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「DOUBLE FANTASY John & Yoko」(ダブル・ファンタジー展)

2020年は、ジョン・レノン生誕80年・没後40年のメモリアルイヤーでした。本来ならばこれを機に、世界中の多くの人々が「愛と平和」の尊さを再確認し、「イマジン」を口ずさみながら、子どもや孫が愛の溢れる豊かな世界で成長する姿を想像していたに違いありません。

…しかし、世界は分断と差別が拡大し、さらには新型コロナウイルスの恐怖が蔓延する未曽有の一年となった。哀しみと嘆きの声だけが耳に届くようになってしまった。

自分自身、陰鬱な空気に息苦しさと、人に会えない事による言い知れぬ孤独感に苛みながら、鬱々とただ過ぎ去るのを待っていた年の瀬…あるドキュメンタリー番組を観ました。

胸が熱くなりました。

この混沌とした今こそジョンの歌が必要なのではないか。ジョンとヨーコの歩みから、見失いかけている『人のあるべき姿』が見出せるのではないか…

 

 

2021年1月12日。

あのドキュメンタリーの基となっているエキシビション『DOUBLE FANTASY John & Yoko』(ダブル・ファンタジー展)に行ってきました。

緊急事態宣言が再発出され、こんな時に美術館へ行っていいものかかなり悩みましたが、どうしても彼らの想いに触れたくて、またドキュメンタリーを観たあと、図録付きチケットを購入済だったこともあり、3連休直後の平日(雨天)の午後という人気の少ないタイミングを見計らって来館。

場所は、ソニーミュージック六本木ミュージアム。案の定人気は少なく…というか、ほぼ貸し切り状態でした。贅沢すぎる。職員・学芸員の皆様も親切で、ゆっくりと安心して楽しむことができました。

館内は写真撮影可だったので、展示物を少しだけ紹介したいと思います。
※ここで使用している写真は全て私自身が撮影した展示物です。

 

「Ceiling Painting<天井の絵>」(1966 Yoko Ono)

ジョンとヨーコの出会いは1966年。ロンドンの画廊「インディカ・ギャラリー」。当時、すでにビートルズとして絶頂だったジョンが、前衛芸術家として活動していたヨーコの個展に訪れたのがきっかけ。

<天井の絵>には虫眼鏡がぶら下がっており、梯子からこのルーペでキャンバスを覗くと「YES」という文字が見えます。ビートルズとして、個人の自由を失ったことにストレスを感じていたジョンでしたが、この「YES」に非常にポジティブなメッセージを感じたそうな。

 

「Bed-In」(1969)

1969年3月。結婚式を挙げたジョンとヨーコはこのギターを持って新婚旅行へ出発しました。しかし、注目を集めることを理解していた2人は、新婚旅行先のオランダ・アムステルダムの宿泊ホテルの一室をメディアに露出し、平和運動に利用します。世界でもっとも有名なパフォーマンス「ベッド・イン」。ジョンとヨーコはベッドの上から愛と平和を訴えたのです。

ちなみにベッド・イン中このギターで「Give Peace a Chance」という曲が生まれました。歌詞は記者とのやり取りで、ジョンが即興で書き上げたそうな。



「イマジン」(John Lennon / Yoko Ono)※複製

ニューヨーク、ヒルトンホテルのメモ用紙に書かれたイマジンの歌詞。国家も宗教もない、互いに分かち合いながらただ平和に生きることを、まずは「想像してごらん」とジョンは呼びかけます。

イマジンの歌詞は、元々ヨーコの詩集「グレープフルーツ」内に原案となる詩があります。イマジンは当初、作詞にジョンの名前しかクレジットされていませんでしたが、2017年に正式にジョンとヨーコとの共作としてクレジットされるようになりました。

 

「ショーン・タロウ・オノ・レオン誕生」(1975)

ジョンとヨーコは、ロンドンからニューヨークへ移り住むと、様々な平和活動や反戦活動に参加。しかし、当局からは極左の危険人物としてマークされるようになり、時のニクソン政権より国外退去命令が下ります。

しかし、ウォーターゲート事件によりニクソン大統領が失脚すると、国外退去命令は破棄され、ジョンはついにアメリカ永住権を手にしました。

1975年にショーンが生まれると、ジョンは音楽をやめ主夫として家庭を支えることに専念します。


雪駄を履くジョン違和感ない(笑)ジョンにとっても日本は癒しの地だったようです。日本に関するたくさんのイラストも展示されております。

さて、次第にショーンは大きくなり、4歳の頃に友達の家で覚えたビートルズの曲を歌うようになったそうな。また父親がビートルズだったことも初めて知ります。ジョンの中で、音楽を創る父の姿をショーンに見せたいという気持ちが芽生えたそうです。

そして、1980年…

このエキシビションのタイトルにもなっている『ダブル・ファンタジー』というアルバムをヨーコと共作します。


「ローリングストーン誌 表紙」(1980年12月8日撮影)

1980年12月8日。

ジョンとヨーコはRS誌の撮影とラジオ局のインタビューの終え、レコーディングスタジオ入りました。そして5時間後、22時にスタジオを出て、夕食へ出かける前にショーンの顔を見に、自宅アパート(ダコタ・ハウス)へ立ち寄ったそうです。リムジンから下車したところで、暴漢の4発の凶弾によってジョンはその場に崩れました…


「IMAGINE THEATRE」

ダブル・ファンタジー展には、イマジンのMVを鑑賞できるシアターが設けられております。見ての通り、この日は私一人貸し切り状態でした。
※公式YOUTUBEでも見れます

 

 

ジョンがこの世を去った4か月後、ヨーコは窓辺にジョンの眼鏡を置き写真を撮影しました。この写真は毎年ジョンの命日に、銃規制を訴えるメッセージと共に掲げられています。


すっかり夜になってしまいました・・・

ジョンがどう生き、2人が何を大切にしていたか。
そして自分が今後どう歩むべきか…この混沌の時代でも見失ってはいけないものを僅かでも受け取ることができたような気がする。

これてよかった・・・

 

 

ダブル・ファンタジー展は、ジョン・レノン80歳の誕生日(10月8日)からスタートし、当初は1月11日で会期を終える予定でした。しかし、昨年末に会期が延長されて、オノ・ヨーコ88歳の誕生日(2月18日)までとなりました。

とはいえ、会期ももう残すところ2週間。緊急事態宣言中でなかなかお勧めしにくいのですが、それでも万全の感染症対策と極力密を避ける時間帯を見計らって、ぜひご覧いただければと思います!

↑展覧会の見どころをまとめた動画が公式よりアップされておりましたので、こちらもぜひご覧ください!

ここまで、長文をお読みいただきありがとうございました!!

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藤江なるし
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