#100 毎日更新100日目を迎え何を思う
こんばんわ。
タイトル通り本日で毎日投稿100日目である。
3ヶ月とちょっとの間、毎日少しだけ時間を取って思ったことを綴ってきた。
100日という数字だけを見れば一瞬おっ!と思うかもしれないけれど、実際100日間noteを投稿し続ける事はすごい事でも何でもないと思う。
私の記事の平均文字数は1200字~1300字ほど。
twitterの文字数制限が140字なので、ちょっと長めのツイートを毎日10個しているのと同じというわけ。
こう聞くと何でもないことに思えるし、実際何でもないことだ。
ましてや私の記事は個人の日記を垂れ流しているだけなので、クリエイティブな作業は何一つない。
専門性の高い有益で上質な記事を100日間毎日投稿していたのであれば話は別だが、そういう訳ではない。
本当に自己満足の世界。
私は自分の文章を読み返しながら、「良くかけているなぁ」とか「読みづらい文章だな」とか一人で楽しめる人間なので、幸いにも続けるのは苦にならなかった。
自分の文章が自分にとっての娯楽になる人間だから。
単純に文章を書くのが趣味なのかもしれない。
お金にもならない、ほとんど誰も見ていない、時間を忘れて没頭する、ここら辺が当てはまるので最近そう思い始めた。
一番最初の記事で書いた「何も続けられなかった人間がnoteを続けたらどうなるのか?」の答えは、「文章を書くという趣味を見つける」である。
これをきっかけに何か自信がついたわけでもないし、100日続けた事に何か意味がある訳でもない。
noteをきっかけに変わったことは何一つない。
ただnoteを通して1つ思ったことは、何を言ったか(書いたか)よりも誰が言ったか(書いたか)の方が断然重要だということ。
たまに他の人のnoteで良いこと書いてあるなぁと思う記事があるが、ほとんど注目されていなかったし評価もされていなかった。
にもかかわらず、後日テレビで著名人が同じことを言ったりブログに書いたりした途端SNSでバズって共感の嵐という光景は何度も見た。
だから、当たり前だけどこの世に誰が言ったか以外に重要なことは無いのだ。
まぁそういう訳で、noteで正論をぶちかます意味はほぼない。
一般人の記事がいきなり評価されることはまずあり得ない。
私のように自己満足で終わってもよいのであれば、正論ぶちかましスタイルでもいいかもしれない。
ただ、フォロワーがどうだ人気がなんだ仕事に繋げたい云々と、色々とやりたいのであれば、一般人が投稿すべき記事は少なくとも日記ではない。
有益で楽しくて読みやすく、下手したらお金を取れるような文章を書く必要があることを覚えておくべきである。
一般人の日記や雑文に他人は興味を持たない事を知るべし。
最後に
「30日毎日投稿して分かった事」やらなんやら、そういうタイトルの文章はほとんど読む価値がない事が、この記事を通して分かっただろうか。
記事の内容にもよるが、有益な記事や面白い記事を書く人は自然と投稿頻度が下がるものだ。
100日だろうが10日だろうが、そこまでの道のりが大事なのだ。
noteごときで30日や100日毎日投稿したところで、毎日ツイートしてるとかそのレベルの話で、何か努力して達成する目標ではない。
限りなく低い山だ。
毎日投稿できない人間はそれすらも出来なかった人という訳では決してない。これは「おれ、毎日ゲームしてんだよね」とか「おれ、毎日お茶飲んでるんだよ」という類の話であって、したきゃすればいいし別にしなくてもいいのだ。
noteの連続投稿で計れる指標は何一つ無い。
だからくれぐれも「何も続けられなかった私が、noteを100日間毎日投稿できるようになった方法」みたいなクソしょうもない有料記事に引っかからないように願う。
noteの連続投稿=努力できる人間になった訳ではないことは理解しておくべきである。
100日間毎日投稿したらこんな感じで愚痴の記事が大半になる。
で、今後もそんな感じだと思う。
人間そんなもんだよ。
期待せずに行こう。
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