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今ここ

心のこと、を考える時、色んな入口があります。

心理学、哲学、宗教、精神医学、自己啓発、スピリチュアル、まだまだ沢山あります。

更に言うなら、スポーツや学問や商売や、あらゆることを突き詰める先には、心のこと、があり、

その意味に於いて、ありとあらゆる事は、心のこと、に繋がっている様に思っています。

そう捉えたなら、心のこと、の入口は無数にある、と言えます。

私自身は、機能不全家庭に生まれ育ち、生きづらさを引きずって人生を歩み、生きづらさを手放した経緯の中での経験は、

全てが、心のこと、に繫がっていた、という実感を持っています。

そして現在は、「今ここ」を生きる事が、人生だと思っています。

今ここ、を生きるとは、過去や未来に囚われず、今自分ができることに集中して生きるということですが、

そう言うと、マインドフルネス、を思い浮かべる方も、きっと居られると思います。

私自身は直接的にマインドフルネスに傾倒した事は無く、

つまり私にとっての、心のこと、の入口はマインドフルネスでは無かったのですが、

他の入口から入って、「今ここ」を生きようと思うに至った訳です。

無数にある、心のこと、の入口のどれを選ぶのかは、本人の自由だと思うのです。

入口は違っても、道は折り重なったり離れたりしながら、進むうちに段々と束ねられて行く様に感じています。

心理学という入口から入っても、哲学や宗教という入口から入っても、今ここを生きる、ということに束ねられて行く様に思っています。

束ねられる、と言っても、目的地が最終的に一つである、という確証は無いですし、
目的地があるのかすら、おそらく誰にも解らないのではなかろうかと思いますし、
更に言うならば、目的地を定めるべきなのか否かすら、断定的に語る事は出来ない様にも感じています。

ただ、この物質世界に生を受けた私達が、触れる事が出来るのは、今、だけなのであり、

どんなに過去の思い出が鮮やかに蘇っても、
どれ程未来の予測にリアリティが有ったにしても、
過去や未来は、私達の思考が創り出す想念であって、触れる事は叶わないのですから、

過去を見て後悔に執らわれるのは、想念にしがみつく事であり、未来を見つめて不安に捕まるのは、想念に縛られる事であって、

今、を疎かにする事になる様に思います。

今、だけが私達が触れる事が出来る、この物質世界に於ける現実なのであり、

今、の連なりが人生と言えます。

意識が過去や未来に飛んで行って、今を蔑ろにしてしまう事は、人生を蔑ろにする、という事になると思うのです。

心は一人ひとり違っていて、万人に通ずる事ばかりではありませんが、今、を生きる事の大切さは、基本的に誰にも当てはまる事だと思っています。


心のこと、の入口はどれを選んでも構わない、と述べました。

但し、唯一の例外がある、と思っています。

その例外とは、今まさに、生きづらさ、を手放そうとするタイミングにある人、です。

生きづらい人は、今、を生きられないから苦しんでいるのです。

その、今、を生きられなくて苦しんでいる人に、今を生きよ、と言うのは、

泳げない人に、「向こう岸まで泳げ」と言う様なものなのです。

生きづらい人が、今、を生きられないのは、幼い頃に、過去を悔やまざるを得ず、未来を恐れざるを得ない様な事を刷り込まれ、

意識を過去や未来に飛ばして、後悔と不安にまみれて生きざるを得なかった為、今、を蔑ろにする事が常態になってしまったから、です。

刷り込んだのは親です。

刷り込んだ目的は、その子に自分の人生を生きる事を放棄させ、親の人生の脇役として生きる様に仕向ける為、です。

親は、子供の人生を取り上げて、自分の人生に子供を組み込む、などという事をしている認識はありません。

それどころか、自分は子供思いの愛情深い親だと思い込んでいるのが大半です。

子供を抱きしめるイメージで、その実、絡みついて、与えているつもりで、奪います。

親のイメージと、実際にやっている事の乖離は余りにも大きく、

その事を親は全く認知しないのが、こういった親子関係の残酷さ、です。

親自身が抱える生きづらさから目を逸らす為に子供を利用するのですが、

子供が、自分、として、自分の人生、を歩んでは、親の道具として、親の人生に組み込む事が出来ません。

親は半ば無意識に、子供に罪悪感を持たせる様に仕向けたり、不安を煽る様な言葉をぶつけたりして、

子供の心を揺さぶります。

無関心、過干渉、過保護、なども無意識に子供の心を揺さぶる行為の典型例です。

そうして、心を揺さぶられ続けた結果、子供は後悔や不安に縛られて、今、を生きる事が出来なくなります。

子供は、今、をそして、人生、を奪われます。

更には、親の人生に組み込まれた子供は、自分の感情を放ったらかしにして、親の感情を優先せざるを得ない親子関係の中で生きるうちに、

親の感情を推量する事は出来ても、自分の感情が分からなくなってしまいます。

今、を生きる、ということは、今湧き上がる自分の感情を余す事無くすくい上げ、感じ尽くす、という事です。

自分の感情が分からなければ、今を生きる事が出来ません。

今ここ、を感じ尽くす事、

今ここ、を生きる事が、

生きる、という事だと思っています。

しかし、生きづらさを手放そうとする人は、

今ここ、を感じる事が難しくなってしまった状態に在ります。

先ずは、親から禁じられ、動きを止めてしまった、

自分の感情を感じ取る力を、活性化させる必要があります。


今ここ、を生きる前に、或いは、今ここを生きる事と平行して、

自分の感情をすくい上げ、

感じ尽くす力を、

取り戻す事が、生きづらさを手放す段階では、大切なのではないか、と常々思っています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム
















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