個、ですが、心理的には一体なのです。
この母子一体の時期に、子供は母親に充分受け入れられる事で、自分という存在に安心感を覚え、
それが、確かな【自分】という意識、を芽生えさせます。
【自分】は感情を感じ取る主体であり、人生の主役であり、個、そのものです。
【自分】の外郭線が、自分と他者の感情を分ける心理的な境界線、です。
親からの充分な受け入れに抱かれて、【自分】が芽吹き、育ち、
その外郭線である、自他の感情を分ける心理的境界線がハッキリと引かれ、
心は、個として立つ、ことが出来る状態になります。
親から充分に受け容れられた子供は、早い時期に、個として立ち、やがて、個として生きます。
母子一体になるべき時期に、母親が心理的に未成熟な場合、赤ん坊を充分に受け容れる事が出来ません。
赤ん坊は母親と一体になる事が出来ず、【自分】が育たず、自他の感情を分ける心理的境界線が曖昧になり、
個として立つことが出来ない心、を持ってしまいます。
「一人では生きられない」という感覚を持ってしまう人の多くは、
述べた様に、幼い頃の母子の関係性に原因が有る、と思います。
この世界が、他者と関わり合いながらも、個として生きることが前提の仕組みになっているのに、
個として生きられない心を抱えてしまうことは、
生きづらい人として生きることに他なりません。
成長の過程で、未だ経験が少なく、【自分】が確立されていない時期には、
「一人では生きられない」と感じるのは当然です。
子供と大人の狭間で揺れる思春期などに、自分を頼りなく感じる事は、
程度の違い、時期の違いはあれど、誰にも有ると思います。
【自分】が確固たるものになっていないのですから、頼りなく思えます。
思春期という、人生に於いて限られた短い期間であれば、自分を頼りなく思う先には、個として生きる人生が広がるのですから、
掛かる負荷にも耐えられますが、「一人では生きられない」という感覚のまま大人になると、苦しみは実に長く、掛かる負荷はより一層重くなります。
言わば、思春期の悩みや苦しみが、増幅されながらずっと続いているのです。
そして、残酷なのは、この世は、個として生きる仕組み、になっているのですから、
個として生きる人は、他者との関わり合いが円滑です。
結果的に、好ましい人間関係を構築するに至りますが、
「一人では生きられない」という感覚が有る人は、求めれば求める程、良好な人間関係から離れてしまう傾向にあります。
先に触れた様に、この世は、他者と関わり合いながらも個として立ち、個として生きる仕組みになっているから、です。
どうしても、「一人では生きられない」という感覚が、良好な人間関係を阻害します。
その感覚に執らわれてしまうと、他者にしがみついたり、逆に突き放したり、時に、相手を試したり、することによって、
寂しさ、悲しさ、不安、怒り等のネガティブ感情に彩られた人間関係を引き寄せてしまいます。
「一人では生きられない」と感じたり、
また、その自覚は無いけれども、人間関係が望まない形になってしまうなら、
そこから辿って、自分と向き合う時期なのかも知れません。
心のこと、は、自分と向き合うことが始まりで、
自分と向き合うことが全て、だと思っています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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