この社会は「マルトリートメント」ばかりだ。④

違いがあるからこそ…


友田先生はまた、他人との差や違いが、
仲間外れをはじめとする「マルトリートメント」の引き金となる場合もある
と指摘しています。

 きょうだいを比較しすぎるようなことでも、子どもは傷つきます。たとえば兄の成績を引き合いにして弟にダメ出しをする、親戚の前で妹ばかり褒めて姉のことは無視するというのも、状況や程度によってはマルトリートメントにあたります。
 さらに、自分に向けられた言葉でなくても、子どものこころを傷つけることがあります。
(p.54)


実際、家庭以外の集団生活でも、同じようなことが起きています。

「いじめ」や、「○○ハラスメント」と総称される言動で
説明することができます。


いずれも、

他人との違いを受け入れたくない思いが、過剰な反応となって現れますし、
人の心を過度に傷つける「マルトリートメント」になります。


学生時代から「いじめ」の恐ろしさを受け続け、
社会人になって「○○ハラスメント」の存在に頭を抱えてきた人もいるんじゃないでしょうか。



比較+同調圧力=マルトリートメント


集団生活をしていると、どんな立場に居ようとも、
主体的に行動している人の言動に心から賛同できない人たちは、

無視や軽蔑の対象になったり、
本心を反映させた表現ができず 自由に身動きがとれない
状況に
追い込まれる傾向を学ばされてきたように思います。


特に 競争心理が働く環境では、

人や金やネットワークを使って 遠回しに陰口をたたいて仲間外れにするとか、

 "カースト"という順位関係のもと 不平等な接し方を促す というような、

相手の心身や人生をつぶしかねない言動でさえ
正当化してしまう雰囲気も 経験してきたのではないでしょうか。


「同調圧力」と呼ばれるこの雰囲気。
欠点ばかりではないんだと伝えたいところですが、


どんな環境であっても、いかなる内容であっても、

相手の気持ちを尊重せず、
皆同じ考えであるように ひたすら強要され、

それを一度でも拒んだら 暴力や暴言をとめどなく浴びる、
あるいは 仲間外れや無視にさらされる。

そういう環境に居るだけでも、
何らかのダメージを負ってしまう 恐ろしい特徴があります。


あなたがどんな立場にいようとも、
こころやからだに 何らか悪影響が現れることを、

そしてこの経験が、
その後の人生にも関わってくることを、
今のうちに知っていただきたいです。



例1  外国にルーツを持つ人


ここからは、実際に起きうる事例を挙げていきます。

まずは、外国にルーツを持つ人との生活についてです。


一目で分かる違いを見つけた瞬間に、
同じ仲間に入れたくない態度

見かけたことがあるんじゃないでしょうか。


相手の良いところを見て、すごいなぁ、うらやましいなぁと感じるのは問題ないように思うのですが、

問題は、その「表現のしかた」です。


あなたが持っていない要素を褒めたたえたところ、
嫌な顔をされた人もいるんじゃないでしょうか。


出身国や地域単位での固定観念のもと
コミュニケーションする癖がついていませんか?

同じ国出身であっても、生まれ育った環境が違うなら、
学んできたことも違うはずです。

たとえ それがうらやましく感じる特徴であったとしても、
自ら望んで学んできたわけではないものだったりもするんです。


また、反日教育が有名な国出身でも、
実は日本の文化が大好きな人がいるように、

南米の出身だからといって、
皆サッカーが好きで得意だとは限らないように、

どんな相手でも、唯一無二の人である
という意識を常に持ち続けるのが大事なんです。



例2  地域特有の表現


この国の方言に関しても、同じことが言えます。


同じ日本人でも、生まれ育った場所や親の出身地が違えば
異なる考え方や言葉遣いが出てきて当然です。


僕は、片一方の親が関西出身なので、
無意識に関西弁をしゃべる癖がついてしまいました。


しかし、僕が通った東京の学校では、話の途中であっても、
標準語以外の言葉遣いが出てきた瞬間に笑ってしまう人がいました。

関西弁は笑わせる材料、という風に覚えているのかなと思ったくらいです。


また、標準語でしかしゃべってはいけない雰囲気もあったように思い出します。

標準語以外のしゃべり方が抜けなかった僕は、
そういう言葉遣いが出た瞬間に無視の対象になって、
会話が強制的に途絶える経験を何度もしてきました。



逆に その方言が使われている場所に行くと、
標準語が混ざっていることに違和感を表す人たちの姿がありました。

"レベルが違う人だ" と言わんばかりの態度を見て、
居心地が悪くなってしまった経験もしました。



どんな場所であっても、
"郷に行ったら郷に従え"というのをひたすら強要してくるような相手に話し続けるのは、不必要なストレスになってしまうのを体験しました。


それに、

異なる特徴があるからと、仲間に入れない態度は「差別」の言動であり、
特定の地域やそのルーツを持っている人への嫌がらせであれば、「部落差別」だと言われても仕方がありません。

これらの言動も、犯罪であろうがなかろうが、
冒頭に説明した「マルトリートメント」の言動にあたります。



例3  セクシュアル・ハラスメント


「セクシュアル・ハラスメント(セクハラ)」と総称される言動も、
「マルトリートメント」になります。


同意のコミュニケーションもせずに、いたずら感覚で他人の体を触ったり裸にさせようとする人を、

子ども時代にも社会人になっても見かけたことがあります。


僕は、
相手の体に触れたり、自分の体に触れられたりするのが怖いし、
その状況を見聞きさせられる環境に居ることも嫌いです。


適度な距離を常に保ち続けないと、正常な人間関係は続かないのは当然ですし、

見た目には分からないかもしれませんが、至近距離で他人と居ること自体 苦手な人もいます。



それに、恋愛の考え方が異なる人だって一定数いるんです。

この国でも実際、10人に1人が性的マイノリティーだと自覚しているんです(※誰にも公表していない人も含んでいます)。

つまり、不特定多数の会食では必ず、そういった要素を抱えている人がどこかにいると覚えておくのが常識なんです。


自分の人生と他人の人生は 全く同じではありません。

また、恋愛感情が一度も湧いたことがない人が多数派の場なんて 聞いたことがありません。


ですから、
共感を無駄に押しつけてくる言動はやめないといけないですし、

自分の考えを否定する人たちやその雰囲気に苦痛を感じる人は、その環境から逃げるのが正解だと経験上言えます。


特に お酒などによって 感情も記憶もコントロールできなくなる場所では、考えを訂正してもらうように呼びかける意味もないように思います。



それから、

「男だから、女だから、」「男らしさ、女らしさ」に基づいた考え方で役割分担するのも できる限りやめてほしいと思っています。

その人のできる・できないで配置してほしいです。


性別に縛られた生き方を否定する「ジェンダーフリー」の考えに僕は共感しています。

以下の記事につづっていますので、良かったらご覧ください。



誤解がマルトリートメントを生む


これら3つの事例に共通して言えることがあります。

それは、相手の事情をきちんと理解せずに接すると 「マルトリートメント」の言動が出てきやすくなってしまう点です。

「分からない、知らない」が、対等なコミュニケーション、対等な人間関係作りを阻んでいる とも言えます。


こういった 誤解を伴ったマルトリートメントを防ぐために必要なのは、
嫌な顔をされたらすぐに謝り、なぜそうなったのかを知る姿勢です。

詳しくは別の記事で紹介します。



この記事では主に、間違った表現を伴った軽蔑的な態度を紹介してきましたが、

何の行動も起こさず 長期間無視し続けるのも「マルトリートメント」です。

無視されて悔しい思いをしたことがある方は、ぜひ ⑤の記事を読んでみてください。

<⑤に続く>

オーノ



引用文献

友田明美「子どもの脳を傷つける親たち」 NHK出版、2017年


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?