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おだてる親は、子を励ますことが出来ない

自分を無価値だと思い込んでいる親は、子供を誉めることが出来ません。

誉めることが出来ない人は、人を励ますことが出来ません。

誉める事、励ます事が出来ない人は、おだてます。

おだてることの根底には、意図、があり、
誉めることの根底には、思いやり、があります。

根っこが違えば、咲く花も違う訳です。

しかし、無価値感に苛まれる親で、おだてる事と、誉める事の違いが解っている人は、先ず居ません。

勿論、言葉は知っていて、理屈は解っていて、
おだて、の定義は説明出来て、誉める、という意味を理解出来ていても、

それは思考による言葉の理解に留まり、感情に紐付く事が無いのです。

どうして、その親が、思考による言葉の理解を、感情に紐付ける事が出来ないのか、というと、

その親が、他者の思いやりに触れた事が無いから、です。

その親が育った環境には、意図を持っておだてる人は居ても、
思いやりを持って誉める人も、ましてや励ます人など居なかったからです。

その親は、他者の思いやりに触れる体験が圧倒的に不足したまま、大人になったのです。

おだて、の根本には、意図、がありますが、

意図、を持って他者に働きかける時、それは他者をコントロールしようとしている事になります。

世に出たら、コミュニケーションの大半に意図はあります。

ビジネスシーンでは、双方に意図があるのは当然です。

社交辞令は、相手に意図がある事を双方が解っていて成り立ちます。

世に出れば、フォーマルな場になればなる程、コミュニケーションに占める意図の割合は高くなるでしょう。

この人とは親しくなりたい、と思って会話するのも、この人とは距離を置きたい、と思って行動するのにも、意図はありますし、

割合はその場その時で違っても、世に出たら、意図や思いやりは相半ばするものだと思うのです。


意図の介在が最も少い関係性が、幼少期に於ける母子関係だと思います。

幼少期の母子関係の殆どは、思いやりで出来ていますし、また、そうであって然るべき、だと思っています。

幼少期は、人の生涯に於いて、子が親を純粋に慕い、親が子を心底思いやる、唯一の特別な季節だと思うのです。

子供は、その母子関係に抱かれて、心に思いやりを根付かせ、

根付いた思いやりの上に、人間関係のひな型を構築します。

その人間関係のひな型を持って、その子は、人生を歩みます。


子供をおだてることは出来ても、誉めることが出来ない親の人間関係のひな型には、思いやり、が欠けています。

生涯唯一の特別な季節に、思いやってもらえなかったから、です。


幼少期に親から思いやりを持って接してもらえた子は、親になった時、

当たり前に子供を思いやります。

未だ幼く、感情を上手に表現出来ない子供の気持ちを汲み取ろうとします。

気持ちを汲み取ろうとする事が思いやることであり、
思いやる、という事は、子供を一人の人として、尊重しているという事です。

その子の感情も、その子の存在も大切に思っている、という事です。

駆けっこで一等賞を取ったから、誉めるのでは無く、赤ん坊だったこの子が、未だ小さいとは言え成長し、頑張って走っているのが愛おしいから誉めるし、励まします。

テストで100点を取ったから、誉めるのでは無く、机に向かう、その子の真剣な眼差しをいじらしく、頼もしく感じて、誉めずにはいられなくて誉めるし、励まさずにはいられなくて励ますのです。

コントロールではありません。
意図、では無いのです。

そんな親子関係であっても、人間同士ですから間違うことなど、幾らでもあります。

親が子を思わずコントロールしようとしてしまったり、意図を差し挟んでしまったりする事もあります。

しかし、親子関係の根本が、思いやり、であるならば、失敗も御愛嬌、人間らしさ、であって、

親も子も健やかで居られます。


子育てに正解は無く、親は間違ってばかりです。

間違う事が問題では無く、親子関係の根本に、思いやり、が有るか否かが重要です。


おだてる事が出来ても、誉める事、励ます事が出来ない親子関係に晒されて生きた人は、思いやりが欠けてしまいます。

その親子関係しか知らずに育ったのですから、自分のコミュニケーションの根本が、意図であり、コントロールであるという事に気がつく事の難易度は低くありません。

しかし、気がつく人も、思いやりを手にする人も沢山居ます。

世に出れば、述べました様に、コミュニケーションは意図と思いやりが相半ばするのが当たり前です。

唯一、思いやりばかりで出来ているのが、幼い子供と母の関係性と言えます。

それだけに、母になる時は、気づきを得るチャンスでもあります。

子供を通して自分の心を見る事が出来ます。

子供の心の問題を突き詰めれば必ず親の心に行き着きます。

もしも、自分の心の根本には、思いやり、が欠けている事に気がついたなら、

子供をどうにかしようという事では無く、親自身の心に思いやりを育てる事が大切です。

親が思いやりを持てたなら、

子供は思いやり溢れる子になります。

そして、この子に教えられた、と思える日が来たら、

それが親の心に、思いやりが根付いた証しです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム










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