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本音を言うと涙が零れ落ちそうになる人

自分の本当の気持ちを口にすると、涙が零れ落ちそうになる人は、

ずっとずっと我慢に我慢を重ねて生きて来た人です。

どうして自分がこの場面で泣きそうになってしまうのか、解らないうちに、涙がこみ上げる人は、

自分の感情を全部閉じ込めなくてはならない環境を生き抜いた人なのです。

幼い子供は、湧き上がる自然な感情を自由に表現する事で、自分の感情を拾い上げるという尊い力を得ます。

自分は自由に、感じて良い、という安心感を獲得します。

私達、人間は紛れも無く、感情の動物、です。

人が人として生きるには感情が、川の流れの様に、常に動いている必要が有ります。

感情が常に動いて、それを感じ取って初めて、人は人たり得て、自分は自分たり得る、と思うのです。


自然に湧き上がる感情は、拾い上げ、感じ尽くすことによって消化されます。

幼い子供に、泣きたい気持ち、が湧き上がったなら、
その子はその、泣きたい気持ち、をすくい上げ感じ尽くす事で、泣きたい気持ちを消化します。

すくい上げ、感じ尽くすうちに、涙は溢れんばかりにその子の目に溜まり、その子の瞳を揺らします。

そしてやがて、涙は零れ落ちます。

それが自然ですし、それが唯一の、泣きたい気持ち、を消化する方法です。


心が未成熟な親は、我が子を一人の人として尊重することが出来ません。

その親にとっては、我が子は所有物なのです。

自分がお腹を痛めて、この世に生んで、あげた、
自分が苦労して食べさせて育てて、あげた、のだから、
自分のモノ、という認識です。

所有物なのですから、その子が一人の人として人生を歩むことは、親への重大な、裏切り行為、です。

所有物なのですから、その子がその子として生きることは、忌まわしきこと、なのです。

先に触れた様に、人が人たり得て、自分が自分たり得る為には、

感情が動き、その感情をすくい上げ、感じ尽くすことが必要です。

その親は、子供が一人の人として、子供が、自分、として、
人生を歩むことを、裏切りと捉えてしまうのですから、

子供を親の所有物に押し留める為には、子供の感情を閉じ込めてしまえば良い訳です。


心が未成熟なその親は、子供が自然に湧き上がる感情をすくい上げることを禁じます。
その子に、湧き上がった感情を感じ尽くす自由を与えません。

あの手この手でその子の感情を揺さぶり、
その子が湧き上がる感情を素直にすくい上げることを妨害します。

あの手この手は、星の数有りますが、

たとえば、その子が泣きたくなっていると察すると、
「泣くな!」と直接的に言葉にしてぶつける事で、その子の、泣きたい気持ち、を潰します。

或いは、その子が泣きたくなっている事を、軽蔑する様な表情を浮かべる事で、間接的にその子に、罪悪感を植え付ける事で、泣きたい感情を抑えつけます。

泣くな!と怒鳴られたら、その子は自分の感情を、悪いもの、と思い込み、その、悪いもの、を生み出す自分を責めて、嫌います。

親から軽蔑の表情を浮かべられたら、その子は自分の感情を恥ずかしく思い、そんな恥ずかしい感情を生み出した自分をも恥じます。

怒鳴ったり、軽蔑の表情を使ったり、冷やかしたり、騙したり、その方法の全てを挙げつらう事は出来ませんが、

とにかく、心理的に未成熟な親は、ありとあらゆる方法で、我が子が、自分、として、自分、の人生を歩み始める事を妨害します。

その親にとっては、その子は、自分の心の葛藤から目を逸らす為に欠くことが出来ない、道具、だからです。


親から尊重された事が無く、所有され続けた人は、

湧き上がる感情の全てを心の奥に閉じ込めて生きて来ました。

泣きたい、はしゃぎたい、怠けたい、甘えたい、それらの子供らしい感情の全てを諦めさせられたのです。

感情を諦める度に、その子は自覚は無くても、親に対して、怒り、を覚えます。

感情の動物が感情を取り上げられるのですから、怒り、を覚えます。

その人の心の奥は、生まれてからずっと我慢に我慢をかさねた感情が行き場を失くして淀んだまま、になっています。

淀んで許容量いっぱいまで溜め込んだ感情は、もう決壊するばかりの状態です。


生まれた時から、我慢、が始まりました。

ずっと我慢する環境しか知らずに育ったので、

その人には、自分がそんなに我慢している、という自覚がありません。

しかし、溜め込んで淀んだままの感情は、いっぱいいっぱいなのです。


自分の本音を誰かに話そうとする時、自分の感情を、悪いもの、と思い込んで生きて来た人は、

心が揺れます。

心という器が揺れると、許容量いっぱいの溜め込んだ感情が、溢れてしまいます。

だから、涙が零れ落ちそうになります。


生きづらい人で、本音を語ろうとしたら、涙が零れ落ちそうになる人は、

少なくない、と思っています。

会話の内容や、その場の空気に関係無く、

涙が零れそうになるならば、

それは心が、もう我慢したく無い、と叫んでいるのです。

その叫びに応えてあげられるのは、

自分自身だけ、です。

自分が自分の一番の理解者に、

なって欲しく思います。

溢れてしまいそうになっている心は、

きっと、

その時を待っています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム






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