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この社会は「マルトリートメント」ばかりだ。③

性行為に関するマルトリートメント


個人的な性欲を満たすためにとる言動を 「性行為」とひとくくりに表すようですが、

他人と一緒に行う場合は、参加者全員の同意が必要です。


同意した範囲外だったり、法律上の年齢に達していない場合は、犯罪にあたります


また、罪として認定されるかは関係なく、
性行為を目撃したりして心身に悪影響が出た場合も、
「性的マルトリートメント」とみなすべき
だと 友田先生は主張しています。


その「性的マルトリートメント」
他のマルトリートメントとは異なる特徴があると言います。

 加害者の多くは、実父母や義父母のほか、いつも預けられる知り合いの家族、親戚など、子どもの身近にいる大人です。閉鎖的な環境で密かに行われる場合が多いため、なかなか被害が表面化しません。
 ……
 性的マルトリートメントは、長期間にわたり繰り返されることが多いのも特徴で、被害を受け始めた年齢があまりに低いと、子ども自身、虐待を受けているという自覚がないこともあります。
 診療室に受診に来たある女の子の場合、幼いころから父親に性的強要を受けていたものの、それに疑問をもたなかったと言います。小学校に入り、まわりの同級生たちとの会話を通して、ようやく父との関係が異常だと気づいたのでした。
 ……
 通常、子どもは、加害者である親を気遣ったり、さらに被害がエスカレートすることを恐れ、事実を公にすることをためらいます。たとえ、打ち明けることができても、周囲の目や世間体を気にした大人の反応や困惑を感じ取ると、「被害を受けた自分が悪いのだ」、「自分は価値のない人間なのだ」と考えるようになります。そして、ますます口を閉ざし、たとえ性病にかかっていても、被害の事実を隠そうとさえします。
 ……
 性的被害を受けた子どもたちは、こころの発達においても大きな障害を抱えることになります。特に成人後、うつ病や解離(つらい出来事や強いストレスに遭遇すると心理的に耐えられず、意識や記憶が飛んでしまうこと)の症状を発症しやすいという研究結果が報告されています。子どもをこのような危険にさらしてはいけません。
(pp.40~43)



「意識や記憶が飛ぶ」とは


「意識や記憶が飛ぶ」という 聞き慣れない言葉が出てきたので、
詳しく説明しておこうと思います。


簡潔に言うと、この世の現実を自分で直視できなくなる状況です。


どんな原因があろうと、
"無意識に"意識や記憶を飛ばす「解離」の症状が一度でも現れると、
自分の立場を正しく認識することが格段に難しくなって、
専門家のもとでの治療も長く険しい道のりになってしまうと言います。



また、「記憶を飛ばす」と聞くと、アルコールに代表される依存症を連想する人もいるでしょう。
これに関しては、意図的に意識や記憶を飛ばす行為と呼ぶべきなのかもしれません。


僕が生まれる前から父はアルコール依存で、今日のことを忘れようとする姿を毎日見続けてきました。

「今日の自分は死んだ。日付が変わったら今日とは異なる自分として生きよう」という気持ちだったんじゃないかと推察します。

「昨日までの自分は別人」として生きているために、
昨日のことを聞いても思い出そうとしてくれず、むしろ初めて聞いたような反応をしてくる場面をたくさん見てきました。
「昨日のことならば 昨日の俺に聞け」という心境も見えたりしました。

こういったことを毎日のように繰り返している人というのは、
ずっと社会人1日目の心境で居るんだろうと感じたりもしました。


意識的に飛ばす行動が何年も前から習慣化している場合は、おかしいことをしている事実に気づかせるところから治療を始めるそうなんですが、
父のように通院や治療を拒む人はお手上げ、という状態です。

それが、"無意識に"記憶を飛ばしてしまう状況ならばもっと大変で、
複数の人格が不規則に現れたりもするため、優れた精神科医でも頭を抱えるほどのひどさだったりするそうなんです。


どんな種類のストレスを抱えても、意識や記憶を失うのは良いことではない、と分かった僕は、そうならない方法を考え 社会の場で実践してきました。

その一環が、この note です。



"暗黙のルール"を自分で可視化すべし

 子どもと性のかかわりについては、じつのところ、どこまでをマルトリートメントととらえるか、線引きが難しい面があります。
 たとえばお風呂から出てきた父親が裸でうろうろしているのは、子どもにとってマルトリートメントなのか、ほのぼのとした家庭の一風景なのか。性的な描写を含むテレビや映画を家族で見るのは不適切か。思春期の子どもの体の変化を食卓の話題にしてもいいのか。子どもとは何歳まで一緒にお風呂に入っていいのか――?
 ちなみにアメリカでは、親子が一緒にお風呂に入るのは性的虐待だとされています。…
(p.44)

法律や条例などで線引きされていないものは、このように 人それぞれ感じ取り方が異なる場合が多いように思うんです。


大丈夫だろうと思っていた言動が、
相手によっては嫌な反応を示したり、
後々心身に悪影響をきたし「マルトリートメント」として認められる場合も出てくる、ということなんです。


また、いわゆる”暗黙のルール”が絡んで コミュニケーション不足になっている人間関係においては、
「約束した・してない」「言った・聞いてない」の論争に発展してもおかしくありません。


つまり、公にルールが定められているもの以外で、
自分のルールとして明確化し どんな相手にも伝えられるように準備する必要がある!というわけです。


恋愛以外の場面でも、他人と行動を共にする際は、
覚えておいてほしいことを伝えられる態勢でいるのが大事なんです。



皆さんも、こういった経験をしたことがあるんじゃないでしょうか。

・個人的に作ったルールを設けている人とそうでない人では、一方的に押しつける間柄になり、お互い良い思いをしなかった。


・ルールを明確に設けていなかったり、オープンに構えている人同士でも、嫌な気持ちになった言動はあったはずです。


・お互いにルールを持っていると、相手の取捨選択が論理的な理由のもとできるようになって、自分自身の心身を守る態勢がとれます。


自ら線を引くというのは、守りに入りすぎて受け入れてくれる人がなかなか現れないデメリットもありますが、
自分の命や人生を守るためには有効な手段ではあります。


実際、僕が皆さんに伝えておかないといけないものがあります。
いくつか例を示そうと思います。


<例1>そばアレルギー
そばを含んでいる物を食べさせないのはもちろんのこと、
そばの匂いがするだけで気分や体調が悪くなってしまう人ならば、そういう場所を避ける とか、
調理器具をそば用と別にした方がより安全だよ、という具合です。
食物アレルギーによって生死をさまようことにもなりかねないので、事前に言っておく必要があります。


<例2>他人の動きが気になりすぎてストレスが積み重なりやすい
デスクワークをする際、仕切りを設けてもらう
などの願いを反映してくれる職場も増えてきたようです。
個人的に苦手な雰囲気を解消するためにも、意見を言える態勢を整えておくのは大事だと思います。


<例3>Aromantic
…これまでの集団生活で誰に対しても恋愛感情に浸った経験がなく、この先もそういう心境にならないと予測できてしまう状態。
どんな相手と行動を共にしても、恋愛(→結婚→子育て)には発展しないことを前もって伝えておくことで、気遣いすぎずに適切な距離間を保ち続けられるきっかけになり得ます。


個人的に持っている病気や 独特な行動傾向は、公の場ではなかなか表現できないものですよね。

面接や合コンのように、自分の良いところをアピールするために使うべきとされている場ではなおさらです。


しかし、ネガティブに受け取られる表現であっても、
どこかの場面で伝えないことには、いざという時に適切な対応ができずに
自分や他人を困らせるような失敗経験が起きかねません。


つまり、自分の人生や命に影響してくる要素なのであれば、
行動を共にする相手にはっきりと物申す必要があるし、その返事もしっかり聞いておく必要もある
と考えるのが自然です。


もし 相手から拒む意思表示があったならば、
その人(がいる環境)とはおさらばし、素の自分を受け入れてくれる人を探せば良いんです。



また、企業とのやり取りでは、様々な形の契約書をもらって、めんどくさい思いをしたことがあるでしょう。

しかし、よく考えてみてください。

同意を求めるために「同意書」が作られています。
ルール違反を起こさない気持ちだったり 損害のリカバリーを自ら率先して行う態度を求めるために「誓約書」にサインします。
行動を共にする上で覚えておいてほしいものごとを並べて、その通りに行動する意思を確認するために「約款」や「重要事項説明書」が作られているんです。

知らなかったじゃ済まされないものごとを表現する機会を設けているにも関わらず、
ちゃんと理解せずに受け入れて利用し始めるのは やっぱりおかしいですよ。

国語力が足りない以前の、個々人の感情の問題なんじゃないかと 僕は思います。


行政でルールを定めただけでは、人の感情や行動を変えることはできません。
我々一人一人がPDCAサイクルを回し、心身を守りながら生きていくしかない、ということなんです。

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<④へ続く>

オーノ



引用文献

友田明美「子どもの脳を傷つける親たち」 NHK出版、2017年


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