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"前代未聞"に慣れていこう。

"前代未聞"は恥ずかしい?


待ちに待った東京オリンピックが、無観客という "前代未聞"の形で行われようとしています。

(まあ、こうなってしまうのも仕方ないと前々から思っていましたけど。)


言っておきますが、僕は オリンピックという催し自体に反対しているわけではありません。

色々と対策を施しても安全が保障できないと予測できるのならば、中止に賛成する意思すら浮かんできてしまう、ということなんです。


ところが、中止するかどうかの話し合いになると、
「戦争以外の要因でやらない というのは前代未聞である上に恥ずかしいことだ」という意見がやたら際立った印象があるんです。


「"前代未聞"だから恥ずかしい」という言葉に違和感を抱くのは僕だけかな?

そういう意識、どんな場面でも捨てた方がいいんじゃないかなぁ と
この数か月間感じてきました。


過去からの流れを断ち切るためには、
たとえそれが"前代未聞"だったとしても、明確な根拠を示せるのであれば 行動に表すべきだと思っています。


何せ今、"コロナ禍"という、
今まで経験したことのない時代です。

今までの成功体験に右ならえしているだけでいいのか 自分たちで判断しないことには、
自分自身を否定したりして 生きる術を失いかねない経験をしたことがあります。


自ら新しい知識を蓄え続ける大切さ
皆さんにも分かっていただきたくて 記事にしました。



実体験+科学的な論理で人生を紡ぐべし


インターネットやAIによって、発信した情報が瞬時に世界の隅々にまで行き渡る時代です。


論理的に示されたリスクを たくさんの人と共有できるようになったことで、
命を守るための行動を前もって知り 考える姿勢が大事だと学んできたように思います。


「異常気象」なんて その最たる例じゃないでしょうか。


「何十年に一度の○○」とか「今までに経験したことのない○○」というニュースを 頻繁に聞くようになりました。

大雨・大雪・暴風・寒波・猛暑・台風…

いずれも、内容をきちんと知らなければ 命を落としかねない要素たちです。

実際 その通りに観測されているのを見る度に、予測して教えてくれるありがたみを感じます。


その天気予報は言わば、
土地勘と 科学的で論理的な考えの集合体です。

予測と実測を繰り返し、時には住民の体験談もくみ取ったりして、
予報の精度が上がるように日々努力しています。そのおかげで、

100mm/hを超えるようなとんでもない勢いの雨にも、900hPa前後のすさまじい台風にも対応できるようになっているんです。
その情報を根拠と共に 何日も前に 公表できること自体 すごいと思いませんか?

「実測したことのない予測はできない」なんて もはや死語なんでしょうね。


しかし、「異常気象」も年々進化しています。

平年の数値だけ見ていても分からない上に、
それまでの経験をもとに考えるだけでは対応しきれない状況が 次々と起きる傾向にあります。


予報の理由まできちんと知る。
常に新しい情報を得て 行動に移す。

災害が毎年のように起こる我が国では、もはや常識です。



リスクが見える時代を幸せに感じよう


科学的な論理は、"コロナ禍"のような、わけの分からない、見えない相手との戦いでも大いに役立っています。

僕は、湿度別の飛沫のシミュレーションと、
人との距離と感染リスクの数値を信頼し、
不特定多数がいる場所へ行く際の判断基準にしています。


人間の頭脳だけではすぐに理解できない領域であっても、
コンピュータやAIなどをうまく使えば、より早く 論理的に説明できるようになった例が 他にもたくさんあります。


今までなす術がなかった病気でさえ、明確な根拠を伴って治療できるようになった例も日に日に増えています。

新しい技術を使ったりしつつ 病気に発展するしくみが分かったことで、
発症後の治療法はもちろんのこと、
発症前の人に対する予防法も生み出せるようになっています。


僕は、子どもの頃からスギ花粉による症状に悩まされてきました。

対処法が頭に入っていない内は、くしゃみと鼻水が止まらず 授業に集中できないからと早退したこともありました。

明確な根拠のもと 自分なりの解決法を知ってからは、必要な薬を医師の言う通りに服用する癖がついて、飛散量が例年よりも多い年でも 昔のようなひどい症状が一切出なくなりました。



ある時期まで全く考えてこなかったことがらでも、

できることとやめるべきことの線引きがはっきりしたことで、
自分自身の生活に当てはめて考えられるようになり 冷静で居られる場面や時間が増えていきました。

と同時に、実際の生活で成功体験が積み重なっていけば、
パニックになる局面が少しずつ減っていくのも分かってきました。


内容をきちんと読み取って考える頭脳が我々にありさえすれば、誤情報に惑わされず 冷静な行動が選べる時代だ とも言えるんです。



怖がるな、逃げるな、忘れるな


こんな風にして 分かる喜びをたくさん経験してきた僕ですが

覚えておかないといけないことが増えると同時に、
忘れる行為の重みも増えていく関係性も分かってきました。


予測できるようになった天変地異による災害や、仕事場でのトラブルを例にすると分かりやすいと思います。


昔は「予測しようがなかったから」と "不可抗力"を主張し 裁判でも正当化できたかもしれませんが、

同じ規模の災害が起きたとしても 今では、
「筋道の通った予測が示されていたのに、それに合わせた対策を施さなかった」として "人災"の責任を問われるべきことに変化しているんです。


「命を守る行動を」という言葉を何度見聞きしても、昔ながらの経験に頼りきって「身の危険が及ぶはずがない」と言い張る先輩たちに丸投げするのではなく、
皆それぞれで考えて話し合い できることをしておくのが大事なんです。


だから、誰かの上に立っている人全員に言いたい。

何をするにも、最悪の事態をよく考えておいてほしいです。


「想像するだけで怖くなって…」などと言い訳をし逃げ腰になっても、
リスクを考えてこなかったことが愚かだと 面前で言われる時代なんです。

そうやって自分勝手に考えるのをやめてしまう人なんて、
立場や経歴は役立たずになる上に、信頼できる人として見られなくなるのも必然だと思います。



"前代未聞"も 慣れさえすれば


"前代未聞"とまではいかないかもしれませんが、
日本国内でも 世界でも ごく少数しか味わわないような人生を僕は経験しているように思うんです。

こういう記事が書けるようになったのも、科学的な論理と個人的で素直な感情を組み合わせて考える癖がついたからだと胸を張って言えます。


しかしながら、そんな自分に相対した時、
「今までそんな人に会ったことがないから…」と勝手に逃げ出す人の姿ばかり見てきました。

それを見る度に、「もったいないことをしてるよ…」という思いを抱えてきました。


新しい考え方や知識に出会える良い機会なのに、怪物に出くわしたように怖がって逃げる人を信用するわけにはいきません。


"LGBTs"や"ジェンダーフリー"、"SDGs"など、
ニュースや新聞を見れば、今まで考えてもみなかったことが新しい常識になっていく日常に気づくことでしょう。

そうやって "前代未聞"という言葉にも慣れていってほしいです。

「そういう時代なんだから」と 顔色一つ変えずに、自分なりに予測した上で行動できる人を 僕は頼っていくべきなんだとつくづく感じる 最近の僕です。


知らないことには冷静になれない傾向を分かっている僕は、
覚えて思い出すのが楽にできるように色々工夫しています。

また 別の記事で報告します。

オーノ

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